第3話 「店」
シェルターから出た俺は、軽くなったとはいえまだ数十キロはあるであろう荷物を背負い、ひいこらとヴァイスの街の門を目指している。まだ仕事終わりには早い時間のため、周囲にはほとんど人がおらず、門に並んでいるのも数人程度だ。
それほど離れているわけでもないので大した時間もかからずに門の前に着く。
特に問題も無かったのか、移動にかけた数分程度の時間経過でもスムーズに人がはけたらしく、俺が列に並んだ時にはちょうど目の前の人が門の中へ入っていくところだった。この調子ならすぐに俺も呼ばれるだろうと見越し、冒険者カードを懐から取り出してしばし待つ。
街に入るためには自分の身分を証明できるものが必要だ。俺の場合は冒険者カードだが、他のギルドのカードや有力者の保証等があれば入ることが出来る。ちなみに、それらを持ってない人は入れないのかと思うかもしれないが、もちろんそんなことはない。身分の証明が出来ない人は、手空きの兵士に監視されながら適当なギルドにぶち込まれ、ギルドカードを作成し、これにて身分証明完了。となるわけだ。
呼ばれた先で顔見知りの衛兵に冒険者カードを見せると、軽い確認だけで通る許可が出る。やっぱこの時間の空き具合はたまらんな。まぁこれが目当てでこの時間を選んでいるんだ。期待通りと言うべきか。
門を抜けると一気に視界が広がる。
正面には大通りが広がり、その左右にはいろいろな建物が並んでいる。さすがに街の外とは違い、この時間でも結構な人が大通りを歩いているし、まだ夕食には早い時間だが、気の早い屋台からは威勢の良い呼び込みも聞こえる。
そんな喧噪を聞き流しつつ、大通りを歩きながらこれからの予定について思考を巡らす。が、何はともあれこの肩に掛かる重さをなんとかせねばなるまい。
シェルターで量は減らしたとはいえ、肩からのエマージェンシーが鳴り止まない。この状態で街を練り歩くなどマゾの所業であろう。なのでまずギルドだ。
持っている荷物の9割は納品&売却用だからね。しょうがないね。
大通りを十分程歩くと、周りと比べても一際大きな建物が見える。入り口には『剣と靴』の看板がかかり、横には資料館が併設されている。これが冒険者ギルドだ。今回は買い取りが目的なので資料館に用は無い。
これまで数年間利用している建物だ。まるで勝手知ったる我が家とでも言うかのように気兼ねなく扉を押し開ける。来客を知らせるためのベルがカランと音を立て、中に居る冒険者がチラリとこちらに視線を向けてくる。
(ひのふのみ……14人か)
ピーク時だと50人を余裕で超えるため、この程度ならば空いている方だろう。すぐに興味を失ったのか俺への視線が切れる。冒険者同士だとしても興味も用もないならこんなもんだ。特に見知った顔もいないため、目的である受付へ視線を移す。
僥倖だ。依頼側の受付には数人並んでいるが、タイミング良く買い取り側は誰もいない。これも日頃の行いというやつだろう。
そんな小さなことに幸せを感じながら受付の前まで歩いていく。
「…」
買い取りの受付の前に着くと、眠そうな瞳がこちらを見つめてくる。
「……ないから」
「ん?」
「あなたに…日頃の行いとか…ないから」
「えぇぇ…?」
久しぶりに声を聞いたかと思えばこいつは…しかも口に出してないのに俺が考えていたことを…?こっわ。うわこっわ。唐揚げください。
「?」
(…あと肉まんとフライドポテトとコロッケ。あ、やっぱあんまんも追加で…おでんの卵とちくわぶ、後大根。それと焼き鳥のたれと塩を一本づつ…)
「?…?…?…」
唐揚げ&その他のことを知らなかったのだろう(当たり前)。俺の怒涛の注文に小首を傾げながら不思議そうにしている少女。
絹のように滑らかな銀髪をショートに揃え、眠そうな瞳と圧縮言語さながらの無口さが特徴。初級冒険者が彼女の無言の圧力に屈し、泣きながら去って行くところを見たのも2度や3度ではない。
その小柄な体躯には不釣り合いに大きな胸。その胸元にキラリと光るネームプレートには『シエル』と書かれている。大体いつも受付にいるギルド員の一人だ。
そのまま見つめ合う二人。お互いに無言だが、片方は首をコテン、コテンと傾けてる。かわいい。
そのまま俺を凝視しているが、俺がホットスナックについて説明する気がないと気付いたのだろう。
「ん」
と、少々不機嫌そうに顎をしゃくって指示してくる。まるで田舎のヤンキーのようなガラの悪い態度だが、不思議とあまりイラっとはこない。
正直なところ客商売としては失格レベルの対応だが、やっぱり美少女は得だな。などと考えながら大人の余裕で流し、冒険者カードとワイルドベアの魔石が入った袋を渡す。
渡されたカードにチラリと視線を落とし、そのまま魔石袋を開くと眉を顰める。
「…どこ?」
「正門側の森。こっちから深度2。群れてなかったし気が立っている様子もなかったから、たぶんハグレかな」
安全マージンをしっかり取るビビりな俺がワイルドベアを狩ったということから不意の遭遇という予想はついたのだろう。本来の分布ではない場所に魔獣が沸くというのはリスクに繋がる。あれが本当にただのハグレだったのか、それとも移住のための先兵だったのか…ひょっとしたら何かから逃げてきた可能性もある。
原因についてはギルド側が依頼を出すなりして調べるだろう。報告した時点でランク1の仕事は終わりだ。
メモり終えたのだろう。俺の言葉を聞きながらチョコチョコ動かしていた手元が止まる。
そして、俺の頭から足までをじろじろと見つめてくる。その何処を見ているのか分からない茫洋とした目付きで見つめられると、変な気分になるから止めていただきたい。
「ん」
数秒ほど見て満足したのか再度顎をしゃくってくる。まったく、こいつは客商売をなんだと思っているのか。買い取ってもらうものを指定の場所に並べながら心の中でこぼす。
でもまぁ俺みたいに気にしない人にとってはいいことかもしれん。人気がないからいつも空いてるし話も早い。
薬草以外の収穫物を全て置き終わる。いやースッキリした。肩に羽が生えているように軽いとはこのことか、と肩をほぐしていると目の前からじっとりとした視線を感じる。
「ん、どうした?」
「………」
「ああ、この薬草は自分で持っていくよ」
「…」
「もともと今日寄るつもりだったからね。ついでだよ、ついで。大した手間じゃない」
「………そう」
納得したのかフイッと視線を逸らし、脇にある紙を取る。それを俺の冒険者カードに数秒触れさせた後二つに破り、一つは俺が素材を置いた台にペタリと貼り、もう1つは俺に手渡してくる。
これは引換券だ。今みたいに空いている場合は大体1時間程度、混んでいる場合でも翌日には査定が終わる。それ以降にギルドの受付に今の半券を渡せば金と換えてくれるシステムだ。
妙にアナクロに感じるが、実はこの紙も特殊な紙である。冒険者カードに触れさせることで、俺の『魔』が紙に記録され、それを半分にすることにより割符の役割を果たす。
これ以降俺の持っている紙は、触れた人の『魔』に反応し変質するようになる。なのでもし盗まれた場合、紙が変質し『魔』が一致しなくなる。そんな変質した紙を持っている時点で盗人の証明なので、ギルドに換金しに来た場合、その場で御用だ!されることだろう。
まぁ、盗まれた側も半券が無い状態なので換金することはできなくなるが、その辺は自己責任である。手元に戻ってくれば、自分の『魔』によって元に戻るため一応リカバリーは可能だが、盗まれたり紛失しないように気を付けたほうがいいだろう。
そして、素材持ち込みから半年経過しても換金に来ない場合、そのお金はギルドに没収される。早めに引き換えてもらうのも忘れてはいけない。
俺が半券をしまったことを確認し、次は冒険者カードと新しい納品袋を一緒に渡してくる。
これまで何度も繰り返しているやり取りだ。これを受け取ったらギルドでの用事は終わるので、次はどこに行こうかしら?と考えながらブツを掴み…掴……つ…掴んで………なんで離さないんだこいつは?
「どうかしたか?」
「…」
相変わらず眠そうな目だが、何かを訴えかける意思をかすかに感じる。
「…用心」
「へ?」
「………最近……多い…から…」
「ふむ」
これはつまり。
最近は分布外の魔獣や魔物がよく報告されてるからアンタも注意した方がいいわよ。
か、勘違いしないでよね。まぁアンタのことは嫌いじゃないし、アンタみたいな脇の甘いやつが知らないところで魔物にやられちゃっても寝覚めが悪いから…って、なによ、せっかく忠告してあげてるのにその態度は。ふん、やられちゃっても知らないんだから!バカッ!
ってこと「違う」だな…うん。
「…違う」
2回も言った。とても大事なことなのだろう。
「ま、いいか。忠告ありがとうな」
「ん」
今度はスッと手を離してくれたので、受け取ったカードと袋を懐に仕舞い、今度こそギルドから出ることにする。した。
歩く、歩く、歩く。
誰かに絡まれるという定番のトラブルもなく、普通にギルドから出ることが出来た。いや、ほぼ毎日通うギルドで毎回トラブルに巻き込まれてたまるか。いい加減にしろ。
そんなこんなで、今は次の目的地である薬屋に向かっているところだ。目的はもちろん薬草の納品である。
俺の行きつけの薬屋はメインの品が薬なだけであり、基本的な冒険に必要なものは何でも置いてある。所謂、何でも屋もしくは雑貨屋と呼ぶべき店だ。それでも頑なに薬屋と言い続けているのは店主の拘りでしかない。一時期、何でも屋と言い続けたら涙目で睨まれたので以後は自重している。
場所は大通りから逸れた細道の奥まったところにあり、お世辞にも立地が良いとは言えない店構えだ。店の大きさも可もなく不可もない。アピールできるポイントは品揃えの豊富さ位だろう。
もちろん大通りやそれに近い場所にも類似の店が多くあるため、大体の客はそちらに取られてしまっている。やっぱり大手の資本力というのは伊達じゃないな。勝ち目なんてなかったんや。
そんなことをつらつらと考えながら細道を歩き続ける。そして大体30分程歩いたところでやっと店が見えてきた。やっぱどう考えても立地が悪すぎるな。ほぼ城壁の際だ。コミケならば壁サーは誉れだが、残念ながらここはコミケではない。
ヴァイスに住んでいるのにこの店を知らない人がそれなりにいるところを見るに、店としては結構致命的じゃなかろうか?(疑惑)
ほどなく店の前に到着したので建物を見上げてみる。
木材をメインの建材にした2階建ての建物であり、日本についての知識がある人ならばどこか懐かしく感じる佇まいだろう。1階部分は店、2階部分は彼女達の住居になっている。
彼女のような出不精な人には店の中でほとんどのことが完結するというのはとても重要な事だろう。
1階の入り口部分には年季の入った看板が掛けられており、『ユーリのおみせ』と描かれている。店に自分の名前を使うという冒険をしている彼女はある意味勇者なのではないか?という疑問が尽きることは無い。
まぁ、店の前でボーっと突っ立っていてもしょうがない。早速中に入るとしよう。
看板同様、歴史を感じる古めかしい扉に手を当て押し開く。その古さに反し軋む音など一切立てず滑らかに開いていく扉を見るに、なるほどしっかり手入れされているなと感じる。
扉の上部に取り付けられた来客を知らせるドアベルがリンッと澄んだ音を立て、開いた扉の隙間から空気が流れ出てくる。それは紙やインク、古木、脂、薬品臭など雑多な匂いを外に運び、空気に混じって散っていく。
俺は嫌いではないが、結構好き嫌いが分かれる匂いだろう。
一歩店内に踏み出す。まず入って早々に気付く点は、その天井の低さだろう。
俺の身長と比較して見てみると2メートル欠ける程度の高さしかないことが分かる。手を伸ばせば女子高生でも簡単に天井に触れることが出来る、と聞けばその圧迫感も理解してもらえると思う。長身な種族ならば身を屈めないと歩くことも出来ないだろう。
次は、入って左の壁一面の棚に綺麗に並べてある薬だ。さすが薬屋と謳っているだけのことはあり、俺の知っている薬から知らない薬まで幅広く揃えている。毛生え薬なんてものもあるが現在入荷待ちらしい。入荷待ちになるほど売れているのだろう…うん、良いことだ。たとえそれが毛生え薬だとしても。
反対側の壁には、おおよそ冒険に必要なものが雑多に置かれている。テントや鍋、火をつける魔具、松明やロープ、杭に罠、果てはツルハシなんてものもある。近くの箱には一山いくらの武器が乱雑に納められていたりと、反対側の薬類と比べてなんとなく雑な陳列である。
そして、正面の奥まった場所にはカウンターがあり、そのさらに奥の壁には本棚が埋め込まれている。もちろん棚の中には本がぎっしりと埋まっており、入りきらない分はその手前にうず高く積まれている。やっぱり薬屋と言い張るにはちょっと雑多なものが多すぎませんかね?
そのカウンターには少女が一人、ゆったりと腰かけていた。
不思議の国のアリスを彷彿とさせるファンシーな服装に身を包んだその少女は、目を閉じ、まるで人形のように微動だにしない。暖色系のランプの光が辺りを照らし、柔らかな影を少女に映す。まるで、本当に童話の世界に入り込んでしまったと錯覚するかのような幻想的な空間…。
そんな世界を壊さないようにゆっくりと店内へと歩を進める。扉が閉まるのに合わせて再度ベルが鳴るが、その澄んだ音色はこの空間に在ってとてもよく馴染んでおり、些かも異物と認識されない。
「…す……か………む…」
俺の耳が空気の抜けるような小さな音を捉える。その音に意識を向けると、どうやら少女がその音を発しているらしいことが分かる。その証拠に、少女に近づくにつれ徐々に音が明瞭になっていく。どうやら無意識の内に足を進めていたらしい。
気付けば少女を見下ろせるほどの距離まで近づいていた。先ほどまでは微かにしか聞こえなかった音も既にはっきりと聞こえており、その音が何を表しているかもわかった。
遠目からは分からなかったが、少女の口がゆったりと動いている。そして口の端には………涎。
「すー………すかー………すぴー………にゃむ…んっ…」
趣の感じる扉をゆっくりと押し開ける。それにより空気が動き、店の中の雑多な匂いを外に運んでくる。そして、まるで俺が扉を開けるのを待っていたようなタイミングで声が掛かる。
「ふふ…いらっしゃい。今日辺り来ると思っていたぞ」
どこか不思議な雰囲気の店内にあって違和感を感じない。まるで人形のような少女が暖色系のランプに照らされ幻想的に言の葉を紡ぐ。絡み合った瞳は、俺が来ることなどお見通しだと言わんばかりに薄く細められている。
……まぁ、なんだ。肩を揺り起こしたら、「テイクツーっ!」と叫んで店の外に追い出されてしまった。再度入店した時の第一声が先のセリフである。
椅子に深く腰掛け大物感を出そうとしているが、俺が来るまでどのような態勢で寝ていたのか、右の頬にインク汚れが付いているのと髪が一房跳ねているのが少々マヌケだ。しかしそれを俺が教えることは無いだろう。後で存分に恥ずかしがるがよい。
「久しぶりだな。お兄ちゃん」
「いや、久しぶりて…三日前にも来ただろう?」
「ん?これは異なことを…こういう場合は三日も会えなかったと言うべきであろう。会いたい気持ちを抑えながらも健気に待っていた妹に対してなんともひどい言い草ではないか」
透き通った儚げな声の割に不遜な言葉遣い。そのギャップに最初は面食らったが、慣れてみるとこれはこれで味がある。
「別に妹じゃなくないか?」
「なんとっ、最初にお兄ちゃんと呼べと言ったのはお兄ちゃんだろうに。お兄ちゃんがお兄ちゃんと呼べと言ったからお兄ちゃんと呼んでいるのだよ。それなのに今更お只ちゃんと呼べなくなるなんて私は悲しいぞお兄ちゃん」
お兄ちゃんを連呼するな。しかも字面でしか分からないボケまで交えやがってからに。
「別にお兄ちゃんと呼ぶな、とは言ってないだろう?」
「む、ふふ、なんだそうであったか。それならそうと早く言ってくれ。無駄に焦ってしまったではないか、もー」
ちなみにここまで全部棒読みである。
「まぁ、そんなことは置いておいて…」
「そんなことっ?!」
結構ショックだ…と先ほどまでの棒読みとは違い本気混じりで呟いている彼女だが、もちろんこの店の店主ではない。店主の性格からして出かけている可能性は極めて低いので、上の階にでもいるのだろう。
「ユーリさんは、まだ上か?」
「本当にサラッと流された……う、うむ。今日はまだご主人は見ておらんな」
「あの人は…」
こいつ…ユーリさんの使い魔である『イリス』が、今日はまだ見ていないということは、未だに寝ているか気絶しているかのどちらかだろう。
「呼んでもらってもいいか?」
「あい分かった。お兄ちゃんはそこで待っておれ」
椅子からぴょいと飛び降り、トコトコと階段下まで歩き、2階に向かって叫ぶ。
「ごしゅじーーーんっ!お兄ちゃんがきたぞーーーっ!」
「………」
「………」
「………」
反応無し。
「おーーーーいっ!ごっしゅじーーーーーんっ!!………………んん?」
「………………」
静まり返る店内。
「…お、お兄ちゃんはそこでちょっと待っとってくれ?」
「…あいよ」
ごしゅじーんと叫びながら階段を上っていくイリス。この微妙な時間をどうしようかと考えていると、ふとそういえば調合器具があれば買う予定だったというのを思い出した。いいタイミングなので暇つぶしがてらに店内を眺めてみることにする。
実際、すりこぎみたいなマイナーな物だとしても、この店ならひょっとしたらという思いはあったが、まさか本当にあるとは思わなかった。
どれだけの間そこに置かれていたのか、棚の隅で埃を被っているのを発見する。まぁ、調合器具みたいに需要が特殊すぎるモノなぞこんなもんだろう。
性能の良い器具なら専門家に売ったりもできるが、すりこぎみたいな初心者用の道具は一体誰をターゲットにした商品なのかまるで分からない。間違いなく他の雑貨屋には置いていないだろう。
最悪無ければ作るつもりでいた俺にとっては助かるが、相変わらずの適当さだ。この店の今後が少々不安になりながらすりこぎ(お値段銅貨20枚)を手に持ってみる。
その大きさとは裏腹に結構ズシリと来る重さだ。中で物を撹拌する都合で重量を持たせているのだろう。付属で滑り止めの布が入っているのが嬉しい気遣いだ。
すりこぎ棒は指の形に合わせて窪みがあり、先端は丸みを帯びている。余程使い込まれているのか、緑色に染まったその先端を見ながら俺が思う事は一つ。
(中古じゃねーかっ!?)
まさかの中古。持ち手の窪みに手を当ててみてもまるで合わない。俺の半分くらいの大きさの手、つまり子供サイズの手を想定している造りだ。そして頭の部分に『ユーリの』という彫りが入っている。『ユーリの』って…
(ユーリさん…)
視線に生暖かいものが混じりながら、自分の使っていたものを売り物にするのはどうなんだろう?と首を傾げていると、2階からユーリさんを見つけたらしいイリスの「おーい、ごしゅじうおっ…な、なんだその格好?」と驚き慄く声が聞こえてくる。
「大丈夫かー?」
「だ、だいじょぶだからお兄ちゃんはこっちに来るでないぞー」
たぶんユーリさんの身支度でも整えているのだろう。2階からドタバタ聞こえてくる。予想通り寝ていたみたいだ。
ふむ。店主はこんな時間に爆睡、そして店番は居眠り…と。やっぱりこの店はダメなんじゃなかろうか。(疑心)
「ほらほら、早くしゃっきりするのだご主人。あまりお兄ちゃんを待たせるのは可哀想であろう」
「ふぁ~…んむぅ……お兄ひゃんー?」
「あ、コラご主人っまだ…」
とんっとんっと階段を降りる音が聞こえる。そしてひょこっと階段から顔を出す幼女その2。
「ん~…(じー)」
「…」
寝起きなのが一目瞭然なほどにその恰好は酷かった。
眠そうにじぃっと見つめる目は擦ったせいか赤く、口元には涎の拭き残し。髪の毛は四方八方にびょんびょんと跳ねまくり、まるでヤマタノオロチのごとく俺を威嚇している。
薄い肌着で寝ていたのだろう。その肌着も片側の肩紐が外れてずり落ち、慌てて掛けたであろうローブが、かろうじて大事なところを隠している。もちろんローブの前はフルオープンであり、悪戯な風が吹いただけで色々なところがポロリしてしまいそうだ。なんとも無残な姿である。
「(じーーー)」
見た目はこんなだけど、俺とはダブルスコア以上の歳の差なのに…と、世の無常を嘆き、目頭を熱くしている俺を見つめる幼女。彼女はコテンと首を傾げる。
「…お兄ちゃん?」
「答えはノー」
さすがの俺もユーリさんにお兄ちゃんと呼ばれるのは少々キツイものがある。使い魔のイリスだって俺よりは年上だが、あのキャラだからこそ許されているところはあるのだ。
俺の答えを聞いたユーリさんは、首を傾げたままうんうん唸りながらトコトコ近づいてくる。
(うおっ!ちょっあぶ、危なっ。んな無造作に歩くんじゃないっ!さっきから裾がひらりひらりと舞い踊るせいで桃源郷がチラリしそう………で、しないっ!ひゅー焦らせてくれやがるぜ。いや、そんなことはどうでもいいんだ。その危険に踊るチラリズムのせいで俺の人生の危険が危ない!もうどうなってもしらんぞーっ!)
規制の二文字が俺の脳裏をよぎる。半裸幼女が青年に迫る図、たとえ相手が合法ロリだとしてもこの現場を見られたら一発アウトだろう。ここが異世界で本当によかった…いやマジで。
逃避気味に意識を飛ばした俺の目の前で不思議そうに首を傾げていたユーリさんは、やがて得心がいったかのように一度頷き、笑顔で両手を広げる。
「な、なにかな?」
「…(にっこり)」
ユーリさんの膝が勢いを付けるために緩く曲がる。嫌な予感が急速に膨れ上がり、それと同時にイリスが転がるように階段を降りてくる。
「あぁっ!?こらご主人待て!待てだっ!」
「お兄ちゃ~ん♪」だきっ
「ばっ、ちょ、おいカメラ止めろ!」
「ふぁ………ん……なんだ、誰かと思ったら坊じゃない…」
まだ少々眠いのか、欠伸混じりに呟いているユーリさん。
先ほどの放送事故は、イリスの迅速な対応により最小限の被害で済んだ。俺に抱き着いているユーリさんを素早く引っぺがし、ローブに包んで即座に2階へ搬送。数分後には眠そうではあるが身だしなみの整ったユーリさんとイリスが揃って1階に降りてきた。
どのような状態なのか、確認の為にイリスとアイコンタクトを交わす。
(ユーリさんは?)パチパチ
(ご主人は都合よく忘れておる。後生だから蒸し返さないでやってくれ)パチ、パチ
(安心してくれ。俺だってあの痛ましい姿は忘れたいんだ…)パチ…パチ…
「?…何やってるのよ二人とも?」
「「いや、なんでも?」」
「そ、そう…相変わらず仲良いわね」
今日はいつも以上に息ピッタリなんだけど…と不思議そうに首を傾げている。
どうやら5×歳が、二回り以上年下に対してお兄ちゃんプレイしていたという事実は無かったことになったようだ。こうして俺の平穏は危ういところで守られることとなった。実際安心。
「で、今日はどうしたの?」
「どうしたのて…薬草の納品に来たんですけど」
「え?」
「え?」
俺のセリフにきょとんとするユーリさん。
「薬草?…薬草………薬草?」
「大丈夫ですか?(まさか、老化のせいで記憶力が…)」
「む…何か変な事考えてない?」
「い"え…」
「じゃあ、なんで目頭抑えてるのよ…」
「気にじないでぐだざい…」
「えぇぇ?な、なんなのよ…もう…」
先ほどのお兄ちゃんプレイと今回の老化現象のダブルパンチにより、ユーリさんがヤバいということを悟り、その事実に打ちひしがれている俺。そんな俺をよそに、額に手を当てうんうん唸るユーリさん。
そして、思い出したのかスッキリとした顔でポンッと手を合わせる。
「あぁっ!そういえばそんなことギルドに頼んでたわね」
「良がっだでずね…」
「あんたはいつまで泣いてるのよ…」
意味わかんない、と若干引き気味に呟いているユーリさんを横目に、背負っている袋を下ろす。
今回の依頼は『根付きの薬草10束の採取』だ。この手の依頼はある程度の裁量が冒険者に委ねられている。というのも、今回の『根付き』という部分の認識が人によって異なるからだ。
ある程度主根が残っていればいいと考える冒険者もいれば、俺のようにわずかなひげ根でも傷付けずに採取したいという冒険者もいる。おかげで結構な量の土ごと採取する必要があり、なかなか馬鹿にできない重量を運ぶ羽目になった。
ちなみに、前者の方は査定に多少のマイナスが付くが、採取速度は速いし重量も軽くなる。丁寧じゃない仕事が一概に悪いと言い切れないのはどの世界でも同じである。
「相変わらず几帳面ねぇ」
俺の開いた袋を覗き込みながら感心したように呟く。
「このまま下処理しましょうか?」
「あら、いいの?」
「まぁ、ついでってやつです」
ユーリさんが顎に指を当てて考えている間に、袋の口を大きく開く。
この袋はなかなか便利で最大1㎡程度まで口が開く。袋自体も丈夫に出来ており、この中で作業すれば周囲が汚れることは無い。
中の薬草は土ごと採取したおかげか、すでに数時間経っているにも拘らずまだまだ元気に見える。土に残っていた水気も薬草が吸い上げたおかげで解れ易くなっており、かなりいいタイミングだ。
柄を利用して土を崩すために、ナイフを鞘ごとベルトから引き抜く。それと同時にユーリさんも考えがまとまったのか話し始めた。
「…まず、土はいらないわね。なるべく落としちゃって。根は…うん、細いのはある程度残っていればいいから、その代わり主根はなるべく傷つけないようにお願い。少しは土が残っていてもかまわないから…」
ユーリさんの言葉に従い、薬草の処理をしていく。特に根の周りは慎重に…払ったり引いたりすると根を痛めるため、なるべく崩すようにして土を取り除いていく。
いつの間にかイリスが容器を用意してくれていたので、処理が終わったものから順次移していく。
「あ、切れた根っこはなるべく集めておいてくれるとうれしいな」
ぐっ…なぜユーリさんは寝ぼけていたり集中していると言動やらが幼くなるのか…不意打ちに少々手元が狂いそうになるがなんとか耐え、根が切れた端から忘れないうちに回収していく。
途中少し焦ったが、なんとかすべての薬草の処理を終える。最後に一通り土の中に手を潜らせ、取りこぼしがないか確認し、すべての工程が終了した。
袋の中で手の汚れを払っていると、ふと笑い声が聞こえる。
「ふふ、こうして見てみると最初とは比べ物にならないくらい成長したわね」
「さすがにそんな昔と比べられるのは心外ですわ…」
「何を言ってるのよ。成長するのは良いことよ?」
「たしかに…お兄ちゃんの最初の頃は、それはもうひどいものだったからの」
「うっさいわい」
こうやって褒めてくれるのは素直に嬉しいが、ユーリさんなら根を傷つけるなんて無様な真似はしない。確かに成長したという実感はあるが、まだまだ修行が足りないのも間違いない。
今回のように熟練者の前で作業するというのはなかなかいい経験になる。特に叱咤が飛ばなかったということは作業内容的にも及第点だったはずだ。そも、もっと精密な作業が必要ならば俺に任せずに自分でやっていただろう。今回のようなチャンスはなるべく逃したくはない。
ユーリさんは汚れ作業をしなくて済み、手間も省ける。俺は熟練者の監修のもとに経験が積め、僅かながらも報酬の向上が望める。まさにwin-winと言うやつだろう。
袋の口をきつく締め、土が零れないように背負う。
「あ、その土、いらないなら家の花壇にでも撒いておいてかまわないわよ?」
「そりゃ助かります」
ぶっちゃけ重さのほとんどが土だったこともあり、薬草が無くなっても大して軽くなっていない。街の外まで持っていって捨てる予定だったため、この提案は非常に助かる。
あとは報酬ね、と呟き、カウンターから硬貨の入った箱を持ってくるユーリさん。
「一先ず、薬草は状態が良かったから一束銅貨10枚で、合計銀貨1枚ね」
ぽんっと俺の手のひらに銀貨が1枚乗せられる。
「ありゃ、思った以上に多いですね」
「最近中堅の冒険者が増えたみたいでね。品質の高い回復薬の需要が上がってるのよ。だからこれでも十分適正価格なの」
少し色は付けているけどね、と悪戯っぽく笑う。
「あとは加工の報酬だけど…うーん……銅貨70枚くらいで」
「ちょい待ち」
「えっ………す、少なかったかしら?じゃあ90枚、いやもう銀貨1枚くらいで…」
「いえ、だからちょい待ちって」
思わずため息を吐く。
相変わらずこの人は…なんで形のあるものは適正価格で売れるのに、無形のものの価格設定はガバガバなのだ。あの程度なら高くても銅貨30枚行かないくらいだろう。俺レベルなら20枚ももらえれば御の字だ。
「高すぎます」
「えぇ…だ、だって、せっかくやってくれたのにあんまり安いのも…」
「ユーリさん」
「そ、それに、坊だって最近は腕も上達してるし銀貨1枚くらいならって………」
「………」
「………ぅ」
「ユーリさん」
「…は、はい」
「一つ、お聞きしたいことがあります」
「…な、なにかしら?」
「一番最後に客が来たのはいつですか?」
ピシッ
俺の質問を聞いた瞬間、石化したように固まるユーリさん。そのまま油を差していない機械のような動きで俺から視線を逸らす。ギギギという幻聴が聴こえる。
「え、えーーっと………き、今日「俺以外で」ぅ………………み、三日前「それも俺ですよね?」ぁ…ぅ………」
「………」
「………い」
「い?」
「一週間前れす…」(小声)
「…」
「…」
「はぁぁぁぁ…」(クソデカ溜息)
「べ、べ別にいいじゃないっ!この薬屋は趣味でやってるから採算は取れなくてもいいし…」
「だからと言って赤ばかりじゃ成り立たないでしょう?」
「…昔稼いだお金があるから大丈夫だもん…」
もんて…
「と・に・か・く!これまでの恩も全然返せていないのに、適正以上の報酬を受け取るわけにはいきません。1の仕事には1の報酬を。ここは等価交換の法則に則って決めるべきでしょう」
「むむむ…」
お互いにじっと見つめ合うが、俺が折れないということを悟ったのか諦めたように溜息を吐く。俺の目力の勝利である。
「…もう、わかったわよ………えーっといくらくらいになるの?」
「銅貨20枚くらいが適正ですね」
「20枚………やっぱり少な「あ、そうだ!」
やっぱり納得いかなそうなユーリさんを食い気味に遮る。もうすりこぎと交換ということにしてしまおう。20枚で丁度いいし。
「さっき店内を見てた時に欲しいものがあったんですよ。加工の報酬でちょうどなので、これ買わせてもらいます」
「なにそれ?」
「すりこぎですよ」
「んんー…すりこぎ?…そんなの置いてたかしら………それに、どうせならもっといいものでも…」
もう勢いで押してしまおう。
「いえ!俺はどうしてもこのすりこぎがいいんですっ!もうこれ以外は考えられませんっ!これこそまさに愛!たとえ天上の神々であろうとも、この縁を引き裂くことは決して出来ないでしょう!」
「…そ、そうなの?」
「そうなんです!」
「そうなの…」
だいぶ引いているが、なんとか納得してくれたみたいだ(強弁)。これぞ俺のパーフェクトコミュニケーション。会話、説得、言いくるめは知的生命体における三種の神器である。
「ま、まぁいいわ。え…っと、すりこぎだったわね………わっ、結構重い………うん…うん、特に問題なさそうね」
俺が持っていたすりこぎを受け取り、回し見たり、軽く叩いて品質を確かめる。中古なのにも気付いたようだが、特に問題ないらしい。
「これを買うってことは回復薬でも自作するの?」
はいどうぞ、とすりこぎを手渡されながら会話が続く。
「ええ、あんまり足しにはならないかもですが、多少なりとも消耗品の費用を抑えられるかなと」
「坊はあんまり回復薬とか普段使いしないタイプだものね」
俺だって男の子だ。本当は、危険なダンジョンや強敵との死闘というのも心躍らないでもない。しかし、ただでさえ特化魔法師な上にその唯一の魔法も攻撃用じゃないのが致命的だ。パーティーを組むことすら厳しい。
なので、俺の冒険者スタイルは基本的に、ソロで安全マージンを取りながらなるべく危険を冒さない行動、というのが大前提となっている。つまり回復薬が必要なほどの怪我を負うことは滅多にない。なにかしらのトラブルがない限り使うことはないだろう。
それでも緊急用として、回復薬5本、中級回復薬3本、高級回復薬1本の回復薬3点セットは常に持ち歩いている。中でも高級回復薬は1本で金貨1枚もするというエグい価格をしているが、その分性能も凄まじく、指の欠損くらいなら治してしまうほどの効果だ。
ある意味怖いが、一本持っているとそれだけで安心感が違う。何かあれば、いずれこの辺の回復薬をどばっと使う羽目になるかもしれない。今から震えるが、いざという時には大盤振る舞いじゃ。覚悟しな。
「戦闘狂の奴らみたいに湯水の如く使うってことはないので、専ら緊急用になりそうです。今はとりあえず手を出してみるかっていう程度ですけどね」
「何事も新しいことにチャレンジするのは良いことよ?まぁ、何か分からないことがあったら聞きに来なさいな。基本的なことくらいなら教えてあげるから」
「えっと、いいんですか?」
「新規参入も難しい分野だからね。基本的な事を教えたくらいじゃ何も変わらないわよ。まぁ、坊がうちの薬のお得意様ならあまり教えたくないけど、最初に買ってくれたっきりじゃない」
「なかなか使う機会が無いもので…まぁ、安心してください。これまで通り薬以外もここで揃えさせてもらいますから」
「えっと…うちは薬屋なんだからもっと薬を買ってもいいのよ?」
「無くなったら買います」(鋼の意思)
「そ、そう………ま、まぁいいわ。じゃあ報酬と引き換えにすりこぎ…っと、うん、買ってくれてありがとうね」
「いえいえ、こちらこそありが…ん?」ピロリロリン♪
『ユーリの使用済みすりこぎ』を手に入れた。
…びっくりするほどいかがわしいアイテムを手に入れてしまった。…何という事だ。装飾の仕方に悪意しか感じない。
俺はこれから『ユーリの使用済みすりこぎ』を使って薬の調合をするのだ。
大丈夫?せっかく作った薬に変な属性付かない?ユーリの聖水とか出来ちゃったらもう言い逃れできんぞ?
途中で言葉を止めた俺を不思議そうに見ているユーリさんに物申すことにする。
「あ、そうだ」
「ん、どうしたの?」
「一つ言いたいことがあったんでした」
「ん~、なにかしら…」
特に心当たりもないのか首を傾げている。
「えっとですね、中古品を売るのはいいんですけど、元の所有者の名前くらいは消しておいた方がいいと思いますよ?」
「へ?」
「ほらこれ」
と言って、すりこぎ棒の頭をユーリさんが見えるように向ける。すると、なんとそこには燦々と輝く『ユーリの』という文字がっ!
「は…ぇ…へっ?え…ぇぇえええっ!?こっこっこれっ、わたっ私のっ?!」
まったく予想していなかったのか、素っ頓狂な悲鳴を上げるユーリさん。
「ち、ち、ちょっと待って!なん、なんでそんな恥ずかしいのが店に出てるのっ?!」
(恥ずかしいのか…?)
「私が置いた!」
「イリスぅーっ!!」
おまえかっおまえかっ!と涙目でイリスの襟を掴んでガックンガックン揺さぶる。
「大分前っにっ置いたのにっ気づっかないごっ主人もご主人だっ。これっに懲りたらっ雑貨っの方も少っしくらいは整理するっのだな」
そんなユーリさんの様子も意に介さず、揺さぶられているせいで途切れ途切れだが、正論をブチかますイリス。
正論には勝てなかったよ、な姫騎士ユーリさんは、ぅぐっと喉を詰まらせたような声を上げ怯む。イリス相手の分の悪さを悟ったのか、今度は俺の方に矛先を変える。
「ね、ねぇ?やっぱりそれは返品した方が…ね?」
「えぇぇ…」
「だ、だって…ほ、ほら…ぼ、坊も私のお古なんていやでしょう?」
「いえ、別に俺は問題ないですね」
「うっ…ぐ………そ、そんなに(私のお古が)欲しいの?」
「ええまぁ、(今更自分で作るのも面倒なので)欲しいですね」
えぇ~だの、うぅ~だの、唸っていたユーリさんだったが、やがて観念したのか、がっくりと肩を落とす。
「はぁ………そ、そこまで言うならしょうがないわね。すっっっっごくっ!恥ずかしいけどっ!!まぁ、物が良いのは保証するわ………坊なら心配ないと思うけど大事に使ってあげてね…」
頬を赤く染めながら、すごくをすっごく強調しながら言うユーリさんだったが、なにやらこれほどまでに恥ずかしがっているのにも理由があるらしい。今日は結構いっぱいいっぱいそうだったのでスルーし、後日改めて理由を聞き出すことに成功した。
これは職人あるある話らしいのだが、どうも自分が未熟だったころに雑に扱ってしまった道具を見られるのは大層恥ずかしいらしい。ちょっと意味が分からないが黒歴史を暴露されているようなものなのだろう。
その時に、このささくれと、ここのへこみは特に恥ずかしいからあんまり見ないで、と言われたがまったく違いが分からなかった。極まった職人というのはどこか変人としての気質を持つのだろう。ちゃんちゃん。
「さて」
荷物を背負い直す。
「あら、もう行くの?」
「ええ、まぁ…あんまり長居するのもあれなんで」
「ふふ、うちの客足を見てそういうこと言うのかしら?」
「それはそれ、これはこれ、ということで」
「ん?もう行ってしまうのか?」
「おう、イリスもまたな」
「むぅ………いつも思うのだが、こういう別れと言うのは心に来るものがあるな」
「たかだか数日で大げさなやつだなぁ」
「………そうね」
「ユーリさん?」
「ううん、なんでもないわ。あ、そうそう…」
少し沈んだ空気を払うように話題を変える。
「いくつかギルドに依頼を出してるから、余裕があったらまた受けてね?坊が受けてくれるなら私も安心だし」
「えぇ、まぁ受けれるものなら受けますけどね。…でも、ランク1なので採取系しか受けられませんよ?」
「それくらい知ってるわよ………ん~、にしても不思議ね。未だにランク1なんて…ここまで長いことランクが上がらないなんて話、ほとんど聞かないわよ?」
「まぁ、ランクに関しては宝珠次第ってのがありますからね。それに俺も躍起になって上げようって気はあんまりないんで」
「上がってくれると私も助かるんだけど………んー、ならしょうがないか。…冒険者に怪我は付き物だけど、死なないようにだけ気を付けなさいな」
回復薬なら融通利かせることくらいは出来るから…ね?っとウィンク混じりで茶化すように言うユーリさん。優しくてめちゃめちゃいい人だけど、やっぱり5×歳がやる仕草にしては痛ましすぎる…
「だから、なんで泣くのよ…」
またね、と、またな、という二つの声を背に扉へ向かい押し開く。
来た時と同じくリンッと澄んだ音が鳴り、まるで夢から覚めたように外の景色が広がる。やっぱりこの店の不思議な雰囲気は良い。
外に出るのが惜しくなるこの気持ちは、間違いなくこの店の強みだろう。もっと居たい店、また来たい店。そういう店が一つでもあるというのは望外の幸運なのかもしれない。と、そんなことを考えていると背後の会話が聞こえてきた。
「そういえば、ずっと気になってたんだけど………なんでイリスはほっぺにインクを付けてるのかしら?」
「は………ぇ?………ご主人…今、なんと?」
「うーん、今日はそういう気分なのかしらね…寝ぐせもあるし。まぁ坊の前だからいいけどあんまりお客の前で身だしなみに気を使わないのはどうかと思うわよ?」
「なっ!…っ…」
「あら、どうかしたの?」
「ごっ、ごしゅっ!ご主人がそれを言うかっ?!」
「ひゃぁっ!…な、なによ急に大声出して……びっくりするじゃない」
「ごっ、ご主人だって下着姿で抱き着いてたくせにっ!」
「は、はぁっ↑?!な、なに言ってるのよ。私がそんなことするわけが…」
「いーやっ、ご主人は忘れてるだけでさっきだって…」
パタリと背後で扉が閉まる。それと同時に先ほどまでの喧しい言い争いもピタリと聞こえなくなる。さすが防音性能の高い扉だ。思わず欲しくなっちゃう。うん。
大丈夫、何も聞こえなかった。
宣言通りに花壇に土を捨て、この場を一刻でも早く離れるため次の目的地に向け歩き始めた。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。