悪役令嬢に転生する話の序文だけ
いつ頃だったかは誰も知らないが、広大な銀河に生命の住む星、地球が生まれた。
その地球の住人らがユーラシア大陸と呼ぶ、巨大な陸地の東のそのまた東の海に浮かぶ、日本という国があった。
そしてその弓状の列島の南方に位置する大きな島の、その北部あたりの田舎町にとある一人の女子高生がいた。
見てくれというのが、眼鏡をかけ、よくよく見れば二、三本ほどの白髪が混じった野暮ったい髪型だが、どこか聡明そうな顔立ちをしていて、総じて卑しげな雰囲気は僅かにさえも感じられなかった。
歳は十六、高校一年生になったばかりである。
彼女は河原にぽつんと一人座り込み、悠久と流れる川の水を眺めていた。
(この川の水はいつ頃から流れているのだろう)
例え現代、科学技術の時代となっていても、この川の水の流れを絶やすことは出来ないのだろう。
川は決して澄んではいない、深いところは緑か青か判別の付かない暗い色をして、目を凝らすとスナック菓子の袋やペットボトルが川の浅瀬をコソコソと流れている。
何と罰当たりか、と彼女は憤慨して、靴と靴下を脱ぎ、制服のスカートの端を結びあげると、その川に足を踏み入れてゴミを取り上げようとした。
しかしながら、川底の石は苔むして、如何に裸足と言えどもバランスを保つのに難儀するので、彼女はとうとう足を滑らせてしまう。
アッ、と声を上げる間もなく前のめりに水面に飛び込んでしまい、頭まで水に浸かってしまう。
(この川、こんなに深かったのか)
奇妙な事だ、ここまで深いのなら上から見てもわかるはずだし、そうなれば彼女もゴミを拾い上げようとはしなかった。
確かに、間違いなく、浅かったはずなのだが、実に不気味である。
彼女はもがけども足は届かない、それどころか足をつってしまい、この山の中で人の助けも望めず、遂に川底に没してしまったのである。
暗闇の中呟く。
「思えば短い人生だった」
彼女は驚いた、自身の口から出た言葉に。
言葉の内容ではない、その言葉が出たこと自体に驚いたのだ。
まさか、死んだはずでは、と目を見開くと辺りは一面真っ白で、いつの間に雪国にでも来たのかと眩暈がした。
「汝を呼び出ししは我である」
突如辺りに声が響く。
辺りを見渡すも声の主は見当たらない。
しかし、目を瞑り、乱暴にこすった後また目を開くと、如何にもな風貌の女神と思しき人物が目の前に立っていた。
「汝を呼び出ししは他ならぬ我なり」
再び女神は口を開いた。
「呼び出したって、一体」
彼女には見当もつかない、何ゆえ呼び出されたのか、またこんな乱暴な方法を使わなくてはならないのか。
「汝は異世界に行きてもらう」
女神としては大真面目に言っているのだろうが、彼女には頓珍漢な事にしか聞こえない。
「あなた、頭がおかしいのね、さもなくばこれは夢かな」
ハハンと鼻を鳴らして笑った。
「汝、我を侮辱するか」
仏頂面の女神は更にその仏頂さを強める。
「汝はこの我に異世界に行けと命ぜられたのだ」
「突然人を呼びつけておいて、礼儀と言うものを知らないのあなたは」
彼女も負けじと食って掛かる。
女神は深い溜め息を吐いて、不貞腐れたように言い放つ。
「遠き国より呼び出してかしこし。汝には異世界に行きてもらわんと欲す」
これには彼女も大いに癪に障ったようで、眉をひくつかせている。
「人にものを頼む態度じゃありませんが」
考えてみれば、いくら女神とはいえそちらの事情で殺されたのでは、彼女の怒りも尤もである。
しかし女神の堪忍袋の緒が切れたらしく、これまでの仰々しい話し方とは打って変わって乱雑な言葉遣いへと変貌した。
「汝ねぇ、異世界に行けっつってんのよ!バカ!アホ!死ね!」
「もうあなたに殺されてるんだけど」
「汝、早く異世界に行きなさい!時間が無いのよ!」
「何時になっても別にいいよ」
うぐぐ、と女神は唇を噛み締める。
一方彼女はしてやったりという顔だ。
「汝……あなたはねぇ、異世界に行って悪役令嬢になるのよ、悪役令嬢に」
彼女は先ほどの表情から一変してキョトンとした顔になった。
「知らないの、悪役令嬢。よくあるでしょ、小説家になろうとか知らないかしら」
「いや、敵の幹部でしょそれ、嫌だよ、悪人になんて」
その名の通りならば、悪人である。悪役とあって悪役でないならただの令嬢だ。
「それにその、ボンデージみたいな服着るんでしょ!嫌だ、絶対嫌!」
「着ないわよ!着ないとは思うんだけど」
女神も自信無さげに言う。
「恥ずかしいもの、絶対に嫌だ、なんで悪役令嬢にしようだなんて」
「それは……」
女神自身も、どうして彼女を悪役令嬢にしようだなんて考えたか、思い返してみてもわからなかった。
「ええい、ままよ!」
女神は異世界への扉を開き、彼女をそこへ強引に押し込もうとした。
彼女は扉にしがみ付き、耐える。
「ぬおおおおおおボンデージは嫌だあああああああ」
叫びが白い世界にこだまし、女神もその気迫に押されそうになるも、何とか頑張って彼女を異世界へと捻じ込んだ。
扉を開いてから42分23秒後の出来事である。
女神は額の汗を拭うと、満足そうな表情を浮かべて、白い世界の中に消えていった。
とある世界にて、突如現れた女傑が砂漠の民を団結させ、世界中の交易路を支配する一大商人国家を築き上げたというが、それはまた別のお話。




