人生最大のピンチがきました<2>
「リリーは白いドレスが似合うな。それなりの高級ドレスを着たら見られないことはないのに、どうしていつも変な格好をしている?」
ハロルドは薄く笑いながらリリーを見おろしている。いったい一晩中何を語りあかすというのか? リリーはたまごに手をおいたまま怖くて動けない。
「ド、ドレスはジイヤが買ってきてくれたり手作りしてくれたりするの。私にはどれも大好きな素敵なドレスよ」
「そういうことか」とハロルドはクスクス笑う。
リリーはジイヤのことを馬鹿にされた気がしてとても腹が立った。リリーはジイヤっ子だ。本当の家族のように過ごしてきた。リリーはジイヤの作ってくれる素朴なドレスが大好きだ。
「それにしても君は一年前と比べるとムカつくくらいきれいになった。……とは言ってもまだまだ地味だけどな。リリーを美しくした男には後でしっかりお礼をしないといけないな。まだ生きているなら、だけど」
「…………!!」
ハロルドは蜜と毒を吐きながら、ベッドに座っているリリーにじりじりと近づいてゆく。
「たくさん遊んで、美人には飽きていたんだ。リリーのように純で無垢な女も悪くない」
ハロルドはたまごを毛布ごと持ち上げ、もう一つのベッドへ移動させる。そしてリリーの正面に座ると、リリーの顎を持ち上げ、キスしようとした。
「イヤッ!」
…ペチ……ン…………
やや間の抜けた音が部屋にかすかに響く。
気がつけばリリーはハロルドの頬をひっぱたいていた。
音と威力は大変今一だったのだが。
「はぁ?!」
「ごめんなさい! つい手が! あぁ、どうしよう……」
人を叩いたのは生まれて初めてで、リリーは思わず謝り、おろおろしてしまう。
私、なんて乱暴なことを……!
怒らせた? 叩かれる!?
リリーは恐ろしくなって、両手を自分の頬にあてる。
ハロルドは顔を赤くして、リリーの顔を睨みつけた。
ちょうどその時、ノックの音と共にドアの外から報事の声がした。
「ハロルド様、奥様がお呼びでございます」
ハロルドは小さく舌を打ち鳴らす。
「もぅ今晩はいい。気分を害した。私は違う部屋で寝るからリリーはここで寝ろ。明日のパーティーで正式に両家は結婚の準備を始めるから、よく眠って明日に備えるんだな。たまごはしっかり温めろ。分かったな」
部屋を出て行く前にハロルドは美しい笑顔を作り低い声で言った。
「私は今までの人生で一度も顔を叩かれたことも、女性にキスを拒まれたこともない。リリー。君は私に人生初めての経験を2つもさせてくれた。……そのお礼は、明日の夜にたっぷりとくれてやるから覚悟しておくんだな」
リリーはごくりと唾を飲み込んだ。
ドアが乱暴に閉められ、大きな部屋に一人残される。
はあぁ……
怖かったぁ……。
ハロルド様、顔が真っ赤だったわ。
相当怒らせてしまった。
どうしたらいいの?
明日の夜のことを考えると恐ろしくて、リリーは頭がくらくらする。涙がじわりと溢れてきて、リリーはしばらく声を出さないように泣いた。
でも取りあえず、窮地は脱したんだわ……。
何もなかったことに感謝しなければ。
緊張の糸が切れたリリ一は、急激な眠気に襲われた。
「そうだ。たまご……」
リリーは隣のベッドに移ると布団をかぶり、たまごを抱いた。こんな大変な状況の中なのに、たまごを抱くと不思議に安らかな気持ちになっていく。
お父様お母様たちがひどい目にあっていませんように……
ジョンやシルバー、ペコたちが無事でありますように……
この子が元気に育ちますように……
リリーはたまごにそう語りかけながら、静かに眠りに落ちていった。
◆◆◆
次の朝、リリ一はハロルドの部屋で一人で朝食をとったあと、再び侍女が来るまでたまごを温めていた。
「リリー様、お風呂とお着替えのお時間でございます」
この家の侍女は美人ぞろいだ。公爵家ともなると侍女のクオリティーも数も格段に上なんだと感心させられる。2人の侍女は揃って長身でリリーが見とれるほど美しい。
「昨日の湯殿に行けばいいのね?」
「はい。お連れいたします」
「いいわ。私一人で行けるわ。それより頼みがあるのだけど」
侍女たちは困った顔をする。
「え、でも侍女長が……」
言われた通りにリリーを連れて行かないと、侍女長におこられるのだろう。
「今日一日2人で交代しながら、私の代わりに竜のたまごを布団の中であたためて下さいますか? たまごを温め続けろと、ハロルド様の命令なんです。侍女長さんには話しておきますから」
「…………竜のたまご、ですか!?」
リリーは美人侍女2人に丁寧にたまごの温め方を教えてから湯殿へ歩いて行った。
リリーは時間をかけて白と薄いピンクの豪華なドレスを着せられた。昨日のドレスの何倍もの真珠とレースが使われている。髪はきれいに編み上げられ、ダイヤのついた小さなティアラが飾られた。そして化粧を施されると、見違えるほど素敵な女性に変身した。
ハロルドは着飾ったリリーを見て満足そうだ。
うっすらと笑みを浮かべ、リリーをパーティー会場へエスコートした。
◆
パーティー会場は、侍女たちが忙しそうにテーブルセッティングしている真っ最中だった。
リリーは落ち着かなくて、ハロルドに手伝ってもいいかと尋ねたけれど、令嬢はそんなことはしなくていいと怒られてしまった。
仕方なくリリーは大きな西側の窓ガラスのそばへ行って風景を眺めることにした。
この大広間の両面の壁と天井はガラスばりになっていて、部屋の西側はまるで空中に浮いているかのような錯覚に陥る。
リリーは自分の家や竜使いたちが住んでいる森がある下の方向を一生懸命覗いて見た。
はるか斜め下にリリーのお屋敷の屋根が見える。
父母は無事だろうか
ペコは?
ジイヤは?
ジョンは見つかっていないだろうか?
どうしてノートをジョンに貸してしまったのか、悔やまれてならない。
でもジョンにはシルバーがいる。きっと他の竜使いたちはジョンの居場所をしゃべったりしない。
リリーは皆の無事を心の中で一生懸命祈った。
◆
やがて護衛の者たちに連行されるようにリリーの両親が広間へ入ってきた。ジイヤの姿はない。
「お父様、お母様!」
「リリー!! 無事だった? 酷いことされていない?!」
「大丈夫よ。何もひどいことはされていないわ。昨日の夜はたまごを温めて眠っていたの」
「はあぁー。それはよかった……」
リリーの父サンダーは心底ほっとしたように息を大きく吐いた。
「リリー、顔をよく見せて!」
母の方へ走りよろうとするリリーの腕をつかんで、ハロルドは「さあ早速パーティーを始めましょう。お座り下さい」と両者を引き離した。大広間の西側の眺めの良い場所にセットされたテーブルには、美しい花と高級な食器、グラスなどが並べられている。
ハロルドの父親不在のまま両家のパーティーが始まった。
静かな音楽が演奏される中、次々にご馳走が運ばれてきて、両家は当たり障りのない会話をかわす。会話の中でコーリン公爵はここ数日特に具合が良くないとハロルドは説明した。今はどうしても、リリーの父に会わせたくないのだろう。
時々、リリーの母親とハロルドの母親の目が合い、静かに火花を散らしているのを、リリーはドキドキしながら見ていた。
リリーは胸がいっぱいで、料理が喉を通らなかった。一方隣に座るハロルドはとても機嫌良く出てきた料理をたいらげ、リリーの方を見ては含みのある微笑みを浮かべるのだった。
食事がおわった頃、4人の護衛たちが帰ってきてハロルドに報告をした。
「ハロルド様、残念ながら竜使いのジョンは見つかりませんでした。竜使いたちは頑固で無口な連中です。一晩かけて森のすべての竜使いの家を訪ね歩きましたが、ジョンという少年はいませんでした」
報告を聞いたハロルドは怒りが抑えられず、テーブルを叩いて護衛たちを叱りつけた。
「役立たずめ! お前たちは首だ! この部屋の2人の護衛以外は森へ行って隅々まで捜してこい! 葉っぱの裏、石ころの下も全部さがせ! 大急ぎでだ!」
隣に座るリリーはハロルドの大きな声にびくびくしながらも、ジョンが見つからなかったことを神さまに感謝した。
ジョンが無事で本当に良かった!
リリーがそっと両親の顔を伺うと、2人とも安堵したような表情でリリーを見返した。
食事がさげられたテーブルの上に、婚約の契約書と結納金らしきずっしり重そうな布の袋が、ハロルドの手によって置かれた。
「大丈夫。必ず捜し出して、ここであの手紙を燃やし、結婚の結納金をあなたに納めますよ、サンダー・ブラウン。そして、リリー・ブラウンと必ず結婚します。私はあなたの娘さんがとても気に入りました。当分の間私を楽しませてくれそうですから」
不適な笑みを浮かべリリ一とリリ一の父を見る。
その時広間の大きなドアが開き、一人の人が籠を抱えて入ってきた。
「ジイヤ! 無事だったのね!」
「ジイヤ何処へ行っていたのだ?」
リリーとリリーの父親が驚いて立ちあがる。
「何をしに来た? ここは両家の家族だけの大事なパーティーだぞ」
ハロルドがジイヤを睨みつける。護衛がジイヤに剣をむけるが、ジイヤは怯むことなくハロルドに告げた。
「ジョン様にわたくしが会って参りました。事情をお話ししましたら、ノートと手紙はジョン様ご自身がこちらへお持ちするとおっしゃいました」
「何? 持ってくるだと?」
「ええ、少し時間がかかるとおっしゃっていましたが、多分ご到着はもうすぐかと……」
「そうか、それはちょうどいい」
ハロルドは楽しそうに黒い笑みを浮かべる。そして護衛の者たちに剣をしまうよう命令した。
リリーは後ろを振り返って、窓ガラスの下の方をじっと見つめる。
ジョン、来てはだめ!
きっとノートも手紙も奪われて、あなたは殺されてしまうわ!
一生懸命祈るような気持ちで下方を見つめる。
しかし、それは上から、真上からやってきた。
ガッシャーン
突然大広間の天井ガラスの東半分が破壊され、大きな音と風と共にガラスが降り注ぎ、4mの竜が、広間の端の床上に降り立った。
シルバーには2人の人物が乗っていた。
広間の西側のテーブルにいた両家の人々はあまりの光景に言葉も出ず立ちつくてしいる。
「リリー!」
竜の背の上からまずジョンが飛び降り、その後から立派な装束の男性が降りてきた。
「ジョン!」
リリーはジョンの姿を見て嬉しさで涙が零れそうになる。走りよりたいが、腕をハロルドに掴まれ動くことができない。リリーとハロルドまであと3mというところまでジョンは進んだが、護衛がぬき身の剣をもってジョンを阻んだ。
皆の注目がこの3人に集まる。
「リリー、ひどい目に合わなかった? ハロルドに乱暴されなかったかい?」
ジョンは心配でたまらないという表情で叫ぶ。
「大丈夫。何も酷いことはされていないわ。安心して。ジョンも無事で、本当に良かった……!」
ジョンはリリーの無事を確認してホッとした。そして今度はハロルドに向かって「リリーを返してもらいに来た。その汚い手を離せ!」と叫んだ。
「お前が竜使いのジョンか。お前の身分で何ができる? さっさと手紙とノートを渡せ。手紙を燃やし結納金を払ったら、リリーは私のものだ。今晩リリーを私がいただくのだ。お前は指をくわえて見ているんだな!」
ハロルドは勝ち誇ったように笑った。
その時「そろそろ私にも喋らせて欲しいのだが」と、一人の人物がジョンの横に進み出た。
その人物を見てハロルドは言葉を失う。なんとそこに立っていたのはカロン王国第二王子のアレク王子だったからだ。
「「アレク王子!?」」
リリー以外の人たちは驚いてあたふたしている。どうしてこの場にアレク王子がいるのか、全く分からない。
「アレク王子、これはどういうことです? こんな形で乗り込んでくるとは!」
ハロルドは驚きと苛立ちを隠さないで言葉を吐き出した。
「申し訳ない。急ぎの用件が2つあったもので、馬より早いし、竜使いに頼んで竜で来てしまった。ガラスは後で弁償しよう。うろたえるな」
皆が呆気にとられる中、アレク王子は2つの用件についてしゃべり始めた。




