守りたかったこぎつね
あるところに、ひとりぼっちの仔狐がいました。
仔狐はまだほんの小さい頃に家族がいなくなりましたから長い間ひとりぼっちでした。
何しろ子供でしたからまいにち生きるだけで必死です。
それでも、親切にしてくれる仲間たちと過ごしていました。
雪が深く積もったある冬の日。
心配になった狼のお母さんが訪ねます。
「ひとりぼっちで寒くないのかい」
「お父さんからもらった立派な毛皮で冬なんて平気だよ」
そう言ったものの、ひとりぼっちのねぐらは身を寄せ合う仲間もいなくてとても寒い思いをしていました。
やがて暖かい春になりました。
春になって獲物が増えても、ひとりぼっちで捕まえられるか心配した山猫の狩人がたずねます。
「おまえ、十分に食べているかい?」
「お母さんからもらったこの鼻と耳で獲物は逃さないんだ」
そう言ったものの、目が不自由な仔狐の狩りは下手でした。だけれど子狐は身体が小さかったので、少ない食べ物でも我慢できました。
ある夏の日。
雨が止まなくなりました。
毎日降り続く雨に、川はあふれ、畑は水浸し。
森に住む仲間たちは不満を口々に漏らしています。
「こうも雨が降り続いてたら全身かび臭くなってしまうよ」
「あんまり水が多くてたくわえてた食べ物がくさっちゃった」
みんな、雨が止むのを待っていました。
だけど何日も雨は降り続きます。
ついに森の中まで水が流れてきました。
困った国中の生き物達が集まって、話し合いを開きました。
「どうして雨が止まないんだろう」
「わからない、誰かが神様を怒らせてしまったせいだ」
「それなら誰かを神様の元に送ってお願いしてもらおう」
けれど、誰も手を上げる者はいません。
だって、大切な家族と永遠に会えなくなってしまうからです。
そんな中小さな手が上がりました。
「ボクが行ってくるよ。そうすればみんな助かるでしょ?」
仔狐です。
家族が居ない事を知っていましたから、皆納得しました。止める者はいませんでした。
それから仔狐は手を上げた後にこう思いました。
「もうみんなと会う事はできない。神様に会いに行くという事はきっとそういう事だから」
仔狐は子供だけど知っていました。
それでもこれ以上、みんなの困った顔を見たくなかったから覚悟を決めたのです。
荒れ狂う川の上。皆が見守る中、仔狐は橋のたもとから歩いて行きます。
橋の真ん中まで来た時、子狐は一度だけ振り返りました。
「ちゃんとお願いしてきます。だから心配しないで」
子供とは思えない仔狐の強い言葉に、絶対に邪魔してはいけない。みんなはそう思いました。
少しの間をおいて、子狐は濁流に飛び込みました。
雨はやみました。
それまでが嘘のように空は晴れ、川は澄みきっていきました。
ぼろぼろになった子狐の亡骸は川べりに打ち上げられていました。
誰かがむすっとして面白く無さそうに子狐の亡骸を見つめています。金色の毛並みは薄汚れていて、身体のあちこちが裂け、ぼろ雑巾の様です。
一部始終を見ていた彼はぼやきます。
「雨は儂のせいじゃないんじゃが」
そうしてひとつ深いため息をつくと仔狐の少し開いていた眼を閉じてあげました。
その表情は、落ち着いた水面のように静かで優しいものでした。
「国中の生き物が喜んでいるというのに、お前はもう何も言わない。儂はただ生きているお前と話をしてみたかった」
仔狐のぼさぼさの毛並みを優しくなでながら老人はつぶやきます。
「もしまた会うことがあれば、その時はゆっくり話でもしよう」
……残されたのは静かに水音を立てる川と、仔狐の亡骸だけでした。
◇
冷たい水が頬に打ち付けます。
身体を起こして、ゆっくり眼を開けて見ると、眩しい光が入ってきました。
徐々に見えるようになった瞳には真っ青な空が映っています。
「……うわぁ、あれ何だろう」
空には大きな虹がかかっていました。
生まれて初めて見る虹でした。
それは見とれてしまう位にとても美しかったので、毛皮も、よく効く鼻も無くなってしまった自分の身体の変化に気が付く事はありませんでした。
――こぎつねが人間達と一緒になって旅をするのは、また別の話。