その男、狡猾につき
※割り込み投稿です。
隠しキャラの家庭教師視点
一番難産でした…。
不思議な姉妹だったと思う。
彼女たちは、お互いにしかわからない距離感でお互いにしかわからない糸を紡いでいる。その袂が別たれたのも必然のことだったのかもしれない。
だが、私ならば彼女らに他の道も示せたのではないかと、今では思うのだ。
何故なら私は彼女たちの師であったのだから。先達として、導く者として、私が出来ることはまだあったのではないか。…なんて、今更何の意味もないことだが、そんな後悔に似た思いを抱えている。
幼少より神童だとか麒麟児だとか言われていた私は、まだ年若いにも関わらず幼いレイチェル様の家庭教師に選ばれた。のちに聞けば年近いことが逆に良かったらしい。私は生まれは子爵家と伯爵家に比べ格下だが、将来に期待できるとしてレイチェル様の婿候補となっていたからだ。これはレイチェル様には伝わっていないけれど、クルーゲル家では周知の事実として広まっていた。
婿候補とはいえ、婚約者というわけではない。私はレイチェル様の幸福を思った夫妻が、保険として用意したもの。自然と愛し愛される相手が現れればそれまでの都合の良い存在。
それでも構わなかった。ずっと側にいる私をレイチェル様が好けば伯爵家を継ぐことができ、そうでなければ伯爵が後ろ盾となり王宮に仕官出来ることになっていたから。いくら私が優秀とはいえ、権威ある後ろ盾があるとないとでは雲泥の差。どちらに転んでも私に損はない。
人生を数年捧げるのだ、それくらいしてもらわなければ割に合わないだろう?
これは、一種の契約なのだ。
「クロヴィス先生! こんにちはっ」
「レイチェル様、そこはごきげんよう、ですよ」
「あ、間違えちゃったえへへ」
まだ子どもとも言える少女に、恋だの愛だのを感じたりはしなかった。小さいものを可愛いと思う気持ちはあったが、それ以上でもそれ以下でもない。しかし時を経る毎に、子どもから少女へ、少女から淑女へ変わっていく愛らしい彼女のことを憎からず思い始めていたことは事実だ。
ただ、私と彼女には10という年の差があり、それは互いに深い溝を感じさせていたこともまた事実だ。男女の情というよりは年の離れた兄妹のような、でもそこに血の鎖は存在しない。それがまた関係を曖昧にした。
さて、レイチェル様より遅れること数年、セイラ様の強い要望で彼女にも勉学を教えることになった。表向きは私の指導を賜りたいというものだったが、私は彼女が別なことを目論んでいてわざわざ指名したのではないかと思っていた。
───姉の婿候補として選ばれた私を奪い取るつもりではないか、と。
そのころ既に伯爵家の内情を知る私は、偏見の目でセイラ様を見ていた。彼女は、いつも姉と比べられ捨てられ失うばかり。だから一つくらい姉から何かを奪いたく、一番身近で貴族だが下位の者で周囲に優秀とされオマケに容姿も整った私は彼女にとって都合がいいと思ったのだ。
後にして思えば自意識過剰も甚だしく、彼女の思惑はまったく別のところだったというのに。
「先生は、海を見たことがありますか?」
彼女が初めて勉学以外のことで話しかけてきた言葉がそれだった。いつだって焦点の合わない彼女の目線が、初めて私にぴたりとあった瞬間でもあった。
色の見えない目が青く煌めいたような、そんな幻影を見た気がした。
「ありますよ、私の母方の遠縁にあたる叔母が海のある他国に嫁いでいまして。幼い頃に何度か尋ねたことがあります」
「………そうですか」
「セイラ様は、海にご興味が?」
「さあ…どうかしら」
意味深げに笑ったその顔は10代半ばの少女にはとても見えなかった。窓の先の何かを眩しそうに見やる彼女があまりにも遠く見え私は言葉を継ぐことができなかった。
「………ただ見てみたいのです」
「…それは、難しいかもしれませんね」
「何故?」
「海があるのは他国になる。貴族令嬢の貴女がこの国を出て遠くそれも他国に向かうというのは難題でしょう」
「ははっ!…そうね、私は伯爵家のお嬢様ですものね」
───どれくらいの人間がそう思っているのやら…と、皮肉げに言われた言葉で、私は思い違いに気がついた。
彼女は、伯爵家の娘という立場に縋り付いているのだと思っていたが、今の言い方は自分自身でその生い立ちを否定しているように聞こえたのだ。
表向きだと思っていた理由も嘘ではなかった。それはわかりやすく態度に現れていて、セイラ様は実に優秀な生徒だった。私の出す課題を水を得た魚のようにグングン吸収していく。予習復習も欠かさずその学習スピードは姉を遥かに超えていた。
このことを知っていたのは、私と彼女のつきの従者くらいだろう。彼女は伯爵家の中で蔑視とともに生きていた。誰も彼女の本来の資質に目を向けることはなかったのである。日向に生まれた影を気にするものは誰もいなかった。
実情を知っても尚、私は変わらなかった。己の立場を守るために逃げたのだ。伯爵家に潜む闇から目を逸らした。…間違ったことをしたとは思っていない。けれども教え導く者として、正しい判断だったとはとても言えないだろう。
ほどなくレイチェル様が学問を修めた頃、セイラ様もお辞めになった。まだ伝えるべきことはあったのに、なぜ辞めるのかその理由を聞けばもう必要がないからとただそれだけを言われた。あとに残されたのは庶民には必要のない学問ばかりだった。
結果、彼女が私に求めたのは教師としてのもの〈外への知識や海の話〉だけで、姉の婿候補としての私などには見向きもしなかった。
あの姉妹を取り囲む空気はほんとうに正反対だった。
天真爛漫で年相応の賢さ無邪気さ愛らしさを持つ太陽の化身のようなレイチェル様。それを慕う使用人たち。ひとたび夜会に現れれば場を明るくし居合わせた者の目をさらっていく。誰もが彼女に魅了されたし誰もが好意的に彼女を受け入れた。
一方セイラ様は常に静かで最早陰鬱と言っていいほどの静謐さを持っていた。さながら月光のような温度のないひかり。研ぎ澄まされたその空気は触れれば切れそうなほど鋭く感じられ誰も近寄れないし近寄らない。人は影を厭う。影のようなセイラ様もまた厭われた。それでもどうしてか目を離せない、謎の引力が彼女にはあった。
光と闇、正反対の魅力こそが彼女たちの姉妹たる所以だと、私は思った。似ていない、表と裏、切り離せないそれらが、姉妹を繋ぐ糸だったのだ。
我々にはそれぞれが持つ役割があって、あの伯爵家ではセイラ様を犠牲にそれが成り立っていた。
一度歪んで完成してしまったものを壊すのは難しい。だが、少しずつ解すことも出来たのではないか。
私は彼女らの教師で、唯一二人を平等に扱っていた人間だった。学問の前では誰しも平等が私の信条。その私が橋渡しをすれば、セイラ様は放逐という形で追い出されるのではなく、解放という形で自由になれたのではないか、なんて。今更恐ろしく愚かなことを。
すべては後の祭り。何もかももう遅い。
既に誰も、ここにはいないのだから。
稀に見る逸材と世間ではもてはやされた私だが、所詮この程度の存在なのだと空を飛ぶ鴉に笑われた気がした。
上手く書ききれなかったと思っているのですがとりあえず現状精一杯なので投稿しました。改変できたらしたいと思ってます…。
駄作ですが読んでくださりありがとうございました。