その8
夕暮れの丘は辺り一面、真っ赤に染まりどことなく寂しさを感じさせる。どんどんと沈んでいく太陽をぼうっと見つめていると、隣に影がかかった。
「女性が一人でこの時間にうろつくのは感心しないな」
「………………ノヴァ」
闇が増した空に溶け込めそうな男がそこにはいた。狩人で昔馴染みのノヴァ・エノクだ。彼の瞳は夕日を切り取った色をしていて、まさに今この時を映し出したかのような色合いだ。
「どうしてこんなところに?」
「ちょっとね」
「そうか……」
それ以上言いたくないという私の態度にノヴァはそれ以上つっこんではこなかった。
夕日はゆっくり地平に近づいていく。いつもの澄んだ青は紺碧に色を変えて、心まで吸い込まれてしまいそうな深みを湛えている。私の心の闇もあんな色をしているのだろうか。なんて。
とりとめもなく考え込んでいると隣の影は芝生の上に座り込んだ。残る日に照らされた横顔はゲームキャラらしく整っている。精悍な男前といったところかな。誘われるように私もその場に座る。二人でいる無言の空間は驚くほど心地が良くて波立って乱れていた心もすっと落ち着いていく気がした。
「……君は、とても寂しい目をしていたな」
漣みたいな静かな声でノヴァは話し始めた。寄せては返す波と同化してしまいそうな声だった。
「俺がまだ幼かった時、ある貴族の館に招待された。親父は有名な狩人だったからそういうことも珍しくなくて、ついて周っていた俺も一緒にそこを訪れたんだ。大人たちは大人たちの話があると言って俺は別の部屋に放り込まれた。
中にはペリドットめいた目をした金髪の綺麗な女の子がいて。明るくハキハキしたその子は口下手で強面な俺を怖がることも嫌がることもなく接してきた。
最初はそれがとても新鮮で、単純に嬉しかった。それまで同年代の女の子とまともに話したこともなかった俺にとっては余計に。
少しして、部屋の隅にもう一人いたことに気づいた。静かな瞳でどこかここではない遠くを見つめている女の子。目の前で楽しそうにする子とは対照的な、かといってつまらなそうとか不満そうとかではなくどこまでも無の感情しか見えないその目が忘れられなかった……」
あの時はわからなかったけど、今ならわかる。
「──君が、その身に隠していたものが」
黄昏色の瞳は、まっすぐ突き刺さんばかりにこちらを見ている。
私の心の内まで見透かそうとする目は力強くて、じりじりと焦がされている気になった。
「あれは君の孤独の色だった。あの年の子がするような目じゃなかった。それがずっと気になっていて、昨日話を聞いて、ようやく得心がいったんだ」
ノヴァの低く澄んだ声を聞きながら私は思考の海に溺れた。
ああ、私にもいた。
私を見てくれた人が。
私を気にしてくれた人が。
前世の私を思い出した時から今世の私は孤独じゃなかったけれど、それ以前の本当の孤独だった私を。
私にとっては短い邂逅すぎて、記憶の片隅に忘れ去られていたけど。
────それが、例えゲームのシナリオだったとしても。
***
「実はね、あれは……君がヒロインなんだよ」
ユーグはそう言って、笑った。
「君……っていうか”セイラ”はね、与えられた役割にしては人気が出て不遇な扱いの救済を求める声が多く出たんだ。その声はかなり大きくてファンディスクが出ることになったんだよ。だから僕やあの君に絡んでたお坊ちゃんに、あの……ノヴァ、だっけ? ……君の幼馴染くんは”セイラ”のためのお相手ってわけ」
ファンディスク自体、制作側としては作る予定がなかった上にヒロインまで変更されたものだから、新しいキャラクターを考えなくてはならなかった。結果、設定的には本編に絡んでいてもおかしくないが本編では一切言及されていないキャラが生まれることになったそうだ。
そういうわけで私は第三王子の存在を知らなかったらしい。前世的にも今世的も。
しかしゲームの強制力なのか、ノヴァのように過去にちゃんとフラグが立っていたり、エリオットが私の前に現れたりしたのだという。
「え、でもそしたら私とユーグが出会ったのは……」
「まあゲームの効果かもしれないけど、僕に言わせれば『運命』ってやつだね」
さすがに誰も、僕が”僕”として生まれてくることまで予想できやしないだろうさ。
なんて物凄くどや顔で言ったユーグには呆れたけど、困惑している私に気遣ってやったことだというのはわかっていたので私も「本物のユーグだったらもっとカッコよかったでしょうね」と言ってやった。
一緒に聞いていたフィアマさんも「それは残念ね」とノってくれて、私はこの妖精さんとは仲良くなれそうだと思った。
言われっぱなしのユーグはちょっとシュンとしてしまって可哀想になったけれどすぐに立ち直っていたから、たぶん大丈夫。
「でもこうして再会できたのはやっぱり運命としか言いようがないよ」
しみじみ言うユーグの言葉に、私も深くうなづく。
「確かにそうかもね。姿は二人とも変わってしまったけど、また貴方に会えたことは奇跡だわ」
「その奇跡の一端を見れただけでも幸運だと私も思う。退屈な妖精の世界では絶対に見れなかったことよ」
「そう言ってもらえると契約者としても嬉しいね。君の力には世話になってばかりだし」
「あれくらいならお安い御用よ」
仲の良い主従関係のようで見ている私もなんだかほっこりとした気分になった。
そうしてしばらく三人で話をしていたけれど、まだ仕事があるので私は二人に退出の挨拶をして部屋を出たのだった。
部屋を出ておかみさんと交代して受付の席に座る。今日は人の出入りが少なくて、つい考え事に頭が偏ってしまう。
記憶を思い出す前の境遇も、思い出した後のこれからも。
どこまでいっても私の人生にはゲームの影響がある。
前世の記憶だとか、友人だとか、多少のイレギュラーはありつつも結局は呪縛から逃れられていないという事実は思いの外、胸にくるものがあった。
私は私の道を歩きたくて、シナリオを利用してあの国を飛び出した。
でも飛び出した先でもまだシナリオは続いていて。
私の自由は一体どこにあるというのか。
そう考えると、たまらなくなった。
そして、仕事を終えると一目散に丘へと向かったのだ。