鮮血舞うラーメン屋と挑戦者達
そのラーメン屋は、とてつもなく山奥にあった。
山道を登り、崖をいくつか越えるとやっと辿り着けるといった具合だ。
一見すると廃墟だが、実際のところはひっきりなしに客が訪れる繁盛店なのだから、商売というものはよく分からないものである。
ラーメン屋「絨毯爆撃」の売りは、店主自ら打つ喉ごしの良い麺と代々継承されてきた秘伝のスープであるが、実際問題それは客足とほとんど関係のないものだ。
では、この辺鄙な場所に立つラーメン屋に客が訪れる理由とは、一体どういったものなのか。
それは、実際に見て確かめるのが良いだろう。
青年は、一人崖を登っていた。
その精悍な顔にはじわりと汗が滲み、筋肉逞しい両腕から伸びる手は、しっかりと崖の凸面を捉えている。
「あともう少しか……」
片手で崖にぶら下がりつつ、もう片方で地図を開いて青年は呟いた。
もう少し、というのは、もちろん件のラーメン屋までの道程のことである。
崖を登りきり、崖の縁へと降り立つ青年。その瞳には、好戦的な色が浮かんでいた。
三つあるうちの最後の崖から「絨毯爆撃」までは、常人が歩いて一時間程度である。
ここまでで既に誰がそんなところへ好んで行くのだという話になるのだが、話はここからなのだ。
「ごめんください」
あれから三十分足らずでラーメン屋へ辿り着いた青年は、指無しグローブを嵌めた手で扉を叩いた。
その時である。
扉が荒々しく外側に開き、青年にマシンガンの銃口が突きつけられた。マシンガンを目で辿れば、構えているのはなんとうら若き女性である。
ピンク色の髪にゴーグル、厚い皮のジャケット、迷彩柄のホットパンツといったアーミーファッションで身を固めている。腰に巻かれた「ラーメン屋 絨毯爆撃」という赤いエプロンだけが、その中でどうにも不釣り合いだった。
「いらっしゃいませお客様、注文はお決まりでしょうか?」
その格好のままそんな台詞を吐かれるのだから、尚更である。
「味噌ラーメンネギ多め温卵付き並盛で頼む」
青年も負けじとヌンチャクを取り出しつつ、メニュー表も見ずに答えた。
「へえ、体術ね。良いわ、存分に掛かってきなさい。――ルールは分かっているわよね?」
ゴーグルを装着し、にやりと笑う女性。視線を交わす両者。厨房から漏れてくる香りと熱気。雰囲気は、最早ラーメン屋のそれではない。
「では、こちらから行かせて貰う!」
ヌンチャクを構えると、青年は余り広いとは言えない店内へ走り込んだ。
「はァッ!」
青年がヌンチャクを放つ。女性はそれをひらりとかわし、マシンガンの弾を乱射する。青年は、金属製のカウンター椅子を盾にして銃撃を防いだ。椅子に数発の弾丸がめり込む。
「もっと刺激的に攻めてきたらどう? これじゃあつまらないわ」
ゴーグル越しの目が光った。
青年も不敵に笑う。
「体力は次の試合に温存したいのでね」
「なるほど、あたしは雑魚とでも言いたいわけね。いいわ」
再びマシンガンが乱射される。木製のテーブル、昔の名残で注文の札がびっしりと貼られた壁。青年が射撃を避けるのに沿って、マシンガンの弾丸がめり込んでいった。女性の足元に、大量の薬莢が散らばる。
「さあ、どうなの? 少しは反撃してきなさいよ」
女性が声を放った、その時である。
「ほァァッ!」
女性の背後に回り込んでいた青年が、素手でその首筋に盛大なチョップを入れた。
女性は、ぐらりとその場に倒れ込む。
「……やるじゃない、あんた」
憎々しげに呟いた女性は、勝負あったわね、と潔く自分の負けを認めた。
「伊達に鍛えてないんでね」
青年も、タオルで汗を拭きつつ答える。
「まあ、あんたも言うように、本番はこれからだけどね」
「分かっている」
青年は、その目で厨房の先を見据えた。
やがて暖簾をくぐって、一人の男性がその姿を現した。
潰れてウインクされた片目、それに沿うようにしてできている傷痕は、拷問の厳しさを連想させる。程よく立つロマンスグレーの長髪に、同系色のモノクル。左足の下半分は、義足だ。彼こそ、このラーメン屋の店主「尚」である。
「お父さん、終わったわよ」
そして、この女性「照」の父親でもあった。
「世界の僻地へようこそ」
右手にテーザー銃、左手にファルシオンの装備で、尚は歯を見せて笑った。
「もう少し交通の便がいいところに立てられなかったものかな」
「戯言は勝負が終わってからだ。麺以外のラーメンの用意は、既にできている」
まあ、自分に勝てたら、の話だが。
尚は、勝つのは間違いなく自分だとばかりに、テーザー銃を高く構えた。
「勝負は十分間。それまでにより多く傷を負わせた方の勝ちよ。負けたら当然、ラーメンはお出しできない。同点だった場合は、チャーシューを一枚抜いてお出しするわ」
審判役を務めるらしい照は、赤と白の旗を両手に持ちつつ説明した。頷く両者。
「――それでは、始めッ!」
両の旗が降り下ろされ、「試合」が始まった。
「はァァァッ!」
青年が尚に向かって走り込む。だが、尚は当然のごとくそれをかわし、テーザー銃のトリガーを握った。ワイヤーから、複数の電極が放たれる。飛び退く青年。
「なかなかやるな」
モノクルを小指で上げつつ、尚が言った。
「だが、まだ甘い」
テーザー銃のカートリッジを付け替えると、今度は左手のファルシオンを構えて、青年を切りつける。青年の肩に、鮮血が滴った。
「やはり、まだまだか」
痛みに歪む青年の顔を見下ろしつつ、尚は呟いた。
最近の挑戦者は骨がない、とは尚の感想である。
残り時間は、あと一分と少し。勝負あったな、と、テーザー銃を握り直し思う。
――――だがしかし、である。
不意に尚の構えるテーザー銃がその右手から飛んだ。弾いたのは、青年のヌンチャクだった。
呆気に取られた次の瞬間、青年の拳が尚の頬の傷痕のあたりを捉えた。二メートル程吹き飛ぶ尚。
その時、照の咥える笛がかん高く鳴った。
タイムアップ。尚の頬からは、僅かながら血の赤が滲んでいた。
傷の大小は関係ない。引き分けである。
「店主尚と挑戦者の勝負、一対一で同点。よって勝者はなし、引き分け!」
照が、驚いたように叫んだ。
「ありがとう、久々に面白いものを見せてもらった」
名はなんと言う、と、尚は青年に右手を差し出した。
「テラガミといいます」
青年――テラガミも、同じく右手を差し出す。
お互い、がっちりと戦いの後の握手を交わし合う。
「覚えておこう。さて、ラーメンだが、これはチャーシュー一枚抜きだね」
尚は、モノクル越しのブルーの瞳を細めて、いたずらっぽく微笑んだ。
「ええ、約束ですから」
テラガミも肩をすくめてみせる。
「さあ、少し待っているといい。照、挑戦者……じゃない、お客様に手当てを」
「分かったわ」
赤いエプロンを巻きつつ厨房へ戻っていく尚に、照が返事をする。
しばらくすると、カウンター席に座っていたテラガミの前に、湯気の立つ、チャーシューの一枚抜かれたラーメンが出された。「並盛」と言ったが、実物を見るととんでもない量である。
テラガミはもどかしそうに箸を割り、どんぶりに顔が付きそうな勢いで食べ進めている。
「お気に召したかな」
尚が厨房から声をかけた。テラガミの耳には入っていないようだが、それがなによりの返事だった。
「……カウンターの椅子を新調しなくては。それと、テーブルも」
気づけば辺りは銃弾でいっぱいである。
「照、お前はもう少し考えて弾を打てんのか」
やれやれといった風に呟く尚に、照が反撃した。
「そういうお父さんこそ、さっきテーザー銃で床剥がしてたくせに」
尚も人のことは言えないようである。
「……旨い」
頭上越しに交わされる親子喧嘩をよそに、テラガミはそっと漏らした。
「ちょっと血の気が多い」二人の店員(……と、割りと旨いラーメン)。これが、ラーメン屋「絨毯爆撃」の繁盛の秘密なのである。