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第9話

息を切らしてリカルドが自宅であるグランメリエ侯爵邸へ帰宅したのは、まだ夕刻前のことだった。

普段は日付を超えた深夜に帰宅する主人の思いがけない帰宅に、使用人たちは慌てて玄関に駆けつけて出迎えた。


「まぁ、本日はお早いのですね。おかえりなさいませ、旦那様」


しかしそんな使用人たちの声は聞こえないのか、リカルドは答えることもせず、玄関を足早に通り過ぎる。


「旦那様?!」


ただならぬ主人の様子に、使用人たちは後を追うこともできなかった。

もともと近づきがたい顔なのに、今日はさらに近づきにくい雄々しいオーラを迸らせている。

屋敷に仕えている者達はすでに主人が無暗やたらと怒るような人物でないと分かっていたが、それでも関わりたくないと思うほどに、リカルドから来る無言の圧迫感は大きかったのだ。


まずリカルドが向かったのは、ティナが好きなように使えるように用意した一番日当たりのよい2階の角部屋だ。

勢いよく扉を開いて、妻の名を呼ぶ。


「ティナ!!」


しかしそこには、ティナの姿は無かった。

居たのはティナに付けた侍女、神秘的な黒い髪と瞳が印象的なロザリー。

どうやら部屋の片づけをしていたようで、ふきんを手に持ったままの状態だ。


(……?)


部屋を見渡して、リカルドは不可思議な違和感に首をひねる。

閑散としていて、室内が少し寂しい感じがした。

どうやら物が一気に減っているようだ。

ただの日常の掃除にしては片付けすぎではいないか。


「まぁ、旦那様?どうなさいました?」


目を見開いてリカルドに向かてくるロザリーに、室内を見渡していたリカルドは目を向けた。

ロザリーが怯えたようにびくりと後ずさる。

それに気づいて、自分の顔が強張っていていつもにも増して女子供を怯えさせる表情をしているのだと自覚した。

でも今はそんなことに気をつかってやる余裕は持ち合わせてはいない。

とにかくティナと話し合わなければと、急いた口調でロザリーに尋ねる。


「ティナは?どこへ行った」

「……ティナ様、ですか」


とたんに曇ったロザリーの表情に、リカルドは胸騒ぎを覚える。

片付きすぎた部屋といい、なんだかおかしい。

焦燥感から、リカルドは無意識に言葉を荒げてしまう。


「どうした。どこに居るんだ。お前なら知っているだろう!」

「は…はい…実は、ティナ様よりこれをお預かりしております」


ロザリーが示した封書に書かれた文字に、リカルドは絶句した。


封書を開くまでもなく、宛名を書くべき場所に『離縁状』と書かれている。


「これ、は…」

「もちろん正式なものではございません。離縁の成立にはお互いの家の同意が必要ですから、ティナ様一人でお書きになったこれには何の法的制約もございません」

「そうだ。こんなの何の意味もない!」

「え、えぇ。でもティナ様はただ自分の気持ちを示すものとして、渡してほしいと…。後日正式にレジトール子爵家からお話があるのではないでしょうか」


ロザリーの差し出したままの封書を、リカルドは震える手で受け取った。

じっと、書かれた『離縁状』の文字を見る。


(間違いなくティナの字だ)


ティナと交わしたメッセージカードを、何度となく見返したリカルドが、ティナの字を間違えるはずがない。

侯爵家より爵位の低い子爵家から離縁を持ち出すことは、家をつぶされても文句が言えないほどの礼儀知らずな行いだ。

己と家族の命を棒にふるようなものなのに。

それほどに、ティナにとってここでの生活は辛いものだったのか。

こんなものを書かなくてはならなくなるほどに、自分は彼女を追い詰めていたのか。


「……ティナは、どこに」

「ずいぶん前にご実家に向けて発たれました。もう首都を出てしまっている頃ではないでしょうか」

「っ……」


リカルドは離縁状を握りつぶして、そのまま封書をポケットにねじり込む。

開いて読むつもりなんて更々なかった。

こんなもの何の意味も持たない紙くずにしてやる。

足早に部屋を退室すると、昇ってきたばかりの階段を今度は2段飛ばしで下り始める。


「旦那様、どちらに?!」


背後から慌てた様子のロザリーの声が聞こえた。

振り向く間も惜しくて、リカルドはぞんざいに声だけを返す。


「ティナを連れ帰る。離縁なんて絶対に認めない」


そう言う間には、もう階段を下りて玄関の扉をくぐっている。

コンパスの長い手足に加えて、非常に俊敏な脚力がこの時ばかりは役立ちそうだ。


「そんなっ……お待ちください!」


玄関から外に出てすぐも、馬小屋に足を向けたリカルド。

その彼を必死で走って追いついたロザリーの縋るような必死な声が呼び止めた。

次いで背後から勢いよく柔らかな身体が押し付けられる。

リカルドの大きな肢体に、ロザリーは背後から腕を回した。

驚いて振り向いたリカルドに、ロザリーは今度は正面から抱きついた。


「っ…おい」

「不作法申し訳ありません、でも…」


リカルドは、その見た目から女子供から遠巻きに見られ続けていた。

だから女性関係はかなり経験少なく、このような事態の対処法も持ち合わせてはいない。

突然の事態に驚愕しているリカルドを、ロザリーは濡れた黒い瞳で見上げて見せる。

女性特有の甘い香りと柔らかな女の感触ににただただ動揺した。

ロザリーはリカルドを見つめ続けながら、切なげな表情で口を開く。


「ずっと、お慕いしておりました。どうかティナ様を追わないでくださいませ」

「っ……」

「リカルド様の幸せの為だと思って、ティナ様に誠心誠意お仕えしてきました。リカルド様がお選びになったお方だからと。…でも、結局は嫉妬に駆られて、日に日にあなたへの想いが強くなるだけだった。お願いします、私と添い遂げて下さいませ!」


その必死な表情は、いつも凛とかまえた気の強いロザリーとはまったく違った。

本気でリカルドを想っているのだと、愛しているのだと、彼女は全身で訴えている。


「っ…すまない」


リカルドは我に返るとすがりついてくるロザリーの両肩に手を置き、彼女を自分から引き剥がしす。

ロザリーは酷く傷ついたような、今にも泣きだしそうな顔でリカルドを見上げている。


「俺の妻は、ティナだけだ。彼女へ立てた誓いは生涯破るつもりはない」


そう言い放つと、今度こそロザリーへ背を向けて馬小屋へと駆ける。

後ろからまたリカルドを呼ぶ聞こえたけれど、もう立ち止まることはなかった。


(あとできちんと話をしなければ)


想いを伝えてくれた人から逃げるように去ることに、一抹の罪悪感を覚える。

けれど、一番大切な人は決まっているから。

彼女を今追わないと、一生後悔するだろうから。

他の女に患っている余裕などなかった。

リカルドが欲しいのは、控えめにはにかむ表情がとても可愛らしい、あの少女だけなのだ。




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