第7話
「ティナ様、今日こそお気に召すものが見つかると宜しいですね」
馬車から降り立つなり、ロザリーはティナにそういって笑みを向けた。
「この間はごめんなさい」
「もう何度もお伺い致しましたわ。反省されたのなら宜しいのです。今度からはうかつに得体のしれない殿方と同席しないでくださいね?」
きちんと反省して謝ればあっさりと許してくれる。
こんなさっぱりとしたところもロザリーはティナの実の姉に似ていて、思わず顔がほころんだ。
……メオと出会い、お茶をした日からはすでに数日たっている。
結局あの日はなんの店にも立ち寄れず夕方の帰る時間になってしまったので、今度こそ城下の店を堪能しようと再びやってきたのだ。
「先日は髪飾りをご所望されておりましたから、良さそうな店を調べておきました。行きましょう」
「えぇ」
ロザリーが案内してくれた店は、アクセサリーを扱う小さな店だった。
華奢でシンプルで、だけど丁寧に作られたそれらはティナの嗜好をよく知っているロザリーが選んだだけある。
どれもが可愛くて、目移りしてしまう。
その中でも特別目を引いた髪飾りは、花の飾りにパールが散らされた小ぶりなもの。
「これがいいわ」
手にとって嬉しそうにするティナだったが、ロザリーはどうしてか不思議そうに首をかしげた。
「一つで…宜しいのですか?侯爵家の妻なのですから、店ごと買い取っても宜しいのですよ?」
驚いて目を丸くするティナに対して、ロザリーはさも当然といった表情だ。
(と、都会って…!)
そう言えば大貴族は気に入った職人を工房ごと囲ってしまうと聞いたことがある。
片田舎の小貴族で生まれ育ったティナには予想もつかない事態だ。
ロザリーもその洗練された立ち居振る舞いから貴族の出身だとは思っていたが、想定していた以上の高貴な生まれなのかもしれない。
「こ…これで良いわ」
「そうですか。-----では店主の方、こちらを包んでいただけますか?」
店主である小太りの男が商品を包む間、ティナは落ち着かない気分で立っていた。
(……慣れるべき…なのかしら…?)
小さくため息をついて、ふと窓から店の外に目を移した。
通りを歩く人はみんなとてもきれいに着飾っていて、女性はもちろん男性でも上着に大ぶりな宝石のついたブローチをしていたり、カラフルな羽飾りを帽子に飾っていたりと、非情に豪奢だ。
(…もしかして、私って野暮ったい?)
こうして通りを行きかう人を眺めていると、ティナのようなシンプルで可愛い感じのものが好きな人は少ないようだった。
首都では派手で豪華。目立つものが好まれているようだ。
侯爵家の妻としては都会的センスに合わせるべきなのかもしれない…しかしあんなに大きな宝石を日常的につけるのは何だか…と考えてティナは一人で眉を寄せる。
ここはロザリーの意見を聞くべきだろうと結論づけて、店主となにやらやり取りをしているロザリーを呼ぶ。
「……ねぇ、ロザリー?」
「はい?」
「あの、外に見える方々なん、だ…け……ど……」
「ティナ様?」
そうして指した、指の先。
一組の男女が誰かに気が付いて、ティナは言葉を失った。
ティナの様子の変化にロザリーも不思議そうに窓の外のティナの指す場所を目で追って、驚いたように黒い瞳を瞬きさせる。
「旦那様…」
「……っ……」
リカルドが、女性と仲睦まじく歩いていたのだ。
「………」
1ヶ月と少しぶりにみる夫の姿を、ティナは騒ぐ胸を押さえて凝視した。
いけないと。 見ていても良いことはないと分かっているのに。
どうしても目をそらすことが出来ない。
リカルドは隣にいる女性に合わせてわずかに屈みこみ、穏やかな表情で談笑しているようだ。
令嬢は20歳前後に見える。亜麻色の髪をしていた。
結い上げたあとに足らされたくるり綺麗にカールされている亜麻色の髪。
大きくぱっちりとした目も、バラ色に色づいた頬もふわふわと可愛らしい印象を受けた。
そしてリカルドは彼女にやさしく微笑んでいた。
ティナにさえ、時々しか笑ってくれなかったのに。
リカルドが手に持っていた花束を手渡しすと、彼女は頬を更に赤く染めてはにかんだ。
どこからどうみても恋人同士にしか見えない甘い光景に、ティナはただ立ち尽くしていた。
いつのまにか傍に来ていたロザリーがそっと、ティナに耳打ちをする。
「マリアンヌ様ですわ」
「っ……」
(あれ、が…)
あの人が、リカルドが長年想いを寄せ続けているマリアンヌと言う女性なのか。
----仲良く寄り添う2人から、ティナはどうしても目が離せない。
こんなに必死に見つめているのに、ティナの視線にリカルドはまったく気づかない。
ここにいるのに、彼が見ているのはマリアンヌなのだ。
ただ彼女だけを、幸せそうに見つめている。
いろんなものが音を立てて崩れていく。
これまで必死で保っていたものが壊れて、ティナの世界は真っ暗になった。
(気持ち、悪い…)
息がつっかえて、呼吸が苦しかった。
心臓の早鐘が止まらない。
どうにか落ち着こうと胸の前で手を握りこむけれど、握りこんだ手の震えも、止まらなかった。
寒くないはずなのに、ティナの指先が冷たく冷え切っていて感覚さえもおぼろげだ。
(もう、駄目…)
ティナは気持ちを沈めようと、どうにかゆっくりと目をつむる。
(いち、にぃ、さん……)
数字を10数えてから、再びゆっくりと目を開けた。
世界は変わるはずもなく、ティナの視線の先には仲睦まじく見つめあうリカルドとマリアンヌがいる。
「ティナ、様?」
ロザリーが黙り込んだままのティナの顔を見ると、ティナは笑っていた。
諦めたような、絶望的な悲しい笑顔。
刺激すると簡単に壊れてしまいそうな脆さ。
どう扱えばいいか分からず、ロザリーはそっとティナの背に手を置く。
「……ティナ様、大丈夫ですか?」
「---えぇ。ねぇ…ロザリー」
「は、はい」
ティナはリカルドたちから目を離してロザリーを振り返る。
今まで誰も見たことがないほどに、美しく微笑みながら。
「お願いがあるの」
「…何でしょう」
話だけなら、まだ立っていられたのだ。
想像だけの世界は酷くおぼろげで、現実感がいまひとつ感じられなかった。
寂しかったけれど、リカルドを想えば幸せな気分になれたから大丈夫だった。
でも、実際に見てしまうともう駄目だ。
お前は体裁の為だけに存在する、偽物の妻なのだと、現実を突きつけられてしまった。
リカルドに甘くとろけるような表情で見られるマリアンヌを、殺してしまいたいほど憎いと思ってしまった。
この世で一番彼を愛しているのは、私なのに、と。
それは衝動的に何をしてしまうか自分でも分からないほどの、激しく醜い嫉妬心。
「もう、ここには居られないから」
もう、あの人の妻ではいられない-----------