第3話
-----泣き疲れて眠ってしまったティナが目を覚ますと、もう日はずいぶん高くなっていた。
白いシーツの上でゆっくり身を起こす。
ずっと付いていてくれたらしいロザリーが、ティナが起きたのに気付くと優しく笑いかけてくれて無言のままで紅茶を入れ始める。
茶器に透明の液体が注がれるのを見ながら、ティナは姉を思い出した。
「ロザリーは、お姉さまに似ているわ」
「お姉さまですか?」
「えぇ。もうずいぶん前に嫁いで行ったから、何年も会っていないのだけれど。私の憧れなの」
「まぁ、そんな方に似ているだなんて、光栄ですわ」
少し気恥ずかしそうにロザリーははにかむ。
気の強そうなくっきりとした顔立ちと、凛とした格好いい立ち姿。
ティナと正反対に活発で溌剌とした性格。
だけどたまにこうやって笑うときは幼く見えて、可愛いのに格好いい、素敵な人。
どうやらティナの姉と、ロザリーは同じタイプのようだ。
(だから、こんなに安心できるのね)
ティナはずいぶん人見知り気味の性格なのに、彼女が居ると落ち着く。
まるで姉が傍に居るかのような感覚だ。
子供のころ。泣き虫のティナが泣いている間中、しっかりものの姉はいつもずっと傍にいて励ましてくれていた。
いじめられっ子にからかわれた時も。
転んで怪我をした時も。
夜の暗闇に怯えてしまった時も。
そして泣き止んだティナに、彼女は必ず腰に手をあてて胸を張り、こう言っていた。
『ティナ。沢山泣いて悲しいのを流した後、どう行動するかが重要なのよ。』
正義感が強くいじめっ子の男の子たちに怯むことなく向かっていった彼女らしい台詞。
思い出すと、子供にしてはおしゃま過ぎる決め台詞になんだか笑えてくる。
ティナの引っ込み思案な性格はなかなか治らなくて、結局彼女の足元にも及ばなかったけれど、姉みたいに強くなりたいと、ずっと思っていた。いや、今だって思っている。
(だから、これからどうするのかを考えなければ)
湯気が昇り薫り始めた紅茶の香りに、少し心が落ち着いた。
たくさん泣いたことですっきりもしている。
助けてくれる姉がいない今、泣くのは終わりにして一人でも考えなければ。
「ティナ様」
「ありがとう」
差し出されたカップを受け取って、一口飲む。
実家で飲む紅茶とは少し違い渋みが強く色も濃い。きっと種類が違うのだろう。
確か地域によって製造方法もまったく違ったはずで、慣れ親しんだものと味が違うのは仕方がない。
「どうすればいいのかしら」
「……?」
呟くとロザリーが怪訝な表情でティナを見たから、ティナは薄く笑って「何でもないの」と首を横へ振った。
「美味しいわ。ねぇ、着替えを用意してもらえるかしら。 病気でもないのに一日夜着を着ているわけにはいかないものね」
「かしこまりました。ご希望の衣装はございますか?」
「いいえ、ロザリーにお任せするわ」
「ではお持ちいたしますので、少々お待ちくださいませ」
ロザリーが寝室と続き部屋になっている衣装室へ消えたのを見送ってから、ティナはまた紅茶を一口だけ口に含んだ。
苦味が舌の上を広がる。
この渋みによって更に眠気がさえてきたような気がした。
リカルドに愛されていないことは分かった。
悲しいけれど、悲しいだけだ。
怒りは沸いてこない。
引っ込み思案で大人しい、自分の意見を言わない優柔不断な子。
それがティナであり、理不尽さに怒鳴ったり抵抗したりする気になんてならない。
部屋の隅で一人ぽっち。膝を抱えてうじうじ泣くくらいしか、弱虫のティナには出来ない。
(そうよ…なのに、私…勢いあまって衝動で結婚なんて……)
柄にもなく初恋の熱に浮かされて、突発的衝動で家を出てきてしまった。
呆れたような顔で見送った両親の顔が浮かんできて、また目元が潤んでしまいそう。
(だめ…)
もう沢山泣いたのだからと、唇を噛んでぐっと堪える。
もう少し時間をおいたら?婚約期間があってもいいのでは?確かに母も父もそう言って難しい顔をしていたのに。
ティナは今すぐお嫁さんになりたいの。付いていきたいの。と、勢いだけでほとんど身一つの状態で彼にくっついて実家を飛び出したのだ。
急ぎすぎたから両親の予定もつかず、ここに到着して直ぐに行った結婚式にも彼らは来ることができなかった。
両親の話をもっときちんと聞くべきだった。
そもそもが婚姻なんて大事なこと、もっと相手の人となりを見てから決めるべきだった。
だが、今さら後悔しても遅すぎる。
もう既に婚姻届に署名をし、法的に籍は入ってしまっているのだ。
一度入れた籍をそう簡単に抜くことは出来ないのに。
(本当に…何も見えていなかったのね)
出会ってひと月と立っていないのに、周囲の言葉が聞こえないほど、ティナは倒錯的な恋をしている。
それほどにあの何もかもが大きい人はティナを引きつけてやまなかった。
今も、ティナの目にはリカルドしか映っていない。
ここには居ないと分かっているのに、視線はあの大きな広い背中を探してしまう。
こんなんいも手ひどく傷つけられたのに、残念ながらどうやったって嫌いになんてなれないのだ。
「…好きよ。大好き」
目をつむって、そっと呟き、「やっぱり」と小さく頷く。
(やっぱり、好き。リカルド様)
思うだけで、ほんの少し胸が暖かくなる。
ティナが持っているのはこの真っ直ぐすぎるほどの気持ちだけだ。
ならばもう、お飾りの妻でもいいかもしれない。
たとえリカルドがこっちを向いてくれていなくても、一方的な気持ちだとしても。
ティナはリカルドの側にいたいと思った。
とにかく嫌われたくない。
彼が感じられるこの場所に、この屋敷にいたい。
リカルドの気持ちがマリアンヌと言う女性にあるとしても、堂々と『妻』と言えるこの立場を明け渡したく何てなかった。
醜い独占欲なのだと知っていたけれど、嫌なのだ。
「リカルド様が望むなら、仕方ないわね」
だから彼の望みどおり、気持ちのない、外面だけの妻を貫こう。
求められる役割はそれだけなのだから、愛する人の願いを叶えるために、頑張ってみよう。
自分の出した結論がとても被虐的で馬鹿げているなんて、分かっている。
でも足掻いて嫌われて捨てられてしまうくらいなら、言いなりになる臆病者でいい。
彼の傍にいたいから。
ティナが好きな人のために出来るのは、それだけのようだから。
「---ティナ様、失礼いたします」
一人でそう結論を出したティナの元へ、隣室へ出ていたロザリーは戻って来た。
手にはドレスと、いくつかの装飾品が載せられている。
「こちらのドレスはいかがですか?外出される予定もないようですし。華美すぎるのは重くて疲れてしまいますもの」
「えぇ、とっても素敵だわ。ありがとう」
世辞ではなくロザリーの選んだドレスはとてもセンスが良かった。
おそらく最新のデザインなのだろう美しくも繊細なレースが縫い付けられたAラインドレス。
胸元には柔らかな大き目なリボンが飾られていて、シンプルなのに可愛い。
色は明るい桃色で、16歳の少女にとって子供っぽすぎると言うことも無ければ、背伸びしすぎた雰囲気もない。
ほんの数時間しか共にいないのに、ティナの趣味をよく理解した観察眼はさすがだ。
「身支度が済みましたらお食事は如何でしょう。本日は紅茶以外何も召し上がってらっしゃいませんし」
「そうね。お願いするわ」
「かしこまりました、ティナ様」