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第2話

実家より数段豪華で洗練された調度品の並ぶ広い寝室の中。

カーテンの隙間から差し込む朝日に気づき、ティナは顔を上げた。

一晩中緊張しながらベッドの端に腰かけていたから、肩と首が凝り固まっていた。

色素の薄い茶色の瞳はぼんやりとどこか遠くをみていて、ひどく憔悴している。



「朝……」


呟いた声は掠れていて、身じろぎすると薄い夜着の衣擦れの音が、広い室内にやけに大きく響いた気がした。


「どう、して」


どうして、来てくれなかったのと。小さく囁き、眉を眉間にぎゅと寄せてうつむく。

そうすると気合を入れて着替えたとっておきの夜着が目に映って、余計に重い気分になった。

昨日、バージンロードの隣を歩くリカルドはとても恰好よくて優しくて、この先2人で作っていく家庭を想像し、ティナはただただ幸せな気分だったのだ。


なのに。式を終えたばかりの、初夜の晩。


夫となったリカルドを寝室で待つティナの元に、彼は現れなかった。

田舎育ちのティナにだって、夫婦の初夜がどれだけ大切かなんて知っている。

もし急用が出来たのだとすれば、侍女や侍従へ何かしら言づけがあってもいいはずだけれど、それも無い。

連絡さえも必要ないと思われるほど、ティナはここでどうでもいい存在なのだろうか。


(いいえ、リカルド様はそんな方では無いわ。きっと王宮から火急のお呼び出しを受けたとか。伝言が上手く私まで伝わらなかったとか)


胸の中の不安を打ち払いたくて、きっと何か理由があるのだと自分へ必死に言い聞かせようとした。

頑張ってそう思わないと、どんどん大きくなっていく不安に耐えられそうもないから。


知る人の誰一人居ない首都へ、身一つで嫁いで来たティナには不安な時に相談する者はいない。

リカルドしか、居ないのだ。


「奥方様。ティナ様、失礼いたします」


控え目な声に顔をあげると、ティナにつけられた侍女のロザリーが控えの間から入室して来るところだった。

ティナより3つほど年上のロザリーは扉の脇で優しく目元を緩めてドレスの裾を摘まんで礼をする。

スカートに美しくドレープを描かせる完璧な所作。

その動きからも、手入れをされた艶やかな黒髪からも、彼女が由緒ある家の出なのだろうことは聞かなくても分かった。


「おはようございます奥様。よくお休みになられましたか?」


ロザリーの台詞にティナは言葉を失う。

一晩中控えの間で控えていたのなら、リカルドがここへ来なかったことなど知っているはずなのに。


「あの…リカルド様は」

「…え、もしかして…お出かけの言づけが届いておりませんでしたか?」


ティナが頷くと、ロザリーは驚いたように目を見張って連絡の不備を謝罪する。

やはり火急の用が出来ただけなのだ。とティナはほっと息を吐く。

しかし安堵しかけたのもつかの間、ロザリーはひどく真剣な表情でティナの真正面に腰を落とした。

ティナより少し低い位置に来たロザリーは、ティナを見上げて少し瞼を伏せる。

そして悲しげな表情を作って首を振ってから口を開くと、釣り上がり気味の気の強そうな黒い目で、強くティナを捕らえた。


「旦那様は昨晩マリアンヌ様の元へお出かけになってから、お戻りになっておりません」

「それは…どういうこと?」


マリアンヌ。あきらかな女性名にティナは表情を凍らせる。

なんとなく嫌な予感がして、この先を聞いてはいけないと頭の中で誰かが警鐘を鳴らす。

ティナは子供みたいに首を横へ振って拒否したけれど、ロザリーはそれを許してはくれなかった。

綺麗な黒いロザリーの目が、ティナを離してくれない。


「ティナ様。旦那様は何年も前からマリアンヌ様の屋敷に通いづめております」

「…………」

「ティナ様はのんびりした場所からいらっしゃいましたから理解しがたいかも知れませんけれども、高位の貴族様にとっては互いの気持ちなどない、外聞の為の婚姻は珍しくもありません。…お察しくださいませ」

「---つまり、リカルド様はマリアンヌ様と言うお方のことがお好きなのね」

「…おそらく。私たちも詳しくは伺ってはおりませんから噂でしか伺っておりませんが。ですが初夜までも他の方のところへ行くくらいですから。その…」


そのあともつらつらと何か説明されたがロザリーの言葉は、もうほとんどティナの頭には入って来なかった。

全身がしびれたような感覚で覆われて、頭も体も動かないのだ。

でも、それでも分かることはたくさんある。

そして一番重要なことを見落としていたことに、気付いてしまって絶望する。


(私、好きだとも愛してるとも言って頂いてなかったわ)


結婚して欲しい。リカルドにはそう乞われただけだ。

あのプロポーズは何の気持ちも篭らないものだったのだろうか。

リカルドの気持ちは最初からマリアンヌと言う女性の元にあって、しかし彼女とは一緒になれない何らかの理由があり、年齢や体裁からティナと結婚を与儀なくされたのか。


田舎の下級貴族の娘など、物も同然の扱いを受けたって文句は言えない。なんらかの反感を買えば実家もろとも消されたっておかしくはないのだから。

お飾りの妻としてとても相応しい条件に、自分は当てはまるのだ。


(信じたくは無い、けれど…)


今の状況が何もかもを語っていた。

少なくともリカルドには別の大切な女性がいる。

初夜から見放されたのだから、ティナに妻としての務めを求める気も更々ないのだろう。


理解すると同時に、現実感がなくしびれたようだった全身に感覚が戻ってきた。

彼が欲しかったのは体裁をよくするためのお飾りの妻。

幸せな気分で笑っていたティナを、心の中で嘲笑っていたのだろうか。


心臓がぎゅっと握られたかのように痛んで、思わず胸を抑えた。


まだ16歳の経験乏しい少女は、昨日までとても幸せな夢を見ていたのだ。

優しい旦那様と可愛い子供たちとの、暖かな家庭を作る夢。

物語の中のような、のどかで安寧とした生涯を送る夢。

夢は、たった一晩で亀裂が入り。

その亀裂は、目の前の女性の言葉で簡単に崩れて砕けた。


「っ……」

「ティナ様」


手で顔を覆って泣き出したティナの背を、ロザリーは何度も何度も優しく撫でるのだった。

その優しい手のぬくもりだけが、ただ一つの救いと思えた。



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