第13話
※流血表現有
「どうしてこのような馬鹿なことをやらかした? 君には知識もあれば美貌もある。放って置いてもそこそこの男が寄ってきただろうに、わざわざリカルドに固執して自滅などと…」
「っ…放って置いて下さいませ!」
「……ふーん」
口の端を歪めて笑うシルヴェストル王に、ロザリーは背筋から冷たいものが這い上がるのを感じた。
しかし屈してしまうのは女の矜持が許さなくて、目の前に座る王を睨みつけると、口の中で小さく呟く。
「どうして罪人と国王陛下が同じ馬車なんですの?」
罪人の護送など、その辺の荷馬車に積めばいいだけだろうに。
国王の乗ってきた馬車で、しかも国王と2人きりで置かれているというこの状況。
訳が分からない。何を考えているのだ。
混乱して、でも負けたくなくて、ロザリーは背筋をただす。
幼いころからプライドだけは誰よりも高かった。美しく優雅な女でありたかった。
そうやって自分を保っていたロザリーをシルヴェストルは一笑する。
一体なんなのだと不審に思って顔を上げた瞬間。
ロザリーの首筋にはすでに、短剣が突き付けられていた。
それは刃先は鋭く波状になっており、一般的な短剣よりも殺傷能力を高めたサバイバルナイフの類の刃物だ。
「っ…ひ…」
王の持つ刃は剣先でぷつりとロザリーの肉を突き、一筋の血が柔らかな首元を伝った。
急所を逃すことなく狙った剣先は、シルヴェストルがもう少し力を入れればロザリーは間違いなく失命するだろう。
目を見開いたまま息さえままならず恐怖で硬直した黒髪の侍女に、シルヴェストルは優しく甘く語りかける。
「リカルドのことは殊の外気に入っているからな。可愛い臣下に害をなした虫を私が処分してやろうかと思っただけだ」
「……ぁ…っ……」
ロザリーの開いた漆黒の目から、ほろほろと涙があふれ出す。
震えが止まらない。
-----死ぬのが、怖い。
もし事が公になったとしても、最悪でも退職を迫られる程度だと思っていた。
ロザリーには教養も美貌もあるのだから職にも嫁ぎ先にも困らない自信がある。
失敗しても失うものなどさほど大きくなく、だから実行にうつせたのだ。
その先に待っているのが『死』だなんてただの一度も想像はしなかった。
つぅっと、シルヴェストルの持つ短剣の剣先が真下に筋を描く。
小刻み震えるロザリーの首には薄くまっすぐな赤い線が付いた。
「なぁ、質問に答えろよ?お前の目的は? 単独行動? それとも後ろにだれかいるのか?」
乱暴になった王の言葉使いに気付く余裕はなかった。
「…こ…が……」
「は?聞こえねぇな。はっきり言えよ、おい」
「あ、あの子が…!あの子が悪いのよ!リカルド様の奥方になってあの家を手に入れるのは私だったのに!」
「ほう?」
グランメリエ侯爵家に仕える侍女の中で、ロザリーが一番リカルドを怖がらない女だった。
だからリカルドは己が身に着ける衣服もハンカチもペンも何もかも、ロザリーに揃えさせるようになった。
リカルドの仕事は大変忙しいものだったから、身の周りや家のことに目を向ける余裕がなく、彼は徐々に家の全てをロザリーに任すようになる。
グランメリエ侯爵家に飾られている家具も調度品も、近年買ったものは全てロザリーの好みで揃えられていた。
そうやって家を飾るのは本来家を守る妻のする役割だ。
だからあの家に仕える侍女たちはみんな噂していた。
リカルドはロザリーをグランメリエ家に迎え入れるつもりなのだろうと。
身分は低いけれど一応貴族の家の出だから、不可能ではないはずだと、誰もがロザリーを羨ましがっていたのに。
グランメリエ家の広大な領地と財産と地位は、いずれ自分のものになるのだとロザリーは信じた。
大好きな煌びやかなものに囲まれた素晴らしく贅沢な生活が近い将来訪れるのだと思い込んでいた。
なのに突然、想像していた未来は壊される。
リカルドは聞いたこともないような辺境の田舎から少女を連れてきて、妻だと宣言したのだ。
「…あんな、突然沸いた何の変哲もない小娘に未来を奪われるなんて耐えられませんわ。 あの女に、あんたなんか愛されていないんだと思い知らせてやりたかった」
だからリカルドの在宅を必死に隠したのだ。
リカルドが出勤したあと、ティナが起きるまでに寝室に脱ぎ散らかした衣服や食器、書類などを完璧に隠して、シーツの上に髪ひとつ落ちていないように徹底的に掃除をした。
残り香りだって渡してやりたくなかったから空気の入れ替えはもちろん、リカルドの使った枕さえ変えて、毎日毎日ティナを騙し続けた。
リカルドはお前のもとになんて帰って来ないと、お前なんて何とも思っていないと、言い続けた。
薬を盛っていたから、ロザリーが寝室で動こうがティナは当然気づかなかった。
ティナの眠る枕の下に差し込まれた手紙には、残念ながら最後まで気づくことはできなかったけれど。
結果、ティナはロザリーのもくろみ通りに思い込んだ。
信用させるために一応は親切にしてあげていたのだから当然だ。
最後にはロザリーの希望どおり、状況に耐え切れず実家へ逃げ帰ってくれて、さぁ今度こそ自分の番だと思ったのに。
-----リカルドは、ティナを追って行った。
愛を告白したロザリーになど、振り返りもせずに。
「私のものを奪おうとする泥棒猫を罰してあげただけでしょう。悪いのはあの子ですわ!」
「…はっ。ただの女の嫉妬かよ。醜いな。」
「っ!!あなたに何がっ…!!」
何がわかるのだ、と言いたかった言葉は結局声にならなかった。
代わりに熱い息が喉から抜けて、刃を突きつけられていた首が焼けそうなほど熱を持った。
「……裏に誰か居るようでもないし…もうお前に用はない」
どうしてか首が動かない。
だから目玉だけを下へ動かせば、来ていた衣服は真っ赤に染まっていた。
首に剣を突き立てた王の手にも、それはべっとりとついている。
喉の奥から鉄くさいなにかがせり上がって来て、必死に止めようとしたけれど結局敵わずに、赤い液体が大量に口から吐き出された。
「っごっ……ぁ…」
「はっ。無様だなぁ」
「っ……ぐっ……」
「綺麗に着飾って、男に媚を売って、身に余る金と地位を欲した女の末路ってのは、実に無様だ」
シルヴェストルは実に楽しそうに微笑みながら、ロザリーの細い首から一度短剣を抜く。
そして躊躇う仕種など一切見せることもせず、大きく横に振り払った。
剣は確実に息の根を止められる動脈を寸分の狂いもなく深く切り裂く。
「…さようなら」
横に間一門に切られた首から勢いよく吹き出る、暖かな赤い飛沫。
血は馬車の隅々まで飛んで全て汚しつくし、王の衣服や頬にまで届いた。
赤い血だまりが狭い馬車の中に溜まっていく様を、短剣を座席へと放り投げたシルヴェストルはただ眺めていた。
***********
御者を務めていたキラールが、王宮の王族専用出入り口に馬車を止める。
「到着いたしました」
「あぁ、御苦労だった」
走っている間中に聞こえていた物音で大体予想はしていたが…、扉を開けると馬車内はむせ返るような嫌な臭いと赤黒い血で充満していた。
煌く金銀宝石で細工の施された装飾内装も、シルク糸で織りこまれた布張りの座席も、もはや見る影もない。
名のある職人達が丹精込めて作り上げた王族専用車の中は、普通に掃除をしても無駄なほどに汚されてしまっている。
凄惨な光景に眉を不快げにゆがめ、既に絶命しているだろう女から主である王へと視線を移す。
爽やかに笑う金髪碧眼の好青年が全身を血に染めている姿は、いつもながら酷く異様な光景に見える。
キラールはシルヴェストルが馬車から降りるための手を貸しつつも、咎めるように睨みつけた。
「王…」
「そう怒るな。リカルドには自害したとでも知らせておけ」
「……御意。しかし今回はまた…手が早いですね…」
彼女は睡眠薬を飲ませ、ほんの少しの嘘をついただけだ。
隠した手紙も重要な書類ならまだしも、女性同士での遊びの誘い程度の内容である。
また違法な薬の所持とは言っても所詮睡眠薬。
毒薬の方は害虫駆除などに使われる部類のもので持っていても違法ではない。
死罪になるほどの重い罪では無かったはず。
これくらいの侍女程度の存在の不始末など、グランメリエの屋敷内で片づけられた事例だ。
それをわざわざ『事件』として扱い、その上国王自らが出るような馬鹿げた行為は少々やりすぎだろうと、キラールは息を吐く。
「よほどグランメリエ侯爵がお気に入りのようですね」
「…そうだな。あいつは裏が無くて実にいい。信頼できる。だが真面目でお固すぎるのがたまに面倒だな」
「えぇ、もう少し臨機応変に対応してくださればよいのですが。陛下ほどとは言わずとも、多少の愛想笑いくらい身に付けて頂きたいですね」
「それは私に対する嫌味だろうか」
「まさか。我が敬愛する主に対して無礼なことを思うはずがありませんよ」
キラールはわざとらしく微笑をたたえて肩をすくませてみせた。
グランメリエ侯爵は真面目で実直。潔癖すぎるほど真っ直ぐな男。
だからこそ絶対の信頼を寄せられるのだが、その分彼は少しでも規則から外れたことを徹底的に嫌う。
これは時に人道を無視した行いを取らなければならない国王の傍に仕える人間としては、少々厄介な性質でもあったのだが。
「ま。あの奥方がいれば変わるだろう」
「奥方、ですか。…仕事一本筋だった男が他へ目を向けるきっかけになった彼女は、如何でしたか?」
キラールとティナが挨拶以上の会話を交わしてはいない故の質問だった。
その側近の男の問いに、血染めの王は意地の悪い笑みを見せる。
「思った以上に純朴で可愛らしい。夫婦ともに成長が楽しみだ」
「お気に召したようで何よりです。----ほら、さっさと洗って着替えてください」
「分かった分かった」