第12話
結婚して一か月。
長いような短いようなすれ違いの日々を超えて、ティナとリカルドはやっと人並みの初夜を迎えた。
気恥しくも幸せな一夜を過ごし、乗って来た馬の前にティナを横抱きに載せてグランメリエ邸に帰ってきた2人は、屋敷に思いがけない客人が来ていたことに驚く。
「メオ様?!」
「シルヴェストル陛下?!」
客人が来ているとさっそく出向いた応接室で、優雅にお茶を嗜んでいる金髪の男に、ティナとリカルドはそれぞれ違う名を呼んで不思議そうに顔を見合わせる。
「…ティナ、今…」
「あ…えぇ、っと」
ティナの予想通り、先日あった金髪の青年メオはこの国の王シルヴェストルだったらしい。
そのことを掻い摘んで説明すると、リカルドはシルヴェストルに胡乱気な目を向けた。
「陛下、人の妻に勝手にちょっかい掛けないでいただきたいのですが」
「ふん、お前がいくら言っても奥方を連れてこないのが悪いのだろう。だから自分から会いに行ったまでだ」
「………。それで?本日はどのような御用でこのような所まで。 どうせまた仕事を放り出して抜け出してきたのでしょう?」
「いやいやいや、仕事だ。罪人を捕まえにな」
「……ご存じで?」
「それはまぁ、色々情報は持っているからな」
シルヴェストルの登場に面食らっていたが、よく見ると彼とテーブルを挟んだ正面の席には青い顔をしたロザリーが腰かけていた。
震えている彼女の様子から、シルヴェストルによって無理やり座らせられていることは想像出来るが、その理由がわからない。
ティナの隣で立つリカルドはいまだ一言も言葉を発していないロザリーを冷たく見下ろす。
ティナと約束をしたから責めるつもりはなかったが、嘘をついて騙し続けた事に対する怒りは燻っていた。
その後に一人余裕の笑みでソファに腰かけカップを傾けるシルヴェストルに顔を向けて、あからさまなため息を吐く。
「罪人と言うほどでもないでしょう。彼女はこちらで対処します。大人しくお帰りになって本来の仕事に専念してください」
雇い主として罰することはあるかもしれなかったが、罪人として捕まえなければならないようなことをロザリーは決してしていない。
たとえこれが公になろうとも軽い減給程度だろう。
どう考えたって、国王自らが動くような大事件ではない。
そう説明するリカルドに、シルヴェストルは首を振って見せると、持っていたカップをテーブルの上へ置いた。
「いいや、彼女はこちらで裁く」
「…なぜ」
「それを今から教えてやろう。リカルドは己の間抜けっぷりに落ち込むだけだろうがな」
はっきりとした口調は自信の現れだ。
なぜそれほどまでに断言するのだとリカルドが問う前に、シルヴェストルは艶やかに微笑して答えた。
そして着ていた上着の胸元に手を差し入れ、内ポケットから小さな袋をいくつか出して先ほど置いたカップの横に広げる。
「これは?」
「確認してみるといい。そこの侍女殿の部屋から押収したものだ」
「っ…」
指先でつまめる程度の小さな袋の一つをリカルドは開け、開いた口の上で手を仰いで慎重に香りをかぐ。
おそらく中身の香りから何か感づいたのだろう。
途端に目を鋭利に細めて顔を上げた。
「これは、確か規制されているはずの…これを、何に使ったと?」
「紅茶」
「紅茶?」
シルヴェストルがティナとリカルドから、視線をロザリーに移す。
ロザリーの肩が怯えたように揺れて、ティナは思わず駆け寄りたくなったけれど、どうしてかリカルドに腕を掴まれて叶わなかった。
「君がティナ殿に飲ませていた紅茶に混入させていたのだな」
「そ…れは…」
そのシルヴェストルの言葉に、ロザリーはやっと掠れた声を紡ぎ出した。
ティナは意味が分からず、呆けたように瞬きを繰り返す。
今リカルドが手にしている薬を、ロザリーはティナの紅茶に混ぜたいたということらしい。
「あの…メオ様…ではなくシルヴェストル陛下。どういう、ことでしょう」
「ティナ殿は紅茶をよく飲んでいたのだろう?あれ、どうだった?」
「どう、とは」
「変な味だったはずだ。我慢して飲んでいたのか?」
「あ、あの…」
シルヴェストルの質問に、ティナはその答え次第でとんでもない方向へ話が言ってしまいそうな予感が怖くて、どうしてもたじろいでしまう。
思わず隣にあるリカルドの腕を掴んで、その背に半分身体を隠してしまった。
おずおずと広い背中から顔をだして答える。
ちなみにその動作にリカルドが顔を真っ赤にしているだが、後ろにいるティナは気づいていない。
「えっと、苦みが強いとは思いましたけれど…地域によって茶葉の味も様々ですから、こういうものかと…」
苦いけれど、心を込めてロザリーが入れてくれたものだから。
そういうものなのだろうと思って飲んでいた。
どうやっても苦味に慣れないから、砂糖とミルクをたっぷりと入れて。
「それ、睡眠薬入り。君がリカルドが帰ってくる前に寝て、起きるころにはもうリカルドは出かけているように薬を調整して睡眠時間を操作していたのだ。」
「えっ?!」
「…本当か、ロザリー」
目を見張るティナとリカルドの視線がロザリーに集まる。
ロザリーは無言のまま気まずげに顔をそらしてしまって、いかにも悪いことをしていましたと言うようなそぶりだ。
言い訳さえしないところをみると、シルヴェストルによって確実な証拠も抑えられているのだろうか。
「この侍女の私室から、様々な種類の睡眠薬が大量にみつかっている。即効性の毒薬もな。いざとなれば命をも奪うつもりだったかな?」
金髪碧眼の爽やかすぎる容姿で、さらりと言ってみせる王に、ティナは寒気を覚えた。
だって今は結構深刻な状況のはずだ。
なのにこの王は、まるで世間話をするかのごとく笑顔でそんなことを話している。
リカルドなどよりもよっぽど…内面が怖い、得体のしれない人だと思った。
ティナの心境を知ってか知らずかシルヴェストルはリカルドにからかうような笑みを向けた。
「大体リカルド、おかしく思わなかったのか?同じベッドで毎日寝ているのに目を開いたところを見なかったなんて。隣に誰かが入って来ても1度もまっったく気づかないほど毎日深く眠っているだなどと、それ明らかに薬盛られているだろう」
「っ……」
リカルドはただ、ティナの寝顔を眺めて愛でていた。
可愛い可愛いと思って幸せに浸っていた。
それほどにティナに釘づけで、ティナしか見えていなくて、ティナが隣にいるその時間が幸福すぎて、結果的に不自然なほど深い眠りに気付かなかった。
「申し訳ありません…」
リカルドは己の不届きさに肩を落とし、片手で口元を覆い唸る。
「まぁ、それほど盲目的な愛だと言うことか。----リカルド。守りたいなら、もっと視野を広げられるようになれ。まだまだ未熟だな」
「っ---はい」
「陛下。やはりありました」
---その時、一人の男がノックの音と共に部屋に足を踏み入れた。
見ると先日もシルヴェストルと一緒にいた赤髪の30歳前後の男の人だ。
(確か、キラール様…?)
これは偽名か本名か分からないが、確かそんな名だった。
「ん、そこに置いてくれ」
シルヴェストルの指した机の上に、キラールが何かをテーブルの上に広げた。
先ほどの薬と並べて置かれたものは何十枚もの白い封筒の束だ。
よく見てみると有名な家の封蝋ばかりがおされているそれに、ティナは意味がわからず首をかしげる。
「…手紙?」
「そう。これ全部、ティナ殿への茶会や夜会への招待状だ。ロザリーの部屋を捜査させていて、これも一緒に見つかったというわけ」
「招待、状?これを…どうして?」
一体何の為に?と戸惑うティナに、シルヴェストル王は得意げに胸を張る。
「ティナ殿。リカルドは女性や子供には怖れられているけれど、男性陣には熱狂的に敬われているのだ」
「え?」
「ほら、頭も切れて腕も立つし、硬派な男前だろう?もう『兄貴ぃ!!』って感じで自称舎弟が何人もいるぞ。やたらとムサイ体育会系にばかりから好かれるから、余計に女性たちは近づけないらしいが」
ティナは反射的に傍らにいるリカルドを見上げた。
しかし気まずそうに視線をそらされてしまって、あまり聞かせたくない真実なのだと悟る。
確かにリカルドは、内面は真面目で実直。非常に尊敬できる人柄にあるから、男性たちに好意を持たれるのは不思議ではないかもしれない。
「で、そんな男性陣の妻や娘さんが、あのリカルド・グランメリエの妻になった君に興味を持って誘いをかけていたらしい。旦那の方は怖いけど奥さんとなら仲良くなりたいわ!みたいな。…だが、断られるどころか返信さえこない。まったくなんて非常識な娘なんだ!----と噂があって、まぁ興味本位で調べてみた結果がこれだ」
「これ、ですか。なるほどな」
理解したらしいリカルドが、嘆息してロザリーを見下ろす。
怒気を含んだそれに、ロザリーはびくりと身体を跳ねさせた。
ティナはまだよく分かっておらず、戸惑いながら立ちすくんだままだ。
そんなティナに、シルヴェストルは分かりやすく、簡潔に説明をする。
とても非情な現実を、王はさらりと突きつける。
「ティナ殿を孤立させたかったのだろう」
「っ……」
ティナはこの1か月、ほとんどを屋敷の中で過ごしていた。
たった一人。ロザリーしか味方がいない場所で耐えていた。
ロザリーはティナに優しくしてくれる唯一の人だと、思っていたのだ。
(でも、違った…?)
ティナがずっと一人だったのは、こうしてロザリーが手紙を隠し、誰かと出会うきっかけをことごとく潰していたからだった。
「誤解よね、ロザリー」
掠れる声で、縋るようにロザリーを見る。
嘘だと言って欲しかった。
シルヴェストル王の勘違いだと、訴えて欲しかった。
そうすれば、ティナは間違いなくロザリーの味方をするだろう。
-----なのに。
ティナを見返したロザリーの黒い瞳には、憎悪しか宿っていなかった。
彼女はきつく目を吊り上げて、冷たい眼差しでティナを憎々しげに睨んでくる。
「…あんたなんて、来なければ良かった」
「っ…!」
…突然、目の前が真っ暗になった。
腰を抱く太い腕のたくましさに、リカルドが片手でティナの目元を覆っているのだとわかった。
ティナにこれ以上醜いものを見せたくないとばかりに、リカルドはティナから視界を奪ってしまう。
「連れて行ってください。これ以上の調査は後日王宮で宜しいでしょう」
低い憤ったような声が頭上から聞こえた。
「そうだな。では我々はこれで。---リカルド、出仕は明後日からでいい。今日明日は奥方の傍にいてやれ」
「御意。有難うございます」
「ティナ殿、またな。今度は夫婦で茶会に招待しよう」
「は、はい。ごきげんよう」
本当はきちんとした礼をして見送らなければ失礼すぎる相手なのだが。
リカルドに体も視界も抑え込まれた今の状況ではままならなかった。
---しばらく、物音や人の移動する音をだた聞いているしかできなくて。
「もう、いい」
そう言う台詞とともに視界を解放された時には、もう部屋にはリカルドとティナの2人しか居なくなっていた。