第10話
全てが赤く染まった世界は、とても美しい。
沈み行く夕日を遠くに眺めながら、開いた窓から吹く風にさらわれた髪を抑える。
実家のあるレジトールへ向けてグランメリエ邸を発ったティナは、首都を出てすぐの小さな街の宿屋に宿泊していた。
左右の部屋にはロザリーが用意してくれた御者と侍女が一人ずつ居るはずだ。
3階にある部屋からは、町はずれに臨む丘が見えた。
なんとなく、リカルドにプロポーズされた場所にあそこは似ている気がする。
「いつもは、この時刻にはもう眠くてたまらなくなるのに」
日が落ちる頃には寝てしまう生活のティナは、どうしてか今日に限って目が冴えていた。
状況が状況だから当たり前だろう。
初めてとも言える大胆な行為に、緊張しきっている。
心臓がずっと痛い。罪悪感で押しつぶされそうだった。
でも、あそこにいればもう、壊れてしまっていただろうから。
耐えられなくて逃げ出した。
弱い自分が本当にいやになる。
---嫁いだ先の主人の許しもなく、勝手に家を出てきた。
国王陛下の覚えも目出度い人に逆らうと言うこと。
子爵家にどんなことをされても文句は言えない。
上位の者に逆らった礼儀知らずな人間は、こちら側なのだ。
「……ごめんなさい」
面倒をかけるだろう両親に、心から謝罪をしなければ。
そして、いつか。
リカルドにも直接謝罪をしたいと思う。
こんな逃げ方をした自分を、きっと怒っているだろうから。
「いいえ、まだ。知らないでしょうね」
リカルドが家に帰ってロザリーからの手紙を受け取るのは、きっと深夜か…もしかすると明日か明後日になるかもしれない。
自分勝手に出てきたのに、気になって気になって仕方がなかった。
「…散歩でも、いこうかしら」
グランメリエ侯爵家にいたころはティナが一人で外出するなんてもっての他だった。
けれど今いるのは、最低限の世話をする侍女と御者のみ。
完全に別室で部屋同士をつなぐ戸もないから彼らはきっと朝まで顔を出すことはないだろう。
…ティナの視線の先には、町はずれにある小高い丘。
懐かしいあの場所に似たあそこまで、足を向けてみようか。
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「くそっ……!!」
街中を全力疾走で駆け抜ける馬に、周囲の人間が何事かと振り返る。
そしてめったに見られない極上の毛並をした雄々しい馬に乗る、馬よりも雄々しい男に目をひん剥いた。
豪胆で粗野な見目の男は野山を駆ける豹か獅子を思わせる迫力で、厳しい眼差しで黒光りする目を凝らしている。その目に狙いをつけられれば食い殺されるのではと、誰もが震えあがった。
馬の嘶きと共に急停止した男は今、獲物を見つくろうかのように周囲を見渡している。
目をつけられないようにと誰もが視線をそらし、その場から去ろうと足早に足を動かしていた。
「おい、そこの」
「ひっ……」
しかし無残にも標的になってしまった通りすがりの紳士は、涙目でその男と対峙しなければならなかった。
馬の上から話しかけられているので威圧感も倍増だ。
「ははは、はひっ…!」
「15・6歳くらいの女を探している。見なかったか?」
「…え…えと。そう言われましても」
「腰ほどまでの長い薄茶の髪に、同色の目をしている女だ。今日この町に泊まっていないか?」
「…えー…あの……他に何か特徴は…」
「特徴…?」
思案するように目を細めたリカルドに、紳士は粗相をしてしまったのかと息をひきつらせた。
その怯えた紳士に構ってやる余裕は今のリカルドには無く、ただティナを思い浮かべる。
(特徴…特徴…)
「あのぅ…?」
「黙ってろ」
「は…はい!」
リカルドは毎朝毎晩見つめまくっているティナを思い返した。
彼女の薄茶の髪も目も、どこにでもある色だ。
体型も容姿も、別段目立ったところは無い。
しいて特徴と言えば何故かリカルドみたいな男に絶対的な信頼を寄せている変わり者だと言うことか。
あとは可愛い。とにかく可愛い。
見た目の部分ではなく、仕種や言動が可愛い。
リカルド的にはとりあえずティナがティナと言うだけで可愛い。
引っ込み思案なおどおどとした小動物のような濡れた目で見上げられると、比護欲が掻き立てられてもう堪らなくなる。
ぎゅうっと抱きしめて潰してしまうくらいに愛でてやりたい。
……とは言っても。
完全にリカルドの主観によるものなので目の前にいる第三者に通じるはずもない。
口下手なリカルドがティナの可愛らしさについて人に分かってもらうように説明するのも難しい。
誰からみてもティナだと分かるティナらしい特徴を、うんうんと考えてはみる、が。
(無いな)
むしろ個性らしい個性がないのが特徴かもしれないくらいだ。
(…これでは聞き込みも難しいか?)
そもそもティナがこの町にいるのかどうかも分からない。
実家へ行く道順としてこの町を通ると言うのは間違いないが、もしかすると1つか2つ先の町にいるか、それとももう通り過ぎた1つ前の町ににいるのか。
宿屋に泊っているのか貴族の屋敷に世話になっているのかさえも、分からないのだ。
彼女を見つけるのは容易ではなかった。
こうやって無暗やたらと駆けまわるくらいなら、ティナが実家に着いた頃に連絡を取ってみる方が手堅いだろう。
レジトールまで先回りしてしまって待つという選択しもある。
だがリカルドは、もう1か月もティナを待たせているのだ。
「これ以上に先延ばしになどしない」
絶対に今日中に。いや、一秒でも早く彼女に会わなくては。
そう決めて、とにかく手当たり次第聞き込みを始めることにした。