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第1話(プロローグ)

ティナは西の僻地を領地とするレジトール子爵家の次女として生まれ育った。

自慢と言えば刺繍と編み物が得意なことくらい。

ごく一般的な薄茶の髪と目で、顔のつくりだって平凡で、体型も身長も頭脳も身体能力も、突出するところの何一つない普通の娘だ。


そんなティナが王の片腕とも噂される王宮勤めの超エリート様と出会ったのは、彼が隣国から首都へと帰る道中にレジトール子爵家の本邸があったこと。

そして通る時刻が丁度日暮れ時であったため、子爵家に1泊することになったという出来事がきっかけだった。



「これが娘のティナです。ティナ、来なさい」


応接室で父であるレジトール子爵に促され、後ろに控えていたティナは一歩前へ進み出る。

目の前にいる、旅装束を脱いだばかりの簡素な服装で佇む侯爵様はとにかく大きくて、小柄なティナからすれば壁に話しているような妙な気分だ。

鍛え上げられた筋肉が衣服の上からでも見てわかるほどに逞しい体躯をしたリカルド・グランメリエ侯爵を前に、ティナはスカートの裾を摘まんで軽く瞼を伏せ礼儀正しく挨拶をした。


「ようこそグランメリエ侯爵様。次女のティナと申します。屋敷の者一同、侯爵様ご一行を心より歓迎いたします」


丁寧に、淑女として完璧な挨拶をするティナだが、そつなく礼を取っているのは彼女だけだった。

ティナの隣には青い顔をし恐怖で硬直してしまった母がいる。

その上、侍女のすすり泣きの声が応接室の隅から聞こえていた。

異様な雰囲気の室内だが、その理由が理由なだけに誰も突っ込みはしなかった。


そう、言えるわけがない。


リカルド・グランメリエ侯爵の顔が、とてつもなく怖いなどと。


ティナなど片腕で一ひねりだろう大きな身体に、ライオンか豹を思わせる鋭すぎる細く釣り上った目。

表情の変化の少ない憮然とした態度は圧迫感をも醸し出し、か弱い女性達を震え上がらせるに十分は過ぎる迫力だ。

ティナは襲い来る威圧感に負けしないように足に力を込めてしっかりと立ち、微笑を作ってみせる。

本当は人見知りで引っ込み思案なティナは、出来れば母の後ろで縮こまっていたかったけれど。

周囲の女性陣が使い物にならない以上、唯一正気を保っているティナがしっかりしなければならない。

なにせ相手は国王陛下の覚えも目出度い侯爵様。

機嫌を損ねてしまえば片田舎の子爵家なんて踏みつぶされてしまうのだから。


「急に訪ねてしまって申し訳ない」


リカルドが発した声は、凄むような非常に迫力のある低音だった。

まるで恐怖の大魔王か悪魔による呪いの呪文を聞いてしまったかのような恐怖に襲われたらしい侍女たちから悲鳴があがり、ついでガタンと大きな音がなる。


「も…もう無理ですっ…!」


勢いよく扉を開けて、侍女の一人が逃亡した。


「不作法で申し訳ありません、侯爵様」

「侍女たちにはあとで厳しく言って聞かせますので、なにとぞご容赦を!」

「………いや。いつものことだ。気にするな」

「ほぅ、侯爵殿の寛大なお心には敬服いたしますな」


(きっと女性のこういう反応には慣れていらっしゃるのね)


父親とリカルドの会話を聞きながらティナは冷静にそんなことを考えて、こっそりとリカルドの顔を見上げた。

すごく怖い顔だ。とはティナだって分かるのだ。

太くて凛々しい眉も、彫の深い造詣の顔も、厳しい印象を受ける鋭利な目も、日に良く焼けた浅黒な肌も、よくよく見れば丹精なのだが、何せ迫力と圧迫感がありすぎる。

けれどどうした事か、ティナはリカルドに対して一切の恐怖心も沸かなかった。

それどころか大きな体躯に頼もしささえ感じてしまって、自分と他の人との感じ方の違いに首をかしげたくなる。


(私、鈍い人間では無いつもりなのだけれど)


「ティナ殿、何か?」


思わずまじまじと観察するような視線を送ってしまっていたのに気づかれてしまったのだろうか。

父と話していたリカルドが、ふいにティナへと視線を向けた。

黒い鋭利な目と視線が合ってしまったティナは、逸らすことも失礼かと思い、とりあえず愛想笑いを返してみた。


「侯爵様、何かご不便やご要望がありましたら、ご遠慮なく申し付けてくださいませ」


母が使い物にならない今、ティナが彼をもてなさなければならない。

だから丁寧に、失礼にならないように笑って彼に話しかけたのだが。

何故か…リカルドは目を見張って固まってしまった。もの凄く驚いているらしい。


「あの、侯爵様?」

「いや…」


首をかしげて見上げると、リカルドは戸惑うように視線をさまよわせていた。

それからほんの僅かに口元を緩め、目元を下げて、彼は初めての笑みを見せたのだ。


「……っ」


(な、に……)


思春期真っ盛りの10代の少女なんて、単純かつ稚拙なもの。


見た目に反した大人の男の優しい笑みに、ティナはあっさりと心臓を打ち抜かれた。

一目ぼれなんて恋愛小説の中の空想上のものだと思っていたのに。

とたんに落ち着かない気分になって、頬が熱くなる。


(どうしよう。こん…こんなの、知らないわ)


人口の少ない辺境の田舎では、同年代の異性さえほとんどいなかった。

だからこれはティナはにとって初めての恋なのだ。

16歳にしてやっと初恋を経験するなんて、ずいぶん遅い方だと自覚はしている。

今まで感じたことのない、背筋からうずうずと何かが這い上がるようなむず痒い感覚。

混乱して挙動不審になってしまいそう。


でもこの人に醜態はさらしたく無いと思って、ティナは動揺を必死に隠して口元で笑みを作る。

意識せずとも潤む薄茶の目でリカルドをじっと見つめると、彼はなんだかやけに難しい顔をしていて、ティナはどうしたのだろうと気になって更に彼をしっかりと観察した。


「……ティナ殿。もし宜しければ近辺を案内していただけるだろうか」


リカルドが突然、迫力のある低音でティナにそんなことを申し出た。

その台詞を聞いた隣で震える母が、制止の意味を込めてこっそりとドレスの端を引くけれど、恋に落ちた10代の少女が親の言うことなど聞くはずもない。


「はい、ぜひ」


ティナは表情を(ほころ)ばせて、しっかりと頷く。


簡単に男の誘いに乗ってしまうなんて、年頃の淑女としてはしたない行為だと自分でも思う。

でも、どうせ彼は明日には首都に向けて出発してしまうのだ。

生まれも育ちも、何もかもが違うリカルドの恋人になれる可能性なんて絶対にない。

たった一晩限りの、叶いもしない初恋だとティナはきちんと理解していた。

だからこそ彼が帰る明日までくらいは、甘い恋に浸かってしまいたかった。


ティナが頷くのを確認したリカルドは、次いでレジトール子爵に顔を向ける。


「レジトール子爵殿。ご令嬢をお借りしても宜しいだろうか」

「は…は!もちろんで御座いますとも!ティナ、失礼の無いようにな」

「はい、お父様」

「…では参ろうか。宜しく頼む」

「えぇ」


差し出された大きく厚い手に、ティナは小さな自分の手をそっと重ねた。


******************



翌朝、ティナはリカルドに誘われて小高い丘の上を歩いていた。


「もうすぐ、お帰りになってしまうのですね」

「あぁ」


リカルド達は昼前には出発する予定らしいので、残された時間はほんとうに僅かしかない。


(でも、幸せだったわ)


たった2日間だけの交流だったけれど、ティナには満ち足りた2日間だった。

一緒に町を散歩して。共に食事をとって。夜は暖炉の前でおしゃべりをして。

『ティナ』と『リカルド様』と、名前で呼び合うほどの仲にもなれた。

初恋の経験として一生持ち続けるだろう思い出としては、上出来すぎるほどに素敵な時間だった。

だからこのまま。すっきりとした気分で彼を見送くろう。

確かに少しの寂しい気持ちはあるけれど、ティナはもう満足だ。十分だった。


「あ」

「ティナ」


風にドレスの裾が煽られて、ティナが転びそうになった。

けれどすかさず後ろから伸ばされた太くたくましい腕が、軽々と支えてくれる。

密着した身体から伝わる体温の温かさに切なくなりながらも、ティナは「ありがとうございます」とお礼を言ってリカルドから離れようとした。


「っ…ティナ」

「はい?」


ところが何故かリカルドは、掴んだティナの手を放してはくれない。


「リカルド様?」


見上げると、ひどく真剣な眼差しで彼はティナを凝視している。

眉間には深い皺、不機嫌そうに噤んだ口元。


「ティナ」


名前を呼ぶ声にティナが瞬きをして小首を傾げて見せると、リカルドは握る手の力をきゅっと強めた。

緊張すればするほどに表情がこわばって怖い顔になってしまうのだともう知ってしまっているティナは、迫力の増した男の顔をじっと見つめている。


「ティナ、結婚して欲しい」

「………」

「俺と一緒に首都に着いて来てくれ」

「……え」


何を。何を言っているのだこの人は。

ティナは呆けたように口を開けて、リカルドの顔を凝視したまま固まってしまう。


(……あぁ、もしかして私の妄想かしら)


空想だと思ってしまうのも無理は無い。

望んでも無駄だと、はなから諦めていたことが、今目の前で起きているのだから。


だからとても信じられなかった。


(だってありえないもの)


相手は怖い顔なんてマイナスにもならないくらいの極上の地位と権力、そして優しさと誠実さだって持っている人。

しかも年齢は確か26だと言ったから、ティナとは10歳も離れている。

大人と子供。恋愛対象になることの方がおかしい。


「…………」

「………」


黙ったまま呆けているティナに勘違いしたのだろうか。

リカルドは悲しそうに眉を下げてため息を吐くと、まるで諦めてしまったかのように、ゆっくりと繋いでいる手から力を抜こうとした。


「っ…。い、いやっ…」


ぬくもりが消えていくことに焦って、反射的にその大きな手を追って両手で捕まえると、リカルドの身体がびくりと跳ねる。

顔を見ると戸惑うように、そっと視線をそらされてしまった。


(…迷う必要なんて、なかったわ)


自分みたいなのは彼には合わないなんて。

本当かしらと疑うなんて。

そんなことを迷っている時間は無いのだ。

もう数時間後にはリカルドは旅立ってしまう。

首都へ帰れば二度と会うことさえ叶わないだろう。

今を逃せばこの人は永遠に手の届かないところへ行ってしまうのだ。


(そうよ。この人となら、絶対に幸せになれるもの)


だって自分は、彼の優しさをちゃんと知っている。だから大丈夫。


ティナは握る手に精一杯の力を込めて、一人で力強く頷いてから顔を上げリカルドを見つめた。

せめてこんな時くらいはと、緊張でひきつる頬を引き上げて出来る限りの綺麗な笑顔を作ってみせる。


「どうぞ宜しくお願いします」

「っ!…そうか…そうか……。ありがとう」


リカルドは表情をほころばせ、ティナの身体を抱きしめた。

力強く、けれど壊さないように大切そうに、大きな体で小さなティナを包み込む。

この人となら幸せになれる。

ティナはそう確信しながら、大きくて暖かい胸に顔をうずめた。




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