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1-1 日常に揺られて

 ひっそりと、ため息をこぼす。

 溶け込めているようで、全く溶け込めていない教室は、いつまでたっても苛立ちを誘発する場所に他ならない。

 その苛立ちを胸の内に押し留めながらも、口には出さないというだけで、態度には丸出しだ。

 それ故に、クラスメートから反感を買うことは自然の道理だ。が、表立って反感を示せば、後々損をするのは自分たちだということを、これまでの経験で知っている彼らは、わりあい大人しい。

 それも、まぁ…表立って、だが。

「ねぇねぇ、見て!これおいしそうじゃなぁい?」

 机に広げた雑誌を指差しながら、クラスの中ではそれなりに仲がいい部類に入るトモが、人懐っこい笑顔が問いかけてくる。

 なかなかいい度胸をしているのかと思えば、これまた単なるバカでしかないこの子は、空気が読めているようで読めていない。

「そうだね。きっと美味だろうけど、今日は予定があるんだ」

「えー!付き合い悪いよぉ。せっかくテスト終わって、これからいっぱい遊べると思ったのにぃ」

 拗ねたように唇を尖らせて、ぶーぶーと文句を垂れる姿は、うん、可愛い。

「彼氏と行けばいいだろう?誰だったか…あぁ、二組の松平だったか。彼を誘えばいいじゃないか」

「…あー、…うー、えーっと、ね」

 どうやらまた別れたらしい。

 あまりの尻軽さに、クラスメートでトモを相手する人間はいなくなった。

 変に間延びした喋り方は人を苛立たせ、誰にでも媚びるような態度が嫌悪感を抱かせてしまうトモに、近づく輩といえばチャラチャラとした能無しだけだ。

 学習能力のないトモは、少し優しくされるとコロッと騙される、いいカモなわけで。ここら一帯の地区では有名な話だ。

 またかと呆れたように溜息を吐けば、珍しくトモが不満そうに声を上げた。

「いいんだもん、あんなやつ!今回はアタシから振ったんだからぁ!」

「へぇ。それはまた、どうして?」

 松平がどうだったかしらないが、それなりに上手くいっていたはずだ。表面的には。

 これなら、最長記録が更新されるかとも思っていたのに、何をやらかしたんだ松平と、理不尽に怒りを覚える。いつ別れるか賭けていたのだ、ミカゲさんと。

「だって、だってあいつ!…あーちゃんのことキチガイって!!」

 そう言ったんだもんと、えぐえぐと泣き出したトモに、思わず呆気にとられた。

 ちなみに、あーちゃんとは言わずもがな、僕のことだ。あまり嬉しくないそのあだ名に辟易としているが、トモはそんなこと気付いていないので、出会ってからずっとそう呼び続けている。

「そんなことで…」

「そんなことじゃないよ!あーちゃんのこと、キチガイなんて!!あんなやつ死んじゃえばいいんだぁ!!」

 相当憤慨している様子のトモに、乾いた笑みを漏らしながら、その頭を撫でて何とか宥める。

「わかった。わかったよ、…しょうがないな。友達思いのトモに、ご褒美をあげよう」

 涙で濡れた目をパチパチと瞬かせ、ぼけっと見上げてくるその姿は、なんというか、小動物に近い。だからこそ、可愛いと思えるのだけど。

「この店、来週なら付き合ってあげるから、泣きやみなさい」

 雑誌を指し示しながらの言葉に満面の笑みで頷くトモは、そこらの女より断然可愛くて、声をかけてくる男が途切れないことを納得した。



 駅前に立ち並ぶビルの中。路地裏の奥にひっそりと佇むレンガ造りの建物を知る人は少ない。古くからあるのか、外壁のほとんどが蔦で覆われている。四方をビルで囲まれ、採光が一切望めないためか、少し薄気味悪さもある。

 立ち並ぶビルで世界が切り取られたかのような空間から見上げる空は、鈍色の雲に覆われ、四角かった。濁った空の色を見上げて、深く息を吸うと、ひんやりとした空気が肺に染みた。

「こんにちは」

「いらっしゃい」

 ドアを開けると、カランッとドアベルが鳴って、穏やかな雰囲気の初老のマスターが出迎えてくれる。アンティーク調の落ち着いた店内とよく似合っていて、僕は頬を緩ませた。

 香り高いコーヒーの匂いが鼻腔をくすぐり、どこかほっとする。

「珍しい。まだ上、ですか?」

 ここで待ち合わせするときは、カウンターでコーヒーを飲んでいることが常の人が見当たらない。仕事場に僕を入れることを執拗に避けている感じがあったら、本当に珍しいとしか言いようがなかった。

「今日は一回も降りてこないからね」

 一回も、という言葉に驚きを隠せなかった。コーヒー中毒といっても差し支えないあの人が、コーヒーを取りにも来ていないなんて!仕事で何かあったのだろうかと心配になりながら、コートを脱いでドアの脇にあるコートハンガーに掛ける。

「ちょっと様子見てきますね」

 倒れているんじゃないかと心配になりながら、マスターに声をかけてカウンターの奥にある木製の階段を上っていく。

 三階建てのこの建物は、一階がカフェ、三階がミカゲさんのオフィスになっている。

 二階は…。

 何かが叩きつけられるような、歪で大きい音が聞こえてきて、二階の踊り場で身体を強張らせた。少し空いたドアの隙間から、叫びと罵声と、暴力の音が入り乱れて聞こえてくる。

 恐怖に足を取られたかのように動けないでいると、ドアが開いた。

 出てきたのは見知った顔だった。

「…アヤコさん」

「あら、シュウ。なにしてんの、そんなところで。って、あー…聞こえてた?」

 アヤコさん。ミカゲさんの冗談交じりの話では、どこかの情婦、もしくは姐さんをしているとか。真実がいかほどかは知らないけれど。

 ダークスーツを着たアヤコさんは、銜えていた煙草に火をつけて、綺麗な茶髪の髪を揺らしながら顔をのぞいてきた。

 程よく化粧の施された綺麗な顔が間近に来て、ふわりとした華やかな、それでいてきつくない香水の匂いが香る。

「顔色蒼いけど、大丈夫?」

「はい」

 しっかりと答えれば、ならいいと少し乱暴に頭を撫ぜられる。そうしてやっと、身体から緊張が抜けた。

「こんなとこいないで上行きな。ここで立ち尽くしてると、シュウのこと知らないバカが絡んでこないとも限らないから」

 彼女の背後の部屋では、今でも暴力が渦巻いているだろうに、それとは切り離されたような優しさを感じて、素直に頷く。

 やっぱり、僕にとってアヤコさんは、優しく頼りになるお姉さんでしかなかった。

「何してんだ」

 ギッと軋む音共に、低いテノールの声が聞こえて振り返った。

「ミカゲさん」

 黒のロングコートを片手に階段を下りてくるその人に、思わず笑いかけた。

 小走りで駆けよれば、ぐしゃぐしゃだと笑われながら髪を直される。先ほど撫ぜられた時に乱れたのだろう。

 ついっとアヤコさんの背後の部屋へと視線を向けて、ミカゲさんはクッと肩を窄めた。

「またか。最近多くないか?」

「どうにも、また影が動き出したらしい。こっちはいい迷惑だわ、ホント」

「けど手間が省けただろう?あと数年は出てこないと思ってたのに」

「突然消えたからね。まさかこんな短期間で戻ってくるとは思わなかったけど。一体どこの誰なのやら。…見つけたら殺すだけじゃ済まないわ」

 よくわからない内容の話に、口を開くこともなく、ぼんやりと聞き流す。

「警察も動き出したって話だ。頭の弱いあの連中は、影を俺に仕立てあげる気らしい」

「やだっ。なにそれ。そりゃ、ミーはこっち側に足突っ込んではいるけど、それはクラッカーとしてでしょう。それだって、私からの依頼しか受けてないじゃない。その依頼も、まさか警察に嗅ぎつけられるような代物じゃないわよ」

「素姓の一切を隠してて、よくて年齢と性別しかわからない人間だからな。疑うにはもってこいだろう」

「そういう問題じゃないわよ。あーもー。ミーが警察に疑われてるってことは、シュウまで目つけられてもおかしくないじゃないの!」

「僕が、どうかしたんですか?」

 自分の名前に反応すれば、アヤコさんは勢いを殺がれたように、煙草のフィルター部分を強く噛みつぶした。

「とりあえず、警察が接触して来たら連絡して。こっちでも何らかの手は打つから」

「余計なことはしなくていい。どうせ探りいれられたって何も出てこないようになってる。あの偽造された戸籍にだって、辿り着くか定かじゃないんだ。高みの見物しとけばいい」

 嘲う物言いに、その徹底ぶりが如何なるものかを思い出した僕も、あれはな…と遠い目をする。

 アヤコさんも若干口元を引き攣らせ、煙を吐いて頭を振った。

「念には念よ。どこからどう洩れるかなんてわかったもんじゃないんだから。とりあえず、絶対に連絡はしなさい」

 それに返事をしないまま、ミカゲさんは僕の肩を抱いて階段へと足をかける。結局僕は、会話の内容を理解することもなく、ミカゲさんについて歩くしかなかった。

 マスターへの挨拶もおざなりに、ミカゲさんは僕のコートを取って店を出る。肌を刺すような寒さだったが、折角のコートも着用することなく、ミカゲさんは黙々と歩いた。

 路地裏を出ると、煩わしいほどの喧騒に呑まれる。肩から腕へと移ったミカゲさんの手に誘導されるままに歩いていると、近くの有料駐車場に停めてあった車へと行きついた。

 黒のセダンのそれに、あれと思った。

「ミカゲさん、また車買いました?」

「オープンカーは嫌だって言ったのシュウだろ」

 言った。言ったが、冬場にオープンカー、しかもこれでもかっていう赤は嫌ですと、冷めた口調で言っただけだ。

「お金、もったいないですよ」

 助手席に乗り込みながら、思ったことを口にしただけなのに、ミカゲさんが微妙な顔つきになった。

「お前、よくあの家にいてそんな貧乏性になったな」

「貧乏性ってなんですか。事実を言ったまででしょう。ミカゲさんやセンセイがおかしいんです。お金の使い方荒すぎますよ。これの他に紺のBMWがあったでしょう」

「貯め込んだって屑にしかならない紙束をさっさと使い込んで何が悪い。出たって入るところから入ってくるんだ。使わないだけ損だろうが」

 胸を張られていいことなのか、よくわからない。

 けれども、正論…なのだろうか。これは。

「………全国の一般市民を敵に回した気がします」

「知るか。頭が悪いだけだろう。最低限の小回りで、大金稼いでるだけだ」

 ヤバイことにもちょっと手を出してはいるけど、確かにそうなのだろう。怠惰ではあるが、それなりの努力の結果といえばそれまでだ。先物に手を出すことなく、一般的に誇れるような収入だけでも、結構な額だということも知っている。

ようは頭の使いようということか。

「オレとしては、お前がどうしてそう貧乏性になったのかが不思議だ」

「ですから、貧乏性とは違うでしょう。堅実的と言ってください」

「堅実的…ねぇ。とりあえず一生困らない金がお前のもとにあるっていうのに、使うのを渋ってる限りは堅実じゃなくて小心だわな」

 これは何をどう反論しても無駄だろうと、景色の流れる窓の外へとそっぽを向いた。

 それにミカゲさんはくつくつと咽喉を震わせ、悪い悪いと、全然悪く思っていないだろうに頭を撫でられる。

「……それで、どこ行くんですか」

 話題をすりかえることで、手をどけさせる。撫でられることは嫌いじゃないけれど、こういうのは面映ゆい。

「今年の冬物まだだっただろ」

「………車から飛び降りてもいいですか」

 行きたくない。何が何でも行きたくない。たとえ死んだって行きたくない。そう全身で拒否を表明すれば、諦めろと目で言われた。

「お前の趣向に合うようにしてあるから、逃げるんじゃない」

 最大限の譲歩なのだろうが、こちらとしては最小限の譲歩だ。着せ替え人形になるのも楽ではないのだと、泣き叫びたくなる。

「週末だって聞いたはずですけど」

 逃げる算段もしていただけに、恨みがましく思いながら、最後の抵抗とばかりに睨めつければ、苦味潰したような顔をされた。

「蕪木が学会入ってるんだよ」

 医大やめたっていうのに、こういうのにお声が掛かってくるあたり蕪木も大概だよなぁと皮肉りながら、ミカゲさんはハンドルを切った。あ、ハンドル捌きが無駄にかっこいいとか思ったのは無しにしとこう。

「…行かないって」

「興味ある研究が発表されるんだと」

 なるほど。それで予定が早まったわけか。予定は未定なセンセイのやりそうなことだ。

 それに振り回されるのも慣れたからどうとも思わないが、これから待ち構えていることを思うと、頭を抱えたくなった。


この後ころころ視点が変わります。

読みづらかったらすみません…。

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