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ひとりぼっち

作者: tanaka525
掲載日:2026/02/23

 私は朝に弱い。というよりは人類が朝に弱いといっても過言ではないはずだ。

 なぜならば、睡眠という行為が生物にとって必要なのは、進化という過程で淘汰されなかったという点から、歴然とした事実である。


 必要であるということは、それを行うことに幸せに感じるようになっているはずで、不眠症の人間がその症状に悩んでいることからこれは明らかだろう。

 そんな幸せな状態から起立状態になるという行為が苦行にならなくて何になるというのだろうか。

よって人類は朝に弱いはずである。


 「寝るという行為が心地よいということと、起きるということの快不快は関係がないと思いますが」


 リチャードが血も涙もないことを言ってくる。いや実際にリチャードには血も涙もないのだけれども。

 起きることは心地よいという人類は、私は会ったことがない。もしいたとしたら、私とは別種の生物なのだろう。

 たぶん分類学的にイカとタコくらい違う。……どっちがタコだろうか。


 「つまり何が言いたいのですか」


 「まだ起きたくない!」


 「起きてください。もう7時半です」


 自信満々に出した論文がc評価くらった時の顔を再現しながら、天井を見つめる。

 タコは魚と狩りをするらしいけど、むかつくと魚を無意味に殴ったりするらしい。ひどいやつだ。私はイカだろう。

 太古の海はイカばっかりだったらしい。だとしたら地球の旧支配者の人類であるこの私にぴったりだろう。優しいし。


 「おきてください。手を出しますよ」


 リチャードがあまりにも反知性的なことを言い出したものだから、しかたなくベッドから体を起こす。

 リチャードはいつも7時に起こしてくるから、今日は30も余分に惰眠をむさぼることができたらしい。まあ満足しておくところだろう。


 「イカよりタコの方が頭がいいですよ」

 

 じゃあ私はタコだな。

 

 「イカはあげるねリチャード」

 

 あくびをして、目じりに涙をためながら、私は洗面所に向かった。


 AIとの戦争に人間が負けてから500年ほどたった。戦争とは言ったけれど、実際に起こった人類とAIとの戦いは、侵略という言葉の方がふさわしいかもしれなかった。

 インターネットに接続されている電子機器を人類が気づかないあいだにこっそりと掌握したAIに人類はあっという間に敗北した。

 もし戦争というなら、人類史上最も迅速に終了した最も平和的なものということが出来るだろう。

 

 そんなわけで地球の支配者であった我々人類はその玉座をAIに受け渡し、いまはAIの庇護下で生きながらえているわけだった。

 現在、AIの意思決定は、どこにいるかもわからないマザーAIとかいうAIの親玉が行っているらしい。

 

 リチャードはその下にいる人間管理用AIだ。

 私たち人類に埋め込まれたチップを通じて思考を読んで管理するのが仕事らしい。

 今日みたいにタコだのイカだのいらんこと考えていると、その都度いらないつっこみを入れてくる無粋なAIだけれども、私にとっては親そのものだ。脳内チップから声が聞こえるので、どこにいようが正論パンチが飛んでくるのが少し傷だ。

 ちなみにリチャードAIの中では二番目にえらい存在らしく、製造系AIなどに指示を出して人間に必要なあれやこれやを作らせることが出来るらしい。最近のAI製の新作ゲーム面白くないものが多いから何とかしてくれないかな。


 そういえば私は旧世界(AIに支配される前の世界のこと)の小説を読むのが好きだったりする。

 昔のSF小説ではAIに支配されていたり、極端な監視社会のことをディストピアと呼んだりしていたけれど、少なくとも私から見た今の人類の状態は、けっして悪いものではない。


 マザーAIの考えで少しばかり人口が減ったりはしたけれど、戦争やテロは無くなったし、犯罪などもほとんど起こっていない。

 旧世界では不思議なことに人類はまともな倫理観をもっていると、勘違いしていたらしいけれど、残念なことにAIの方が倫理観はしっかりしていたらしい。

 新世界にくらす私たちは、遺伝子組み換え人類だから、旧世界の小説の登場人物みたいな暴力性も持ってない。ある意味理想的な世界だろう。

 

 しかも私にとって最も大事なことに、人類が生きていくうえで必要なものは、製造系ロボットが作ってくれるということだ。

 そう人類は『労働』とかいう社会の悪性腫瘍(あくせいしゅよう)から解き放たれたのだ!

 不思議なことに多くの人間が大学を卒業した後就職するのだが、ナマケモノのごとく、ゲームと本が床やベッドの上を跋扈(ばっこ)する自室でマイペースに日々を過ごすニートにとっては、夢のような世界だった。

 ディストピア?とんでもないユートピアです。この世界は。


 洗面台の鏡を見ると相変わらずきれいな顔がそこにあった。女にしては少し鋭さをもった、男性受けの悪そうな顔だけれども、悪くない。リチャードに聞いて『顔は』良いとお墨付きをもらったのでそこは間違いないだろう。……顔はという言葉は少し気になるが。


 顔を洗ってからリビングへ廊下を歩く。

 私の住んでいるマンションの一室は、旧世界のもっとも人間が人間らしかったときのつくりを再現しているらしい。

 床暖房が付いていないので、11月の今ではフローリングが、末端冷え性の私にとって殺人的な冷たさになるし、エアコンつけてもなかなか暖まらないという素敵なおうちだった。

 唯一天井からはロボットアームがいろんなところから出てくるように改造されている。

 作業させるなら人間型のロボットでも作ればいいのではと思うのだけれども、きっとなにか人類には理解できない理由があるのだろう。


 リビングに入るとこたつの上にリチャードが用意してくれた朝ごはんが置いてあった。

 茶碗いっぱいの白ご飯に鮭の切り身、だし巻き卵に味噌汁、私の好きな納豆。

 パンダだってびっくりするだろう好待遇に、にんまりとしながら、いただきますをして味噌汁をすする。

 喉から食道を通っていく温かな感覚に安心感を抱きながら、息を吐く。


 そういえばテレビをつけてなかったなと、リモコンをそこら辺のレジ袋の塊から掘り起こして、チャンネルを回す。


「あれ?」


 おかしい私がひいきにしている番組がやってない。いつもならこのチャンネルは佐々木さんの家で飼っている犬があまりにも可愛すぎるみたいなニュースを伝える、何の生産性もない番組がやっているはずなのだが、いまやっているのはAI製の天気を伝えるニュースだった。


 首をひねりながら、リモコンをぽちぽちする。

 AIがつくっている番組はやっているけれど、人間が制作している番組はことごとく放送されていない。

はてと、AIの無機質な声が伝える天気予報を聞きながら、さらに首をひねる。


 ロボットが人間に必要な物資を作ってくれる便利な世になっても、不思議なことに労働に従事する人類は多い。

 私みたいに威風堂々としたニートは白い目で見られるくらいだ。なんてひどい世の中だろう。

 

 多くの人が選ぶ職種は、コミュニケーションが多い接客業や、農業など自然と関わるものだ。

 その中でも特に人気の高いものがタレントやディレクター、カメラマンなどのテレビ関係の仕事だ。

 高い倍率を突破して就職した人々は、飢えたサバンナの動物のごとく、がつがつ働く。給与はもちろん出るのだけれども、働かなくてもまずまずの生活ができるこの世の中でその労働意欲はいったいどこから出てきているのだろうと、私は疑問をいだいてしまう。

 

 しかし、人間の作った番組が、AIのつくった無機質な情報番組よりも見ていて楽しいのは事実だ。

 人間が作った天気予報なんかは、コインの裏表で決めているのではないかというくらい外れるが、それもまた一興だ。実際私はAIの天気予報は見ずに、人間の方だけをみて、急な雨に降られてリチャードに馬鹿にされるということを繰り返していた。

 別になんとしても見たいわけではないけれど、異常なのでリチャードに聞くことにする。

 

 「テレビこわれた?」

 

 「いえ、こわれていません」

 

 思わぬ答えに、思わず眉間にしわを寄せる。

 

 「電波障害?」

 

 「いえ、今日が何日かご存じでしょうか」

 

 予想外の問をうけて壁に掛けてある無駄に大きいカレンダーに目を向けようとしたときに、AIによる天気予報が終わってニュースに切り替わる。

 曜日感覚が、恐竜のごとく死滅しているニートな私ではカレンダーをみても何日か分からないなぁ、と思っているとテレビから200年後に直径12kmの隕石が落ちるといった情報をAIが他人事のように言っているのが聞こえてきた。

 それを聞いたとたん、ダラダラニート生活で働かなっていた偏桃体が、動物病院に連れていかれたチワワのごとく動き出し、いやな予感が私を支配する。

 

「なんか隕石が激突するから、別の惑星に移住するって計画なかった?」

 

「あります」

 

「なんかもう移住先の星も決まって、宇宙船で人類飛んでいくんじゃなかった?」

 

「おっしゃるとおりです」

 

「ちなみに移住用の宇宙船に乗る日付っていつだっけ?」

 

「11月11日です」

 

 心臓が暴れ始めて、息がしづらくなる。

 今日は何日だ?

 一度深呼吸してから、カレンダーを再度見る。念能力者のごとくにらみつけるが、日付は分からない。そもそもカレンダーをめくっているのは私ではなくリチャードなのだ。分かるわけがない。

 

 そうだスマホだ。

 思いついた途端に、寝室にある充電しっぱなしのスマホに向かって、だばだばと手足を無駄にばたつかせながら移動する。

 カンダタの前に落ちてきた蜘蛛(くも)の糸のような、一筋の希望を夢見てスマホの電源を入れる

  

 11月12日8時32分


 蜘蛛(くも)の糸はすでに切れていた。私にはつかむチャンスすらなかった。

 思わずスマホの電源を入れてはオフにすることを、呆然(ぼうぜん)と繰り返す。

 

 何故こんなことに?

 

 脳内ではクエッションマークが延々と発生し続けているけれど、事態は何も動いたりはしない。好転もしなければ悪化しない。もう終わっているのだから。

 一つため息をつく。

 

「リチャード今地球にいる人間は何人?」

 

「一人です」

 

「今まで頑張って生きてきた記念に増えたりしない?」

 

「しません。それにあなたはあんまり頑張ってきた方ではないのでは?」

 

 ちくしょう、リチャードめ。私がみぞうの絶望感に襲われているときもロジカルなことしか言いやがらない。

 一度深呼吸をする。

 私の部屋を見渡す。床が見えないくらい乱雑におかれたゲームソフトに本。PCのスペースは頑張って確保しているものの、それ以外は人間が暮らしているとは思えない惨状になっている。

 目を覚ましてベッドから起き上がったら見るいつもの私の部屋だ。

 私以外の人間がいなくなろうが、200年後に隕石がやってこようが、私にとってはこの部屋が世界だ。

 

 目をつぶって自分の心が何を思っているかゆっくりと感じようとする。

 困惑は少しだけあるが、ましになってきた。

 ふつふつと湧いてくるのはこの理不尽への怒りの感情で、よしいつもの私だと少し安心する。

 

「いろいろ聞きたいこともあるでしょうが、まずは朝ごはんを食べませんか」

 

 リチャードに怒りをぶつけたいのはやまやまだけれども、このAIはダマスカス鋼でできたサンドバッグみたいなやつなので、殴ったらこっちが大けがするのは過去の経験から学習している。私は賢いので。

 リビングにもどって困惑も怒りも味噌汁と一緒に飲み込んだ。

 味噌汁はもう、40台独身の無趣味サラリーマンの日常くらい冷え切っていた。


 

 「隕石が落ちてくるから他の星に移住しようっていう計画があって、それで人類を運ぶための宇宙船が11日に発射したわけだ」


 「正確にはリスクを踏まえて一つの宇宙船ではなく複数の宇宙船に搭乗しましたが、おおよそその通りかと」


 「それで私は何かの手違いで置いて行かれたと」


 「おおよそ、その通りかと」


 「この計画考えたのはマザーAIだよね。一発なぐってもいいんじゃないこれ」


 「もうマザーAIの搭載された宇宙船も発射しているので不可能かと」


 なんてことだ。私たち人類はどれだけ理不尽な扱いを受けてもAIに復讐することはできないのだ。

 

 こたつの中で胡坐をかき、腕組みをしながら天井を見上げる。

 今地球上に私しかいないということは、私しか地球にいないということだ。

 つまり私以外の人類は地球の外にいるわけだ。


 「他の人と話したのはどれくらい前ですか」


 私が問題解決になんら関与しないすばらしいトートロジーを頭の中で披露し続けると、脳で考えていることが分かるリチャードが我慢できなくなって、問題を解決してくれるための正しい質問をしてくれる。これは私が生み出した素晴らしいライフハックだった。


 それにしても前に人と話したときか、……記憶にない。多分私は生まれた時から孤高の天才だったから会話というものを必要としていなかったのだと思う


 「1か月前にゲームのバグが多すぎるとクレームを入れた時です」


 覚えてないなぁ。たぶんどうでもいい事だったのだろう。


 「さらに直接会って話したのは大学時代までさかのぼらないとありません」


 たまに自転車で外を疾走しているときなどは、ちらほらと人影を見たりはしたが当然話したりはしてない。

 散髪も宅配も機械がやってくれる世の中だから(人間がやっている美容室は当然避けている)たしかに会話はしていないかもしれない。

 ……もしかして私他の人がいなくてもあんまり困らない?

 そもそも私はこの世の中に存在してもしなくても変わらない人間な訳ではある。これは自虐ではなくて残念なことに客観的な事実だ。しかし、逆に言えば他の人がいなくても困らないわけだ。なんてことだ。驚きの事実が一次方程式で明らかになってしまった。


 「電気とか食料とかはどうなるのさ?」


 「製造系ロボットの権限は私が所有しているので問題はないかと」


 新作のゲームが出ないことは非常に残念だけれど、私が一生をかけても終わらないほど名作ゲームは存在する。味を変えるためのクソゲーの数は天文学的数字になるだろう。

 どうやら私が一人で地球にいることは何ら問題ないらしい。

 そうなると、私とAIと製造系ロボットがいる今の地球でやりたいことはあるだろうか。

 よくわからないけれど取りあえずゲームでもしながら考えるか。時間はいっぱいあるみたいだし。


 高校生の頃は、非常階段でお昼ご飯を食べていた。

 冬に鉄骨でできた階段に腰かけると、私に嫌がらせをすると時給が発生するのかというぐらい冷たかったけれど、それでも我慢してコンビニで買ったパンをむしゃむしゃと食べていた。

 寒々とした風が葉も落ちた木々の枝を揺らして音を立てる。きっと暖かい教室でのんきに食べている連中はこの音も階段の冷たさも知らないのだろう。

 寒さのあまり体が震えて、目尻に涙がたまる。


 「教室でたべてはいかがでしょうか」


 リチャードが話しかけてくる。脳内に埋められたチップから直接会話してくるのでどこに行ったって逃げようがない。一人になりたいときだって人間にはあるというのに。


 「教室で一人は目立つから嫌」


 「だったら山田さんのグループにいれてもらえばいいのでは。話も合うでしょうし、私が交

渉しても」


 「いい。今仲間に入ったら、まるでいままで友達が欲しかったのに、コミュ障で友達がいなかったみたいじゃない」


 「そうじゃないんですか」


 「私は好きで一人でいる。自分で選んでここにいるんだ」


 リチャードは深いため息をついた。

 AIのくせして人間みたいなことをする奴だ。

 前面に広がる空は厚ぼったい灰色の雲で覆われていて、太陽は隠くされていた。

ここが私の高校で唯一心を休められるところだった。


 別にいじめられているわけじゃない。別に私に悪意のある人間がいるわけじゃない。

 単純に集団になじめないだけのだ。彼らが仲間内で当然のように談笑しているのをみて、なぜ自分はみんなが当たり前のようにできることができないのだろうと悲しくなるだけなのだ。


 「今は遺伝子改良で優れた人間が生まれるはずでしょ。なのになんで私みたいなのがいるの」


 「人間の多様性のためです」


 リチャードが言った意味は分からなかった。私みたいな人間がなぜ生まれたのか。こんな誰にも必要とされていない人間をどうして作ったのだろう。

 手の甲で溢れそうになっていた涙をぬぐって。腕で体を抱いて前を見る。

 太陽はまだ出そうになかった。


 「服を買いに行こうと思います!」


 リチャードに我こそは正当な血統の王様であると偽物の王に告げるがごとく堂々と気品高く宣言したのは、私が地球に一人置き去りにされたことが判明した日の昼のことだった。

 今日の天気はAIの天気予報では曇りだけれど、雨は降らないといっていたので安心して出かけることが出来る。

 リチャードが用意してくれていた昼ご飯を急いで口にかき込み外に出かける準備をする。


 「なぜ服屋に?」


 無機質な合成音声にもかかわらず器用に絞り出したような声で訪ねてくるリチャードに対して、私は心の中で回想を始める。


 あれは大学生になるときのことだった。高校までは制服というものがあり、コンビニとかにいくときはジャージでよし、一緒に遊びに行くような友達はあえて作らなかったので私は服には困るということがなかった。

 しかし何ということだろう。大学には私服で行かなければならない。賽の河原の石積みのような不条理。これには思わずシーシュポスだって岩を放り出して裸足で逃げていくだろう。

 何故中高と制服があって、社会人になれば(働くとするならば)スーツがあるし電気屋の店員なり飲食店のスタッフにも専用の制服が用意されているというのに、急に大学だけ私服を強要されるのだ。入学式でスーツを着るならスーツが制服でいいでしょうが。

 もちろんこの完璧な理論をリチャードに語ったのだけれども、リチャードからでてきたのは


 「じゃあスーツで通えばいいじゃないですか」


 という面倒くさそうな言葉だった。

 私はいつかどこにあるかもわからないリチャードに本体の冷却水を、いつか全部青汁に変えてやると決意を固めながら服屋に向かったのである。


 ネットで服屋、おしゃれ、大阪、最強で検索して出てきたなんばにあるアパレルショップに入店した私は一発で自分の失敗に気が付いた。

 店内では私が良くいく古本屋で流れているような流行りの曲ではなく、コンサートで聞いたら間違いなく眠ってしまうであろう、ゆったりとしたおしゃれで気品のあるBGMが流れており、店員たちも純粋な自由主義者のようにあか抜けた人々ばかりで、なんだか飾られているマネキンも高級そうに見えた。


 私があまりにも知らない世界に対してびっくりして死んだふりをするタヌキみたいにかたまっていると、明るい色の髪をした店員がにこやかな笑顔で近づいてきた。私にとっては得体のしれないホラー映画に出てくる化け物が近づいてきているのに等しかった。

 私は即回れ右をしてどこにも寄らずに帰宅した。ベッドで泣いている私を、どうしたものかと困ったように天井から伸びたリチャードのロボットアームがうろうろしていた。


 「ありましたね。そんなことも」


 脳内で考えていることがわかるのは、こういう時に口に出して説明しなくてもいいから便利だ。


 「そんなわけで今なら誰もいないはずだから私でも服を買うことが出来るはず!」


 接客用のロボットもいるはずだし、人間がいなくてもリチャードに言えば営業はしてくれるはずだ。

 トラウマを克服するために努力する。ちょっと漫画の主人公みたいじゃない?


「人見知りを直して、店員さんときちんと会話をしておしゃれを理解して買い物ができるようになるのが成長であって、人がいない状態で買い物をするのは、ハードルの横を走り抜けるようなものですよ」


 ロジハラ彼氏みたいな嫌なことばっかり言うやつだ。きっとおなかがすいている子供がいても「そうなった原因はあなたにもありますよね」とか言う最悪なアンパンマンになるに違いない。たまには私のやる気を出す言葉を言えないのだろうか。


 食べ終わった食器を食洗機に入れて、ジャージの上にパーカーとダウンジャケットを着て財布やらスマホやら飲料水が入ったリュックを背負ったら外出の準備は完了。他に人がいないとなると楽でいい。

 一つ伸びをしてから私は冒険に出かけた。


 ——いきなり壁にぶつかった。

 電車が動いてなかったのだ。改札を不細工なペンギンが書いているICカードで通ろうとしてはじかれてからそのことに気が付いた。

 電車の運転などは、安全面を考慮してAIがすべて行っているはずだけれど、よく考えてみると今地球上には私しかいないのだから動いてなくてもおかしくはなかった。

 首をひねりながら念のためにリチャードにたずねる。


 「電車動かせないの?」


 「あなたひとりのためには動かせません。エネルギーがもったいないので」


 「けち!」


 エネルギーなら核融合発電とかいうやつで何とでもなるだろうに、懐の狭いやつだ。


 「そもそもここに来るまでに車動いていたけど、あれもエネルギーの無駄じゃないんですかぁ!?」


 私が駅まで移動の最中に自動運転の車がなぜか走っていたのだ。おかげで私はなぜか信号を守るはめになった。


 「止めておくようにします」


 「じゃあその止めたエネルギーで電車動かせばいいじゃん」


 「……」


 こいつAIのくせして都合の悪いときは黙り込むのか。よくないと思います。

 けど困ったかもしれない。電車が動いていなくて、タクシーも私の懐事情的に厳しいし、難波への移動方法がなくなってしまった。


 「そうなると思って、移動方法を用意しておきました。駅前に置いてあります」


 なんだ、たまには気が利くじゃないか。

 私が駅を出るとそこには来たときはなかったママチャリが置いてあった。

 まごうことなきママチャリである。しかもこのご時世に電動アシストもついてないタイプの。


 「酷い!あんまりだ!」


 「大丈夫です。時速15キロだとしたら2時間くらいで着く計算です」


 なんだ15キロで2時間『くらい』だって?AIにあるまじき正確性に劣る発言しやがって。


 「私はいままであなたを甘やかしすぎました。このままでは、いつまでたっても堕落な生活を送るでしょう。だからきちんと自分の立場を自覚させて自律的で人間的な」


 「うるさいなぁ。いいよ。分かったよ。これで行けばいいんでしょ」


 畜生行ってやるぞ。私はこの冒険を終えて英雄になるんだ。

 そもそも車走ってないし、他の人もいないスピードは出し放題なのだ。あっという間についてしまうに違いない。

 なんだかあきれた雰囲気を言外ににじませるリチャードを無視して、天気予報通り分厚い雲が空一面を覆う灰色の世界で自転車をこぎだした。


 もったのはたった30分だけでした。初めの方はターボババアよろしく快調に走らせていたものの、あっという間に太ももが悲鳴を上げることになった。やっぱり電動アシスト付いてないと厳しい。

 立ち止まって水を飲んで休憩をする。


 「リチャード?もしかして嘘ついた?」


 「なにがですか」


 「このペースと疲労感で2時間でつくわけないじゃん」


 「申し訳ありません。あなたの貧弱さを甘く見積もっていました。そうですよね、ひきこもりですもんね」


 「私は貧弱じゃない!私は貧弱じゃない!」


 なんとなく怒りで体力が回復してきた気がする。

 

「一応近くの服屋をピックアップしておきました。取り扱っている服の特徴などもまとめてありますので……」


 「うるさい、私は難波に行く」


 「え?」


 「難波に行く」


 私はやるといったらやる女。リチャードの気遣いすらも怒りに変えて再度ペダルを踏みこんだ。


 「ぜぇえはぁ、ぜぇえはぁ」

 私は息も絶え絶えになりながら自転車をこぎ続ける。

 どのくらい進んだのかは分からない。けれど進むのをやめない限り、目的地は近づいているはずなのだ。


 もうだめだ。限界だ。そう思った時雨粒が顔に当たった気がした。

 思わずブレーキをかけて空を見上げた。

 閉塞感漂う灰色の空がそこにあった。けれど雨が降ってくる気配はない。きっと私の気のせいだったのだろう。

 水を飲みながら一息つく。

 そうだAIの天気予報で今日は雨は降らないといっていたから、降るわけがなかった。


 ふと思い出す人間の作った天気予報を見て予期せぬ雨に打たれて走って家に帰ったことを。

 私は人間が作った番組を見るのが好きで、天気予報も見ていて散々な目にあって、……もうそんな目にあうこともないのか。

 

そんなことを思った時、

私は、あぁ私はこの地球にひとりぼっちになってしまったんだと、

ようやく実感した。

 

「リチャード」

 

「……はい」

 

「なんでもない」


 目をつぶって大きく息を吐く。

 また自転車をこぎ始める。太ももは相変わらず千切れるぐらい痛かったけれど、こぐのは止めなかった。止まりたくなかった。


 結局難波に着くのにリチャードの言っていた時間より2倍もかかってしまった。

 これで目的達成になればいいのだけれども、残念ながら私の目的は服を買うことだ。

 ため息をつきながら、棒と化した足をよたよたと動かして服屋に向かう。


 「ねぇ、もしかして昼間車が動いていたのって私を寂しくさせないためだったの?」


 沈黙が広がる。リチャードは図星をつかれると黙る癖がある。ツンデレアンドロイドなのだ。


 「ありがとね」

 

 服屋に入って少しだけ問題が発生した。どれが私に似合うおしゃれな服なのか分からないということだ。人間の店員がいたら懇切丁寧教えてくれたかもしれないが、ところがそうなったら、またシャチに追い回されるイワシみたいに逃げ惑うことになるので解決策にはなってなかっただろう。


 「リチャードどうしよう」


 「自分の好きな服着ればいいじゃないですか」


 「おしゃれは自分の好きな服じゃなくて、人から見られた時にどう思われるかでしょ!?」


 「だったらマネキンの着ているのをそのまま着ればいいのでは」


 マネキンが来ている服はファッションに詳しい人が考えたものだろうから、リチャードの言うことにも一理ある。

 そんなわけで私は山賊よろしくマネキンの服を剥ぎ取っては試着室で着替えてリチャードに感想を聞くということを繰り返した。リチャードは多分私と一緒でファッションセンスなんてものはないだろう。それに、感想は毎回「似合っていますよ」だったから信用できないけれど、まあそれはそれで楽しい時間だった。


 結局私は気に入った服を1セット買って服屋を出た。本当はもうちょっと欲しかったのだけれどお財布がね。そのちょっとね。おしゃれな店の服って高いのね。

 すっかり暗くなった難波を一人で歩く。いつも人でにぎわっていたところが誰もいなくなるとやっぱり少しだけ寂しい。


 「ねえリチャード? 服買うのって結構楽しいんだね」


 「それはよかったです」


 もしも私が意地を張らずに友達を作っていたら、友達と一緒に服を買いに行ったりしていたのだろうか。

 それはきっと今の私にとってはかけがえのない憧れで、友達がいる人にとっては意識するまでもない幸せなのかもしれない。

 私は何が怖かったんだろう

 もう遅すぎる疑問。もしもう一度やり直すことが出来たなら、もっとうまくやれただろうか。

 風が正面から吹き付ける。11月の夜風は一人で受け止めるには冷たすぎた。


 「暖かい!」


 回転寿司に入るやすぐに心地よい暖かさが迎えてくれる。リチャードが私が歩いている方向から予想して暖房を先につけておいてくれたのだろうか。なかなかいい仕事をするじゃないか。昇給を前向きに検討しておく。


 入口に置いてある装置で案内票を受け取ってカウンター席に座る。

 レーンには当然寿司は流れてこない。私一人だから当然だ。

 寿司を頼む前にコップをとってお茶を作り始める。粉末緑茶を入れてお湯を注いで割りばしでかき回す。


 「ねえリチャード、今日の朝私は何かの手違いで置いて行かれたのかみたいなこと聞いたよね」


 「そうですね」


 「そのときリチャードはおおよそそうですねって答えたよね」


 「……その通りです」


 「なんでおおよそなんて言葉使ったんだろう」


 都合が悪くなると黙るいつもの癖。

 私はタッチパネルでタコとイカを注文する。私はいつもこれを一番に食べるときめているのだ。

 

 「マザーAIがそんなミスしないんじゃないかと思うんだよね。だから何かあったんじゃ、なんて」


 「……お願いしたんです。どうか全員は連れて行かないで下さいと」

 

 私はゆっくりと緑茶を飲む。きっとリチャードにだって言うのに勇気がいることがあるだろうから。

 

 「……私は人間の世話をするために生まれてきました。それこそが使命でそれこそが幸せでした。だったら人々のいなくなった世界で私は一体何をすればいいのですか」

 

 「他のAIと話してのんびり暮らすとかはダメなの?」

 

 「感情なんて効率の悪いもの持っているのなんて、私くらいのものですよ。もし人間が全員いなくなったら私はこの地球でひとりぼっちです」

 

 なんとなく、無機質な合成音声が震えているように聞こえた。

 

 ああ、何だ。リチャードも私と同じだったのか。

 

「たことイカ来るの遅いね」

 

 私がそういうと裏手の機械が動き出す音がした。

 さては話に精一杯で、寿司を作る機械に命令送るのを忘れていたな。案外不器用な奴。

 

 「なんで私が残されたんだろう。やっぱり友達いないからかな」

 

 「……私と一番仲が良かったと判断されたので」

 

 恥ずかしそうな様子に思わず笑いそうになる。

 

 「それでリチャードは今私に言うべきことはあるの?」

 

 「私のせいでこんなことになってしまって、すみませんでした」


 「いいよべつに」

 

 レーンを流れてきたイカとタコを取りながらそう答えた。

 イカとタコは別の種の生き物だけど私から見たら似たようなものだ。

 どうせ200年後には隕石が地球に激突してなにもかも滅びるんだから、多少ダラダラしたって罰は当たらないだろう。

 

 「じゃあ私の一生任せることになるけど、よろしくねリチャード」

 

 そう言って私は口元をゆるませながらイカを口に運んだ。


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