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入門試験

 晴奈は剣道着に着替えさせられ、とあるお堂の中央に座らされた。そして横には、同じように剣道着姿の雪乃がいる。その晴奈たちの前に重蔵が立ち、試験について説明する。

「やることは至極簡潔なものじゃ。ただ座禅をしてもらう、それだけ。3時間じっとする、それ一つのみ。簡単じゃろ?」

「は、はい……」

 晴奈はまだ緊張が取れず、恐る恐る答える。そんな晴奈を見て、重蔵はニコニコと笑みを返す。

「はは、そう堅くならんと。じゃが、油断してはならんぞ。この堂には、鬼が棲んでおるからのう」

「おっ、……鬼、ですか?」

 重蔵の突拍子もない言葉に、晴奈は目を丸くした。

「そう、鬼じゃ。繰り返すが、試験の内容はただ一つ。鬼に惑わされることなく、3時間じっと座禅を組み続けること。それだけじゃ。

 ああ、そうそう。言い忘れておった。雪さんも、『私が晴奈ちゃんを連れてきたのだから、彼女一人で試験を受けさせるのは不義。同じように受けさせていただきたい』と言うから、そこに座っておる。じゃがもちろん、声をかけてはならんぞ。黙してただ座禅、それだけに専念するようにな」

「はい」

 答えつつ、晴奈は雪乃の方をチラリと見る。彼女はすでに目をつぶり、座禅に入っていた。それを見て、晴奈は慌てて視線を重蔵に戻す。

「それではわしがここを離れてから、もう一度入ってくるまで。一意専心(いちいせんしん)――ひたすら、座禅を保ちなさい」

 そう言って重蔵は晴奈たちから離れ、とす、とすと軽い足音を立てて堂を出て行く。と、堂の戸を閉める直前、「おお、そうそう」と一言付け加えた。

「も一つ言い忘れておった。この場所、『伏鬼心克堂』と言うんじゃ」

 そこでにっと薄く笑みを浮かべて、重蔵が戸を閉めた。


 晴奈は言われた通りに座禅を組み、じっとしていた。

(ふくき、しんこくどう?)

 重蔵が残したその言葉を、晴奈は心の中で何度も読み返す。

(鬼が潜んでいるから、伏鬼かな。心克って言うのは克己心(こっきしん)――自己を高める心のことだろうな、きっと。つまり鬼に負けないで、精神修養しろってことかな)

 色々考えている内――何の刺激もないため――次第にうとうととし始めた。

(ん……あ、危ない危ない。ちょっと眠りそうになった。ダメダメ、ちゃんと座禅しないと。もし重蔵先生に見られていたら、怒られちゃうかも)

 慌てて、目を開く。その直後、とす、と言う音が、背後から聞こえた。

(……足音?)

 とす、とすと、晴奈の背後で音が響く。思わず振り返りそうになったが、晴奈は心の中で自分を戒める。

(ダメダメ、座禅! 座禅を組まないと!)

 その間もずっと、とすとす歩く音が聞こえてくる。ゆったり歩いているらしい、軽い足音である。

(もしかして、……これが『鬼』? 何だか猫か兎みたいに、軽い足音。もしかしたら、子鬼かな?)

 そう思った瞬間に子供の笑う声が、ほんのかすかに聞こえてきた。

(あ、やっぱり子鬼なんだ。……鬼でも、子供は可愛げがあるんだなぁ。これがもし大人の鬼だったら、きっと足音なんて『とすとす』みたいなもんじゃないんだろうな)

 晴奈は少し笑いそうになったが、何とかそれをこらえようとした。だが、笑いは自然と消えた。笑っていられなくなったからだ。


 突然、地面が揺れる。座禅を組んでいた自分の体が――13歳にしてはわりと背が高く、体重もそれ相応にあるはずだが――一瞬、浮かぶほどの揺れだった。

(きゃあっ!? じ、地震!?)

 叫びそうになったが、先程まで笑いをこらえていたこともあって、何とか声を漏らさずに済む。目をつぶって無理矢理心を落ち着かせ、何が起こったか冷静に予想してみようとする。

(地震じゃ、ない、よね。外、騒いでないみたいだし――もしかしたら、地震くらいじゃ剣士たちって、騒いだりしないのかも知れないけど――一瞬で止んだ。もしかして、もしかしたら……、大人の、鬼?)

 その想像に、思わず晴奈はぶるっと震える。

(いやいや! そんなわけないじゃない! さっきまでいなかったんだから! ……で、でも。子鬼は、最初いなかった。どこかから姿を現したから、いるわけで。とすると、その……鬼も、入ってきたのかな?)

 そう考えた瞬間、また地面が揺れて体が浮き上がる。ずしん、と言う重く大きな音が、晴奈の猫耳をビリビリと震わせた。

(ひっ……!)

 心の中で叫ぶも、ずっと黙っていたせいか、今度も実際に声を出すまでには至らなかった。晴奈は鬼に怯えながらも、心の中で繰り返し唱える。

(だ、だ、だ、大丈夫、大丈夫だって! もし襲うなら、背後でウロウロしたりなんかしないじゃない! とっくに襲って来ているはず! だから、きっと、多分、大丈夫な、はず! そ、それに、もし、万が一襲ってきても、柊さんが横にいるんだし、きっと守ってくれる! だから、ほら、心を落ち着けて! ちゃんと座禅を、組まないと!)

 先程揺れた時と同様、無理矢理に心を落ち着かせようとするが、恐怖の広がった心が、恐ろしい想像ばかりをかき立てていく。

(……でも、鬼に人間が勝てるの? いくら柊さんでも、殺されちゃうんじゃ……!?)

 自分のあらぬ想像を、晴奈は全力で否定しようとした。

(そ、そんなわけない! ないの! だって、ほら、横には、ちゃんと……)

 そこで晴奈は目を開け、雪乃の姿を確認して自分を安心させようとした。


 だが、その光景に今度こそ叫びそうになった。雪乃が血を流して倒れていたからだ。

 彼女は座禅を組んだまま、横になっている。その背中には、いかにも鬼が持っていそうな棍棒が、無残に食い込んでいる。そこからドクドクと血が吹き出しており、どう見ても絶命していた。

(い、……嫌あああぁぁぁッ!)

 恐怖で凍りつき、叫んだつもりののどからは、悲鳴は漏れなかった。先程からずっと黙ったままの晴奈は、のどを押さえて震えだす。

(あ、あああ、柊さん、柊さん……!?)

 恐怖が頂点に達し、晴奈は現状を呪い始めた。

(何で、何でこんなことに……! ああ、私が、試験を受けるなんて言ったから、柊さんが死んじゃったんだ!

 私の、私のせいだ! 私が、ここに入ったから、柊さんも、一緒に入って、だから、死んで……え?)

 恐怖による混乱の渦中にありながらも、晴奈はある矛盾に気が付いた。

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