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憧れ

 先程の騒ぎが一段落したところで、雪乃は倒れた拍子にケガをしていた晴奈に気付き、落ち着いた場所まで連れて行ってくれた。

「大丈夫、晴奈ちゃん?」

 そこで雪乃が心配そうに、晴奈の手のひらを覗き込む。一般的な長耳の評価通り、彼女も強い魔力を持っていたらしく、彼女は治療術ですぐに晴奈の傷を治してくれた。

「え、ええ。ありがとうございます、柊さん」

「いえいえ、礼を言われるほどのことじゃないわ」

 そう言って雪乃は、にこっと微笑む。出会ってたった十数分しか経っていないが、晴奈はこの人のことをとても好きになっていた。

「お強いんですね、柊さん」

「ううん、私なんかまだまだよ。むしろ晴奈ちゃんの方こそ、勇気があるわ。普通の人はあんな時に声、かけられないもの」

「そ、そう、ですか?」

 そう言われて、晴奈は妙に嬉しくなった。今までのほめられ方は「女らしい」「可愛い」と言う、親のかける期待に沿い、おもねるようなものばかりだったが、たった今、彼女からかけられた「勇気がある」と言うその言葉は、そんなものとはかけ離れた、純粋な称賛だったからだ。

「いいなぁ、かっこ良くて」

 そのせいか晴奈の口から、そんな言葉がため息混じりにぽろっと漏れた。

「ん?」

「私なんか、全然かっこ良くないです。……どうしたら、柊さんみたいになれるんでしょうか?」

 問われた雪乃はほんの少し困ったような顔をしつつも、言葉を選ぶような口調で、ゆっくりとこう返した。

「うーん……私みたいに、ねぇ。……一つ挙げるとするなら、剣術かしらね。昔から、励んでいたから」

「剣術ですか?」

 晴奈はその言葉に、何かを感じた。しかしそれが何なのか明確に言語化することができず、結局そこで話は途切れてしまう。

「じゃ、そろそろ行くわね」

「え? あ、えっと、どこに?」

 もう少しだけでも引き留めようと、どうにかそう尋ねた晴奈に、雪乃は依然としてにこやかに、こう答えてくれた。

「そろそろ故郷に戻ろうと思って。ここから南にある、紅蓮塞って言う修練場なの」

 雪乃はもう一度にこっと笑い、そのまま去って行く。

「あ、あのっ……あ……」

 晴奈は別れの言葉も言えずに、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。




 雪乃と別れた後から、晴奈の中で二つの思いが交錯し始めた。

 彼女との出会いは、晴奈に大きな衝撃・衝動を与えていた。「あの人を追いかけたい」「自分も剣士になりたい」と、心の底から強く思ったのである。しかしその思いを実現させれば――憂鬱で仕方のない日々だったとは言え――今までの平穏な日常が終わってしまう。世間知らずの13歳にとって、未知の世界はあまりにも恐ろしい領域である。そんな冒険に飛び出す勇気が突然湧き上がるはずもなく、結局、晴奈は家に戻ってからも剣士の道を目指すか、それとも安定を取ろうかと、延々迷っていた。

 そんな風に考えあぐねていたため、晴奈は家の廊下でうっかり、妹とぶつかってしまった。

「きゃっ」

 よろけた妹の手を取り、晴奈は頭を下げる。

「あ、ああ。ごめんなさい、明奈」

 晴奈は慌てて妹、明奈に謝る。

「大丈夫、ですが……どうなさったの、お姉さま?」

 明奈はきょとんとした顔で、晴奈の顔をのぞき見る。

「ええ。少し、考えごとを」

「すごく険しい顔をしていらっしゃるわ。一体、どんなことを?」

「……」

 妹になら話してもいいかと考え、晴奈は明奈を自分の部屋に招き入れ、昼間の経緯と悩みを打ち明けた。

「そんなことがあったのですね」

 すべてを聞き終えた明奈は、静かな口ぶりでこう返した。

「では行った方がよろしいでしょう」「えっ」

 明奈の言葉に晴奈は驚いた。てっきり反論されるか、止められるかと思っていたからだ。

「黄家は、わたしが継ぎます。だからお姉さまは、ご自分の夢を追いかけてらして」

「で、でも明奈、あなたは?」

 戸惑う晴奈に、明奈は淡々と返す。

「わたしには、そこまで強い志がありません。せいぜい『良縁に恵まれ、良いお嫁さんになりたい』と言う程度。(ふる)い黄家にふさわしいでしょう? でもお姉さまは大きな志を、夢を抱いていらっしゃる。その夢はこの旧い家にいたのでは、終生叶いませんわ。

 夢を見たのなら、叶える努力をなさらなければ」

 たった8歳ながらも、強いまなざしで語る明奈の言葉によって、13歳の晴奈の心の奥底にカッと火が灯った。


 そして夜半――晴奈は荷物をまとめ、家を抜け出した。

 柊にもう一度会い、そして柊のような、強く、かっこいい剣士になるために。

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