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すべてのはじまり

 時は双月暦506年。夜道を駆ける、三毛耳の猫獣人の少女がいた。央南地方で名を馳せる大商家の令嬢であったが、先刻その身分を自ら捨ててきた。この日彼女に、決して捨てられぬ(こころざし)ができたからである。

「あの人のように、強い剣士になりたい」と。


 この少女こそ、後に「蒼天剣」の異名を取る女武芸者、黄晴奈(こう せいな)である。

 この物語は彼女がどのようにして当代一の剣士となり、央南の未来を左右する大戦に臨み、そして世界を旅し――何故その異名で呼ばれることになったか、そして一体何を成したかを巡る、彼女の半生記である。




 すべての始まりは彼女が夜道をひた走る、その半日前だった。

 その日も晴奈は親の言いつけ通り、舞踊の稽古と料理の教室に通っていた。世の裕福な親にありがちな、「お前の将来を思って」と一方的に願う彼らの意向からである。

(何が、私の将来よ?)

 晴奈も親の思いを「押し付け」と思っている一人であり、親への不満を内心でつぶやく。

 ただし――彼女の幼い憤懣(ふんまん)を抜きにしても――彼女の親にとって「晴奈の将来」とは「黄家の将来」であり、親たちが大事にする家柄の将来のことである。つまるところ、すべては晴奈をエサとして将来いい婿を引き寄せるために――彼女の意志を一切反映されることなく――強制的にやらされている、「花嫁修業」なのである。

 大人になりつつある13歳の少女がその押し付けに憤るのは、当然と言えた。

(私は、あいつらの人形じゃない)

 しかし面と向かってその不満をぶつけるほどの勇気も人生設計もないため、結局は教室の行き帰りにぶつぶつと、不平・不満をつぶやいてごまかすだけに終わる。その日までその愚痴吐きだけが、彼女のほんのわずかな気晴らしの方法だった。


 いつもと違ったのは、ここからだった。そうして道を歩いていたところで、晴奈は治安の行き届いているこの街ではあまり見慣れない、ある「事件」に出くわしたのである。

「あっ……」

 酔っ払い風の3人のむさくるしい男たちが、長い耳の女性に絡んでいたのである。

「だーらさー、つきあーってってー」

「断ります」

「そんらころいわらいれさー」

「断ります」

「いーじゃん、いーじゃーん」

「断ります」

 このいさかいを遠巻きに見つめていた晴奈は、男たちに不快感を覚えていた。

(嫌な人たち! こんな日の出ているうちからあんなに酔って、恥ずかしいと思わないの?)

 どうやら長耳も明らかに男たちを煙たがっているらしく、ひたすら「断ります」としか答えず、すたすたと歩いている。その内に、まとわりつく男たちの語気が次第に荒くなっていく。

「なんらよー、おたかくとまっちゃっれ」

「いいきにあんあよー」

「きれるよ、きれちゃうよ」

 ついには男たちが女の前に回り込み、彼女の行く手を阻んだ。その下卑た顔が横一列に並ぶのを見た瞬間、晴奈はとっさに女の近くに寄り、手を引いていた。

「お姉さん、行こう? こんな人たちに構うことないよ」

 晴奈が間に割って入るなり、男たちは憤った様子を見せ、一層声を荒らげ出した。

「なんらー、このガキ?」

「やっべ、うっぜ」

「うるせえ、あっちいけ!」

 男たちの一人が乱暴に、晴奈を突き飛ばす。

「きゃっ!」

 暴漢への対処など何一つ知らない晴奈は当然、突き飛ばされるままにばたりと倒れてしまった。と、それを見ていた長耳が「あっ」と声を上げ、こうつぶやいた。

「……騒ぎたくはなかったけれど、そんなわけに行かなくなっちゃったか」


 この瞬間、彼女の雰囲気がガラリと変わったことに、晴奈は気付いた。それまで淡々といなしていた彼女の様子に、急に凄みが差し始めたのである。だがその時点で、男たちはまだ気付いていなかったらしく――。

「じゃますっからだ、ガキ!」

「いけ、どっかいけ、しね!」

「さあ、おじょーさん、じゃまがき、え……、え?」

 と、相変わらず騒ぎ続けていた男たちが、ぱたりと口をつぐむ。その時には既に、彼女が男たちをにらみつけていた。

「幼子に向かってそのような態度、容赦しない!」

 女がそう叫んだ瞬間、晴奈に向かって「死ね」と吐き捨てていた男が吹っ飛んだ。

「ぎっ……」

 叫ぼうとしたようだが途中で気を失ったらしく、そのまま仰向けに倒れて動かなくなる。

「お、おい」

「な、なにすん……」

 続いてもう一人、くの字に折れてそのまま頭から倒れる。どうやら彼女が何か仕掛けたらしいが、傍らで見ていたはずの晴奈でも、何が起こったのか分からない。晴奈は慌てて立ち上がり、騒ぎから少し離れて再度、様子を伺う。そこでようやく、彼女の手に何かが握られているのが、チラリとだが確認できた。

「あ、あ……」

「まだ正気が残っているのならば、さっさとそこの2人を担いで立ち去りなさい」

「……はひ、……すんまへんしたーっ!」

 一人残った男は慌てて倒れた仲間を引きずりながら、その場から逃げていく。

「……ふー……やっちゃったわねぇ」

 彼女の手には刀が、刃を逆に返して握られていた。どうやらそれで男たちを叩き、ねじ伏せたらしかった。


 これが晴奈の生涯に渡っての目標となる長耳の女性――柊雪乃(ひいらぎ ゆきの)との出会いであった。

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