第四章58話『水の刃VS赤雷鬼』
もう少し、もう少しで辿り着く。少女の待つ地へと。
走り続け、ようやく目にした。ーー鬼獣族の大男と見知った顔の少女が戦っている光景を。
「ーー見えやした! アンの旦那でありやす」
すると突如、少女に向かって鬼獣族の男の左手から赤い雷の乱撃が繰り出された。
助太刀しようとしたが、その直後にそれが余計なお世話であることがわかった。
「アンの旦那! ここは任せてもいいですか?」
「う、ん! こいつは、私が、たお、すっ!」
攻撃を避けながら喋っているので途切れ途切れになりつつも、アンはシュテルニスに助けがいらないことを証明した。
「分かりやした。それでは、某は地下牢を開放してきやす」
「う、ん! 頑張っ、てっ!」
シュテルニスはアンに背中を向けて、瓦礫で通りづらくなっている地下牢の入り口の暗闇へと足を踏み入れた。
「急いでお助けいたしやしょう」
シュテルニスが階段を下って、その先の広場に着くのには、十秒もかからなかった。
広場に着けば、案の定、大量のーーだいたい五十人くらいの看守兵たちが、剣を握って待機していた。
「ーーっ! 侵入者だぁぁ!!」
「捕えろぉぉ!!」
まあ、姿を見せれば無数の敵意に歓迎されるというわけだ。
「いいでしょう。某が、お主たちのお相手となりやしょう」
そうは言いつつも、シュテルニスは柄に触れるどころか、刀を抜くことさえしなかった。
理由は簡単。ーーこいつらに、『星剣』を抜く価値を見出せなかったからだ。
「手刀でお相手いたしやしょう。それで十分です」
言い終わると共に、敵兵の一人が「舐めてんじゃねえぞ!」と怒鳴りながらこちらに突撃してきた。
「まずは、お主から!」
敵兵の一振りを体を横にずらして回避。当然、そこに隙が生まれたので、すかさず隙だらけの脇腹に手刀を少しだけ減り込ませた。
すると案の定、その兵士はその場に倒れこみ、戦闘不能になった。ーーおそらく死んではいないはず。
「ーー次はどなたですか?」
血で濡れた手で空気を一振りし、その血を全て地面に払い落としたシュテルニス。その彼の茶色の瞳は間違いなく、凡人と同じ景色を見ている目ではなかった。
「か、数で押し切るぞぉ!」
「「「オーーーッ!!」」」
力がなければ、その分、数で押し切る。ーーいい判断ではあるが、それは世界の枠の外側にいる埒外のような存在には通用しない。
「多勢に無勢。厄介ですが……ちょうどいいハンデというものでありやす」
「舐めやがって!」
無数の敵意の込められた刃が、雨のように降り注ぐ。
関係ない。前方からの攻撃を避けて、横方向からの攻撃を避けて、そこを狙い撃ちにしてくる攻撃を避けて、足元に迫り来る攻撃を避けて、そこを狙って真上から振り翳される攻撃避ける。そして隙あれば脇腹に手刀を減り込ませる。ーーそれだけで、五十もの相手を簡単に制圧することができた。
これが、世界の埒外であるリヒト•シュテルニスの瞳に映る景色である。
「さて、お次はどうするおつもりですか……っと、某としたことが、もう全員倒してしまいやした」
ーーその血に濡れた手が斬らなければいけないものは、もうこの場には一つたりとも残っていなかった。
「さて、それでは某は、囚人の皆さん方をお助けしに行くとしやすか」
シュテルニスは、魔獣すらも恐れを成して地面から出てこられないこの地下牢の廊下を、威風堂々ゆっくりと歩き始めた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
シュテルニスは自分の役目をしっかりと理解し、それを成し遂げたーーと思う。この目で見たわけじゃないから分かんない……
けれど、おそらく彼はやり遂げた。ならば、アンは刹那も気を緩めず、刃を突き立てなければならない。それが、アンの役目なのだから。
「ーー極限集中!」
ーー世界の速度が落ちた。
縦横無尽に世界を泳ぐ赤雷も、それを放つ鬼獣族の動きも、そして自分の体も。
速度が落ちないのは、全身の神経が研ぎ澄まされた自分の思考だけ。極限集中とは、そういう技だ。
「全部、避けてやるんだから!」
前方から迫る赤雷を、右に向かって飛び込んで回避。
突如、予測できない挙動によって頭上へと迫った赤雷を、前方に向かって走って走って回避。
その後、左右を挟み撃ちにしてくる二つの赤雷を、空中で後ろに体を捻ることにより回避。
一旦落ち着いたかと思えば、今度は赤雷の刃が同時に十本ほど生成され、それが空腹に飢えた猛獣の如く迫った。
「ーー多い、のよっ!」
それでも行うのは、赤雷を撃ち落とすための反撃ではなく、ただの回避、回避、回避、回避、回避、回避、回避、回避、回避、回避。
触れればアウトのその刃。アンの使う攻撃では、その刃を、折ることも叶わない。ーー否、折る方法はある。しかし、それはあくまで追い詰められた時の最終手段。決して、軽はずみに使用はできない。
「ーー見事な身のこなし。やはり当方は、お前に最大の敬意を払うべきなのだろう」
ーーその賞賛が、アンの世界の速度を強引に引き戻した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……まだまだ、これからよ!」
「ーーよかろう。当方も引き続き、全力で相手を務めよう!」
腰に忍ばせていた万能小刀を右手に構えたアンは、再び極限集中を発動。世界の速度を、再び低下させた。
「『水の刃』、ネイレス•アン」
「『赤雷鬼』、スタン•ガーオ。ーーはぁぁぁぁッ!!」
それぞれの名乗り合いが終わった直後、鼓膜を震わす咆哮をあげたスタン•ガーオの瞳が血の色に染まり、太陽の昇らない空に向かって掲げている赤雷を纏った左手をアンの方へと向けた。
すると広げた左手の五本の指先から、無数赤雷の刃が、アンの体を喰らおうと伸びた。
先より速度と威力が、確実に上がっている。これが、『赤雷鬼』の本気というものなのだろう。ーーって、まずい!
「ーーっ、思ってたより、速い!」
空気を穿ち、地面を抉る赤雷の刃の数々は、気づけばもうアンの手の届く距離にまで迫っていた。
辺り一体は既に赤雷に埋め尽くされ、逃げ場など、まるでない。ーーこれだけは避けたかったが、リスクの高い最終手段の出番だ。
「ーー今まで一度も成功したことなかったけど……頼むわよ。私!」
アンは小刀を握っていた右手を右方向に伸ばし、身体中の力を振り絞って小刀を強靭な武器へと仕上げていった。
「はぁぁぁぁ!!」
ーー刹那、アンの周りを泳ぐ全ての赤雷が、一つ残らず爆ぜた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ーーダメだ。
「ーーはっ」
ーー愉しい。
「ーーははっ」
ーー愉しすぎる!
「はははははっ!! 愉しいなぁ! ネイレス•アン!」
今のを防がれた。ならば、その上をお見舞いしてやる。
「ーー赤雷爛漫•滅!!」
空気が揺れる。ーー違う。悲鳴をあげているのだ。
ロープと小刀を合体させて新たな武器を作り出した少女に向けて、『赤雷鬼』の左手から繰り出された二十本の赤雷に。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ーーなんとか成功した。
どうやったのかと言われると、小刀の持ち手部分にロープを巻きつけ、それを思いっきりぶん回して赤雷を全て斬り落としたとでも言っておこう。
ちなみにこれをやりたくなかったのは、今まで成功したことがないのと、あと単純にリスクが高すぎるという理由だ。
「ーーまあ、それでも成功しちゃったんだから、まずは私にハイタッチってところね」
そうやって頭の中で可愛い自分とハイタッチをしていた最中、また十本のーー否、その二倍である二十本の赤雷が牙を剥いていた。
「やれるものなら、やってみなさいよ。ーー全部、捌いてやるんだからっ!」
「やってみろぉぉ!!」
無数の赤雷が少女の体を穿とうと、まるでそれぞれに意思があるかのように、縦横斜めの全方位から迫ってくる。
ーー全部捌いてみせる。
一つ目の赤雷を捌き、その後の赤雷は回避。回避し終わったら、今度は攻撃を少しでも分散させるために、少しだけ場所を変えるために場所を移動。そして、また捌く。
ーー捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動。捌く、回避、移動の攻防が続き、そしてようやく空気が静かになった。
それでも手を止めれば、そこを突かれてしまう。だから、今のアンには『休憩』という権利がない。
「よし! 今度はあなたよ!」
幸いなことといえば、肝心の少女は、それを受け入れ、迷わず行動しているということだ。
スタン•ガーオとの距離を縮めて、そしてその巨軀に刃を叩き込む。その道中、無数の赤雷が襲いかかるが、それも全てこの可憐な少女が捌ききる。ーーよし、予行練習完了!
「ーーーーっ!」
脳内予行練習に乗っ取り、少女は巨軀に向かって駆けた。
「はっ! とりゃ! はぁぁぁ!!」
その道中、想定通り無数の紅の刃が少女を襲った。ーーだが、全て脳内で練習したので、落ち着いて小刀が結ばれたロープをぶん回しまくって、可憐に対処してみせた。
側から見れば適当にぶん回しているだけに見えるが、実はこれ、アンが全ての赤雷の場所と動きを見てそこに的確に刃を通すという、名人も驚嘆に値する偉業なのだ。ーー何の名人かは知らないが。
そうした偉業を成し遂げて、一歩、また一歩と距離を縮め、そして遂に金棒が当たる距離まで詰めることができた。
距離を詰めると、そこには驚きと恐怖を顔に焼き付けた男の顔がーー否、驚きはあれど、その顔に恐怖は一切なかった。
むしろ、彼の顔は愉しげに笑っており、「ははっ!」と笑い声を漏らしていた。
「ここまでよ。スタン•オーガ。観念しなさい!」
「これだけ愉しいというのに、途中でやめろだと? 当方にそんなことできぬな」
アンは小刀を結んでいたロープを手の中に吸収し、そして鬼獣族の巨軀に剣先を向けた。
次の瞬間、巨軀の握っていた金棒が空気を潰し、そのまま少女の身へと迫っていた。
即座に反応して避けたが、勢いのまま地面を抉ったその金棒を見れば、一回でもあれを喰らえば即終了だということが分かる。
「ーーっ、危なかった……」
「凄まじい反応速度だな。ネイレス•アン。やはりお前は、驚嘆の意に値する」
その地面を抉った金棒を振り上げ、そして両手で構えた。
単純に考えて、この小さな小刀とあの大きい金棒が衝突するようなことがあれば、アンに勝ち目はない。
ーーそれがなんだ。ならば、また避けるまでだ。シノビ顔負けの、あの身のこなしで。
まあそんなことを言えば、天才シノビであるネオに怒られてしまうのだが。
「はぁぁあっ!!」
巨軀の手から、再び大きな金棒が振り下ろされる。
極限集中を発動していないと避けることができないようなそれを、アンが可憐によけてみせた。
その後、今度は地面を抉るようなことはせず、そのまま空中で向きを変えて横に避けたアンに襲いかかってきた。
「ーーっ!」
それを、今度は空中体を後ろに捻り回避。そのついでに、黒く光る金棒にロープを巻きつけてやった。
その後、地面に足がついたと同時にロープを引っ張り、スタン•オーガの顔に、一瞬驚きが現れた。ーーそれで金棒を奪うことができれば良かったが、生憎そんな馬鹿力はアンにはない。
だから力がない分、アンが周りと肩を並べる方法は、その優秀な頭脳で小細工をすることだ。
一瞬でいい。一瞬でも相手の意識を逸らすことができれば、戦場は一気にアンの独壇場となる。
「ーーはぁぁぁ!!」
左手から伸びて金棒に結びつけていたロープを小刀で断ち切り、スタン•オーガの視線がロープに縛られた金棒からアンへと移動する刹那、ーーもう遅かった。
少女の水を纏った刃が、既に『赤雷鬼』の左目を抉っていたのだから。
流石に鬼といえど、目玉を抉られればただで済むはずもなくーー
「ーーうぐっ、速い……っ!」
それこそ痛みに悶えて叫び出すようなことはしなかったものの、小さく声を漏らして、斬られた箇所の痛みに神経の半分を支配されてしまった。
「ーーとりゃぁぁぁ!!」
鬼の左目を潰した少女の小刀は、今度はスタン•オーガの左肩を抉り、そのままその強靭な鬼獣族の体を一直線に降下した。
切り裂かれた鬼は、膝に力が入らなくなってその場に立ちすくむ。それから今にも気絶しそうな中、少女に向けて言の葉を紡いだ。
「ーー『水の刃』、ネイレス•アン。当方は、お前と出会えてよかった」
ーーそれが、誇り高き鬼が最後に解き放った、祝福という名の刃であった。




