第四章55話『星斬り』
それにしても驚いた。まさか、ここの地下牢に囚人用の食堂があるとは。てっきり、夜ご飯はそれぞれの牢屋に、看守が一つ一つ配っていくものかと思っていた。そして、さらに驚くべきことはーー、
「思ってたより美味しい……」
食えば食うほどパワーが出るというのは、どこでも同じらしい。これで、また全力で刑務作業に掛かれるーーって、違うだろ!!
「飯は美味しいけど、ここに長居するわけにはいかねぇからな。ちゃんと食べて、明日に備えないと」
そして再びレックスは、囚われの身ということを感じさせないほど、豪快に食事を始めた。
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いつも通り朝日が昇り、辺りを照らし始めーーない朝がやってきた。
「おはよう。アトレス!」
「おはようございやす、旦那」
「ーー流石に、朝ご飯はないんだな……」
「左様。できれば某もいただきたいところでございやすな」
そうした朝の会話ができるのも刹那だけ。もう慣れた。「朝礼の時間だぁ!! 出て来い囚人どもぉー!!」と言う爆音と共に、忙しい一日が始まるのは。
「いい加減、もうちょっとゆっくり、廊下を歩かせて欲しいな!」
「これより、朝礼を始めるーーと言いたいところだが、俺様は明日までここを外すことになった。よって、今日と明日は、なしとする!! 各自、手を抜かないようにしろ!!」
そう言って、ドーバ•ウィングは背中から生えている羽を開き、そのまま猛スピードで地下牢を飛び去った。
その様子を見つつも、レックスは採掘用の巨岩の前にツルハシを握りしめて自らの幸運を謳った。
「どんな偶然だよ……まあいいや。ーーアン。明日のことについて話し合おう」
そう呼ぶと、「そうね」と言いながら右手にツルハシ、左手で持ち前の綺麗な銀髪の髪をいじりながらこちらへ歩いてくる少女ーーアンがやってきた。
「別に、今からやってもいいと思うけど」
「いや、それはダメなんだ。明日じゃなきゃ」
レックスは約束したのだ。二日の間で、アトレスに決断するように。『約束』は守らなければ。
「ーー分かったわ。何か、理由があるんでしょ?」
「あぁ。助かるよ」
「ーーそれで、どうするの?」
「まず俺としては、刑務作業が始まって全員がツルハシっていう武器を手にした時が、反乱のスタートだと思う」
ツルハシの武器としての性能は、『歓迎の儀』を乗り越えたレックスが一番よく分かっている。それは、他の誰にも譲れないことだろう。
問題は首輪をつけられた囚人の戦闘力についてだが、こちらも問題ないだろう。なんせ、レックスでも疲れるような地獄の労働を毎日、人によっては何年も積んでいるのだ。戦いにおいては、不安なしというところだ。
「それで、昨日アトレスに聞いたんだが、ここの看守の人数は、ざっと五十人ぐらいらしい」
「なるほどね。ここの囚人が百人ぐらいだから……余裕ね。ーーそれで、この首輪を外す方法は分かってるの?」
首についてる鉄製の首輪をガシャガシャしながら話すアンに、誇らしくレックスが親指を立てた。
「それについても、抜かりはねぇぜ。俺たちの鍵は、ここの地下牢の看守室に置かれてる」
「つまり、全看守を倒してから首輪を解除するってことね」
「そういうことだ」
「あと一つ嫌なのは、外出中の鳥野郎が帰ってくるってことよね……」
怪訝そうに言うアンに、頭の中にクエッションマークが浮かんだレックスは首を傾げた。
「なんで帰ってくるんだ?」
「そりゃ、地下牢で反乱が起きたなんて報告を耳にしたら、いくら間抜けそうな鳥野郎でもすぐに帰ってくるわよ」
「確かに……」
レックスたちが反乱を起こすにあたっての残された懸念点。それは、ドーバ•ウィングの戦闘能力が不明、そして帰ってくる可能性があるということだ。
鳥獣族。そしてここの西区の区長ということなので、決して弱いとは思えない。いずれにせよ、そこで全ての作戦が水の泡になる可能性もある。
「まあでも、それまでに首輪を外せたら、俺たちの勝ちってことだな」
「ーーそれもそうね。あの鳥野郎に、私たちが負けるなんて考えられないもの」
そう言いながら可愛らしく笑うアンの言葉に、レックスはどこか安心させられたのだった。
いずれにせよこちらの勝利条件は、ドーバ•ウィングが帰ってくるというタイムリミットに陥るまでに、全看守を倒して首輪を解除することだということだ。
そうとなれば、自分たちがやらなければならないことは一つだけだ。
「明日、絶対に俺たちが勝つぞ!」
「あったりまえよ!」
この地獄の地下牢の採掘場にて、岩を掘る音以外の、ーー互いの手と手をぶつけた時になる音が鳴り響いた。
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ーーアトレスは『アトレス』である。
アトレスーーいや、この頃はリヒト•シュテルニスか。彼は、脱獄に失敗した際に誓った。これからは、何もかも諦めて『星斬り』リヒト•シュテルニスの名を捨てて生きていこうと。ーー『アトレス』として、生きていくと。
そう誓ってからは、心も体も楽になった。当たり前だー。抗おうとするから傷つく。抗おうとするから苦しむ。
もう『アトレス』となった彼は、傷つくことも苦しむことも、何もかもが嫌だと感じるようになっていた。
一生ここで暮らしていこう。衣食住は確保してもらえる。ここは案外充実している。ーー悪くは、ない。ーーはずだ。ーーおそらくそれは、揺らぐことはないはずだった。ーーでも揺らいでしまった。ーーあの少年に出会ってからら。ーーまた、星の輝きを望んでしまった。
「ーー某、これから名をなんと名乗れば良いものか」
一刻も早く自分を見つけなくては。あの少年との約束を果たさなければならないのだから。
自分は『アトレス』なのか、それとも『星斬り』リヒト•シュテルニスなのか。
「ーー旦那はどちらの方がいいでありやすか? 臆病で何もかも諦めてしまった痴れ者の『アトレス』と、『世界三大埒外』と謳われていた『星斬り』リヒト•シュテルニス。どちら、です……?」
ーーそしてそのまま、『アトレス』は深い眠りへと誘われた。
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目を開けると、そこは何もない白い世界だった。ーー否、何もないわけではない。自分のボロボロの手と足がそこにはあった。
「ーーここは……どこでありやすか?」
手を何度か握ったりしてみたが、やはり感覚はあった。それでは、一体ここはなんだというのだ? ーーその疑問は、目の前に映るそれによって解明された。
「これは某、でありやすか?」
それは、決して整ったとは言い難い顔に埋め込まれた茶色い双眸の中に、自分の間抜けた姿、形を映し出していた。
それだけではない。歳は今のアトレスよりも若く、腰には星の形が形どられた『アトレス』には似合わないような豪華な剣が刺されていた。
これだけ特徴があって、考えられることは一つしかない。
「お主は、某でありやすか? それも昔の」
顔も姿も瓜二つ。唯一違うところがあるとすれば、それは左手の有無だろうが。
いずれにせよ、これを昔の自分と断定するのには、材料が揃いすぎていた。ーーだが、若さと左腕以外に決定的な違いが一つだけあった。それは、
「星の輝きを、見る目でありやすか……」
目の前にいるアトレスは、『アトレス』と違って、未だ星の輝きを望んでいるーー『星斬り』リヒト•シュテルニスだ。
それが、目の前にいるアトレスと、それに見つめられている『アトレス』との大きな違いだ。
「某は、いったいどうすれば良いのでしょう?」
勿論、返事などが返ってくるなどとは思っていない。ーーその予想を、『アトレス』ではないアトレスの声が裏切った。
「未来の某は、何を望んでるご様子で?」
それが分からないから聞いたというのに、それを聞かれては、質問に質問を返すというものだ。
分かっている。目の前のアトレスが、星の輝きに魅せられ、星の輝きを拝むためだけに生きているということも。ーーそれでは、今の『アトレス』はただの抜け殻ではないか。
「今の某には、未来の某の目が曇ってるように見えやす。ーー『星斬り』は、辞めたのですか?」
「ーーっ、『星斬り』は、もう某には相応しくない名でございやす。それゆえ、今の某には一体何を望めばいいものか」
抜け殻の『アトレス』は、何も望まない。何にも魅せられていない。何一つ、成し遂げようとなど思わない。誓ったのだ。あの左腕と共に夢も希望も奪われたあの日に。
「されども、今の某には、未来の某が他の何かを望んで、何かに魅せられているように見えるのですよ。それは一体、何でありやすか?」
ーーーー。
ーーーーーー。
ーーーーーーーーは?
「某が、今何かを望んで、何かに魅せられていると、お主はそうおっしゃるんですか……?」
「左様。お主は、別の何かに惚れたのでしょう。惚れた女でもできやしたか?」
ーーやめてくれ。過去の『星斬り』の名を冠するアトレスに誇れるものなど、『アトレス』には一つも持ち合わせていない。
「ーー某に、惚れた女などいやせん。お主に誇れるものなど、一つも持ち合わせていやせんよーー」
「お主、今嘘をおっしゃいやした。違いやすか?」
本当に理解できない。何故『星斬り』アトレスが、今の『アトレス』を理解できる? 決して理解できまい。
考えても考えても考えても考えても、『アトレス』が惚れたものなど見当たらない。ーーその時、ふと一人の少年の姿が目に浮かび、アトレスの瞳が大きく揺らいだ。
「ーー『星斬り』さんや。某、ようやく見つけやした。惚れたものを」
「ようやく気づけたようで、何よりでありやす。それならば、もう某は必要なさそうですね」
ーー辺り一面白い世界で、『アトレス』に大事なことを気づかせてくれた『星斬り』の影が揺らぎ始めた。
当然だ。これはアトレスの夢の中の世界であり、この『星斬り』は今の『アトレス』が作り出した幻影に過ぎないのだから。
「どこかで気づいていたかと言われれば、いささか不謹慎というものでしょうが……『約束』を、果たしやしょう」
「ーーいつか、某を心底驚嘆させるようなことを成し遂げてください。『約束』でありやすよ」
ーー『アトレス』は、惚れた少年、そしてアトレスに報いるため、痴れ者である『アトレス』の名を捨て、再び『星斬り』リヒト•シュテルニスの名を背負って戦うことを魂にーー星に誓った。
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「あのおじさんーーアトレスは、結局来なかったの?」
「いや、何度起こしても目覚めなかったんだよ」
「まさか、死んだんじゃないでしょうよね!?」
「縁起でもねぇこと言うなよ! 生きてるよ!」
こうした軽口の叩き合ってるのは、これから起こす反乱の台風の目となる少年と少女だと言うのは言うまでもない。
入念に準備した。ここの囚人も、ほとんど仲間に加えた。ーー戦力は十分ある。あとは、時間との戦いになる。
レックスは大きく息を吸い、そして吐いた。そして叫んだ。
「始めるぞ!! みんな!!」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
ーー刃を手にした全囚人の叫び声が、大地を、空気を、そして世界を揺らした。
反乱の台風が、回り始めた。
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「お前たち、何事だ!?」
その騒ぎを聞いて駆けつけた一人の看守が、その光景を見て驚愕した。
刑務作業場を監視していた看守五名が、地面に倒れていたのだから。
「お、お前たち……これは立派な反逆行為だぞ!!」
看守は持っていた剣を汗だくの手で強く握った。
そして、震える足を落ち着かせるために、口だけでも達者に語って落ち着かせーー無駄だった。
「俺たちは、『ブレイク反乱軍』だ!!」
「や、やめろーーーぉ!!」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
看守の惨めな呻き声が百の咆哮によってかき消され、次の瞬間、止まらなかった百の刃が一人の看守に牙を向いた。
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ーーアトレスなら絶対に来る。
「よし、とりあえず看守室に向かうぞ。ついて来い!」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
朝起きた時に、アトレスが何度呼んでも、何度体を揺さぶっても起きなかったのには、正直驚き過ぎてどうにかなるところだった。
ーーところで、アトレスと『約束』した。だが、その内容は反乱に参加するというものではなく、あくまで、この二日間の中で自分を見つけ出すというもの。
だからアトレスの参戦の有無は、レックスが交わした『約束』とは関係ない。
だけど、それでも信じてる。アトレスが来るということを。
このように、レックスが思考になるべく時間をかけないようにするのには理由がある。
前に、ルーカーに言われたことがあった。迷ってはいけない、と。
迷うことはおろか、迷いを敵にも、そして味方にも悟られてはならない。ーー自分が台風の目となるなら、尚更だ。
だから、少年は迷うことなくツルハシという刃を掲げる。『英雄』を信じてついてきてくれる『ブレイク反乱軍』のみんなに。
刑務作業場の右端あたりに、一つの鉄製の扉がある。そこが、『ブレイク反乱軍』がモキラだらけの廊下を渡らずに看守室にたどり着くことができる唯一の道だ。
その扉を叩いて、叩いて、そして砕いた。ーーこんなもの、あの地獄の刑務作業に比べれば屁でもない。
「ーー突撃だぁぁぁ!!」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
砕いた扉から百の囚人が殴り込むように中へと入っていく。
中はとても広く、刑務作業場よりも広いといったところだ。
そしてそこには、何も知らずに椅子に座っている約四十の看守が入っていた。
そんな看守たちが『ブレイク反乱軍』を見た際は、すぐに椅子から立ち上がり、腰に刺している剣を抜いて囚人へと剣を振るった。
「俺たちは、『ブレイク反乱軍』だぁぁぁ!!」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
無駄だ。看守たちが相手にしている『ブレイク反乱軍』とは、看守たちの数倍以上の体力を兼ね揃えた囚人が集まった集団であり、数は約二倍以上。ーー勝ち目など、もはや奴らにはなかった。
「ぐわぁぁ!」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
「くそったれ……」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
「ドーバさん、助け、て……っ」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
反乱の第一目的地となっていた看守室は、見るに耐えない無惨な戦場へと成り果てた。看守だと言って、少し身構え過ぎていたのかもしれないと、考えを改めることにした。
そして間も無くして、地下都市ワイレス西区の地下牢の看守は、ドーバ•ウィングを除く全てを制圧された。
ーーもう一度言っておこう。地下都市ワイレス西区の地下牢の看守は、ドーバ•ウィングを除く全てを制圧された、と。
「鍵はあるか?」
「見つけました! 全員の鍵が入ってる箱です!」
「でかした、シュバイス!」
レックスが問いかけると、その問いかけにすぐに誠実な声ーーハンダー•シュバイスの声が応じた。
シュバイスの指差した先にあった木箱を覗くと、そこには大量の鍵があった。しかも、鍵一つ一つに囚人番号が振られている。ーーなかなか親切だ。
「よし、みんな。首輪を取るぞ!!」
その声に応じ、ある者は鍵を木箱に取りに行き、ある者は木箱から鍵を見つけて他の囚人に渡していった。
そしてほどなくして、全囚人の首輪が解放された。無論、それにより看守室が大きな歓声に包まれたのはいうまでもない。
「あとは、俺だけだな……って、ない!?」
木箱に入っていたのは六十八番と書かれてあるアトレスの鍵だけであり、九十八番と書かれているレックスの鍵は、そこにはなかった。
「嘘でしょ……それじゃあ、一体どこにあるの?」
すると混乱するレックスとアンの元に、シュバイスが姿を現した。
「レックスさんの鍵がここにないというなら、おそらく中央区にあるはずです。その方が、警備が厳重ですから」
「なるほど。それじゃあ、俺はもう少しこの首輪と一緒ってわけだな」
「まー、大丈夫よ。私たちがいるもの! あとは、私たちに任せて」
「そうっすよ!」
「首輪が取れた俺たちに、怖いものなんてないっすよ!」
「そうですね。自分たちに任せてください!」
「みんな……よし、分かった。みんな、頼んだぞ!」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
そうして、看守室は一揆団結した『ブレイク反乱軍』の歓声によって包まれることとなった。
だが思えば、レックスの鍵がないこと以外は、計画通りに進んでいる。あとは、来たるべきドーバ•ウィングの襲来に備えるだけだ。
「よし、じゃあみんな。ここから出るぞ!」
「「「おォォーーーッッ!!」」」
「貴様たち。どこから出ると言ったか、もう一度言ってみろ」
その歓声は、大砲のような声量ではない、ひどく冷たい声によってかき消された。ーー空気が、凍りついた。
「いいだろう。全員、広場に出ろ!!」
その鳥のような翼と嘴、それと全身を覆う灰色の産毛を持った亜人ーー鳥獣族、ドーバ•ウィングの命令には、この時は誰も逆らう気が起きなかった。
だがそれは恐怖に従ったのではない。広場にて、ドーバ•ウィングを仕留めるという決意の現れだ。
「いくぞ、みんな!」
そしてこの時だけは、先のような大きい歓声は起きず、代わりに全員の瞳がドーバ•ウィングの討伐という目的に染められていた。
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翼をはためかせ、あっという間に看守室を出てその先にあるという広場に向かったドーバ•ウィング。その背中を、『ブレイク反乱軍』は一切曇ることのない瞳に映していた。
そして扉を通り、ついに広場に辿り着いた。
その場所は、看守室同様広い場所であり、高さは鳥が自由に飛び回れるほど。ーードーバ•ウィングが戦闘を有利に進めることのできる場所となっていた。
「では、これより貴様たち全員に、『歓迎の儀』を始める。相手はこの……俺様だぁ!!」
その大砲を越えそうな声と共に、ドーバ•ウィングの翼が再び開き、そして地を蹴り、空を舞った。
生憎、『ブレイク反乱軍』には空中戦を制することができない。ーー否、この場に一人だけできるものがいた。
「縄銃!」
空を舞う鳥の姿を、銀髪の少女の手から伸びた茶色いロープが捉えようと迫っていた。
慌ててドーバ•ウィングがその攻撃を避けたが、それはすぐに少女の右手に吸収され、それから右に避ければ右に、左に良ければ左にと、止むことなく放たれることとなった。
「なるほど。貴様は、魔法使いか?」
「いや、違うわ。私はネイレス•アン。盗賊よっ!」
するとそれと同時に、一本ずつ伸びていたロープが、二つになった。理由は単純。ーー左手からも、ロープを出してきたのだ。
「このッ、程度ッ、大したことはッ、ないッ!!」
空中で舞を踊る鳥の図体を、舞を終わらせようとする狩人が休むことなくロープを伸ばす。
そんな攻防が長く続いた頃、ついに痺れを切らしたドーバ•ウィングが、翼をはためかす速度を上げてロープを全て掻い潜り、一瞬にしてロープを伸ばす少女の目の前へと接近した。
そして先まで空中を舞っていた翼を、今度は硬く変貌させ、刃となって少女の体へと迫った。
「ーーっ! いけない!」
そうして鳥の刃が少女の体を真っ二つに引き裂いてーーいなかった。その前に、その刃を背後から、眩い伝説の剣ーー大業物、『星剣』の一振りが、容赦なく切り裂いていた。
「ぐわぁぁぁぁぁ!! だ、誰だ!! 俺様の翼を、切り裂いたのはぁぁ!!」
青筋を立てながら泣き喚くドーバ•ウィング。その背後に立っていたのは、見覚えのある男。しかし、どこか面構えが異なる存在。ーーそう、言うならば、それは同じ器で中身だけ入れ替わったような、そんな男だった。
そうしてそれが、本当に自分たちの知るあの人物なのかと疑っていた瞬間、その器から発せられた声が、レックスを再び安心させた。
「遅れましたこと、誠にお詫び申し上げやす。旦那」
「ーーっ、アトレス!!」
相変わらず茶色い髪と髭という特徴的な顔をレックスの瞳に映し、それから一礼した。
そして腰に添えた見慣れない刀を星の形をした鞘から抜き、その光り輝く等身をあらわにした。
「それと、これからはシュテルニスとお呼びいただきたく存じやす」
「しゅてる、にす……分かった!」
「ありがとう。シュテルニス。後は頼んでもいい?」
「おやすい御用です、アンの旦那!」
「あなたに旦那って呼ばれるの、ちょっと新鮮だわ。ーーそれじゃあ、頑張って!」
アンはドーバ•ウィングの元から離れ、この場をアトレスーーではなく、シュテルニスに任せることにした。
「貴様がシュテルニスと名乗るとは、どんな気まぐれだ?」
「それは、某が一番驚くところでありやすよ。されども、それで旦那たちのお役に立てるなら結構。ーーさてさて。それでは某が、お主の全てを斬る刃となってみせやしょう。星に、そして旦那に誓って!」
「調子に乗るなよ、『星斬り』野郎がぁぁ!!」
その時、アンが何かに勘づいたように一瞬口を開いて何かを言おうとしたように見えた。しかしその後、シュテルニスの戦闘を邪魔したくないと考えたようで、すぐに口を閉じた。
そんなことはいざ知らず。再びドーバ•ウィングは翼をはためかせ、空を舞った。そしてそれから空気を蹴り、音を置き去りにしそうな速度でシュテルニスの元へ、刃という名の翼を振り翳そうとする。
「ーーエルナト!」
その瞬間、アトレスの剣が青白い光に包まれ、そして瞬時にシュテルニスと同様に姿を消した。ーー否、消したのではない。空を見ると、既にドーバ•ウィングの腕一本分のところにいた。
そして、両手で握りしめている青白く光る刀を後ろに引き、それから鳥獣族の体を瞬きの間に貫いた。
「あッ……ぁぁ」
「ーー旦那。某は、『星斬り』リヒト•シュテルニスでございやす。ーー『約束』を果たしに来やした」
光り輝く剣を星型の鞘にしまい、空中で笑いながらこちらを見つめるシュテルニス。ーーその傍には、星の輝きによってに貫かれた鳥獣族の体が落ちていた。
「おう!」
再び『星斬り』の名を冠する者ととなったアトレスーー否、シュテルニスの茶色い双眸には、親指を立てながら笑う少年の姿が映されていた。




