第四章54話『アトレス』
『英雄』と言う言葉が最も適切だったかと言われれば、おそらくそれは議論の余地があるだろう。
『英雄』と呼ばれるに相応しい働きを今までにしたのか。『英雄』とはどんな人を指すのか。『英雄』とは、そもそもなんなのか。
それは自ら『英雄』を名乗ったレックスですら分からないことだ。
分からないことだらけ。だから知りたい。それが、『英雄』を名乗ったレックスの決意だった。
「せめて、英雄を名乗るなら、もっと簡単に倒したかった、な……」
ーー歓迎など一切されない『歓迎の儀』という皮肉の地獄を終えて、英雄はようやく深い眠りについた。
「『歓迎の儀』を乗り越えた、だと……? 前代未聞だ、これは。あれは絶対に勝てないはず……」
「あれくらい乗り越えるわよ。うちの仲間、舐めてるの?」
囚人、ジュリアス•レックスの勝利を信じきれずに酷く動揺する鳥獣族の男に、囚人、ネイレス•アンがそれが当然だと言うような顔で、そして自慢げな顔でやってきた。
「き、貴様ら。一体何者だ?」
「ーー『地下都市奪還作戦』の戦士よ」
それは、この地獄を作り出した張本人を挑発するようにも、十分以上戦ったレックスを同じ戦士として祝福するようにも聞こえた。
「ゆっくり休んで。レックス」
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時は少し遡り、レックスが地下牢で目を覚ました時と同刻。ワイレスの南区の大きな家では、一人の小柄な少女が騒ぎ立てていた。
理由は少し前に遡る。
彼女は今日の戦いに気合が入り過ぎて、早く目覚めてしまったので家中を歩き回っていたところだったのだ。
そうでもしないと心が落ち着かせてくれないのだ。
「んー、少し起きるのが早過ぎましたね。ーーそういえば、レックスは起きてるのでしょうか? 彼もとっても張り切っていましたし、もしかすると起きてるかも」
レックスも、自分と同じように早く起き過ぎたのかもしれないと希望を持つ。それは単にネオ自信が暇だったのもあるが、今はこの落ち着くことのない気持ちを、誰かに共有したいと思っていた。
そうした些細な希望に身を委ね、レックスの部屋の扉をノックする。
「レックスー。起きてますか?」
返事はない。
「むむ、やはり起きてないんでしょうか……というか、いびきすらも聞こえませんね」
確かに、ネオが夜中に目覚めてしまってトイレに行く途中、レックスの部屋を通ると大きないびきが聞こえた。
だが今はどうだろう。寝言もいびきも何も聞こえない。
というより人の気配もしない。何かがおかしい。確かめたい。
そんな衝動に駆られ、ついにレックスの部屋を少し開けて覗いてみた。
「えっ? レックスは!?」
覗いた部屋の中は、間抜けの空だった。
これを急いで誰かに伝えなければ。そう思い、隣の部屋にいるアンに伝えようと扉を開けたがーー、
「アン! レックスが……」
そこも、同じく間抜けの空だった。
そのネオの騒ぎを駆けつけ、リサが顔を出した。
「どうしたのネオ? そんなに慌ててーー」
「リサ! レックスとアンがいません!」
リサはその急すぎる報告に目を大きく見開き、驚きを隠せない。
「ーー本当、よね?」
「はい……」
「急いでグレイさんに知らせなくちゃいけないわね。ーー凄く、嫌な予感がするわ」
そうしてグレイの部屋に辿り着き、扉をノックすることもなく押し入った。
「グレイさん起きて!」
「ーーうっ。あとちょっとだけ寝かせてくれよ。体力を貯めたいんだーー」
「レックスが、アンがいません!」
「なっ! 今、なんて……?」
「だから! レックスとアンが、消えちゃったんです!」
「う、嘘だろーーーぉ!!」
これが、朝日が昇るのと同刻に、ワイレス南区にある大きな家で起きた騒ぎの全貌である。
グレイたちは、一夜にして戦士を二人も失ったのだ。とても、とても大事な仲間を二人も。
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ーー真っ暗な世界。そこには手も足もなくて、でも心だけはそこにあって。
自分と仲間と敵の顔がたくさん登場して、見たことのある光景を見せてくる。
懐かしい。叶うならずっと見ていたい。
しかしいつまでもそこに止まっているわけにはいかない。この世界から。
ないはずの手足を動かして、必死に足掻いて、足掻いて、足掻いて、それで真っ暗な世界は次第にパッと明るい世界へと変貌を遂げる。
「うっ、うぅ。ここは……」
目が覚めると、そこは見覚えのある場所だった。だが当然いい場所ではなく、まだ自分は地獄の中に囚われているのだと認識する。
立ちあがろうと手で体を押し上げた瞬間、体中を激しい痛みが雷のように舞うような感覚に襲われた。
「あまり無理をするんじゃありやせんよ。なんせ、旦那の体は生きてること自体、不思議な状態なんですから」
そのにいたのは、茶色い瞳にこちらを写している男ーーアトレスだ。
レックスは対する呼び方の変化には少し驚いたが、そんなことに気を回していられるほど、レックスも余裕はなかった。
「俺は、どうしてここに……って、そうだった。俺、確かモキラと戦ってたんだった」
「見るに無惨な決闘でありやした。それでも打ち勝つとは、旦那の執念深さには頭も上がりやせんよ」
「それは……褒めてくれてるのか?」
怪訝そうに聞いたレックスに「えぇ、もちろん」と、どこか愉しそうにそう答えるのだった。
「ドーバ•ウィングの驚いた顔はこの瞳にしっかりと焼き付けられましたゆえ、久しぶりにいいものを見れやした」
「ドーバ•ウィングって、あの鳥男のことか?」
「えぇ。正確には、鳥獣族という名前の種族なんですがね」
「へぇー」
鳥獣族の男、ドーバ•ウィング。おそらく、この南区の牢屋から出るためには絶対に倒さなければならない男だ。
だが、この首輪のせいで上手く本気を出すことができない。まずは、この首歯を解除することが、初めの第一歩なのだろう。
「アトレス。この首は渡る方法とか知ってるか?」
おそらく知らないとは分かりつつも、一筋の希望に賭けてみて聞いてみることにした。いうまでもないが、万が一囚人たちの会話が全てあの男に聞こえていたならば、それこそ一巻の終わりというものだが。
「知らない、というわけではありやせん。されども旦那。それを知ってどうするおつもりでありやすか?」
「もちろん、俺はここから出る方法を探すだけだ」
「ーー嫌なことは言いやせん。やめておくのが吉というものでありやすよ」
そう虚しそうに言いながら、アトレスは斬られてなくなった左腕の少し上を、右手で押さえた。
アトレスの言うことは分かる。実際彼は、レックスのように脱獄を図り、その結果失敗して左腕を失っているのだから。
痛みが人を縛り付けるように、左腕の傷がアトレスの心を縛り付けているのだ。そう分かった。
だったら尚更、諦めることなどできない。アトレスを含めた全囚人の心を縛り付けている鎖を、レックスがこの手でぶった斬るのだ。
「アトレス。お前の言うことは分かる。でも、それは俺の諦める理由にはならない」
「ーーそうですか」
だから、アトレスの後ろ向きな気持ちも、レックスが先頭に立って全部丸ごと背負って導かなければならない。
なにより、皆の前で、『英雄』を名乗ったのだから。『英雄』とはそういうものだ。そのためにもーー、
「だから頼む。教えてくれ!」
そう頼んでから少しの沈黙が流れ、やがてアトレスが小さなため息と共に髭だらけのほっぺたを指で掻いた。
「ーー。分かりやした。某が知る中で、この地下牢の全てをお話しいたしやしょう」
「ほんとか!? ありがとう!」
「まずお主が某に聞いた首輪を解除する方法ですが、一つだけありやす。それが、某が失敗したことなんですがな」
そう言って、口元だけ笑うアトレスは痛む体を起こしたレックスに向かって指を一本立てた。
「某たちの首輪を解除するには、ここの地下牢の監看守室の中にある鍵を手に入れなければなりやせん」
「なるほど、結構難しいな……」
それから話を聞いていく中で、この地下牢には、自分たちがいる「牢屋」、そしてさっきレックスが魔獣と戦っていた「刑務作業場」、それと大量の看守たちがいる「看守室」と、ここの地下牢を制御するための「制御室」というものがあるということが分かった。
そして、レックスがここから出るための第一条件ーー首輪の解除を行うためには、この看守室に向かわなければならないということも。
付け加えると、ここの囚人の荷物も全て、看守室にあるのだという。まずは一安心といったところだ。
こうして色々と情報を得られたわけだが、まだ解せないことがあった。それがーー、
「そういえば、牢屋の鍵開いてるけど、ここから出られたりしねぇのか?」
そう、レックスたちのいる牢屋だけでなく、ここの地下牢全ての牢屋は、扉こそあるものの鍵がかかっていないのだ。これでは、簡単に脱獄できるのではないか。ーーその希望は打ち砕かれた。
「確かにこの扉を出て外には出られやす。されども、廊下の地面を踏んだ途端、あの魔獣に襲われてしまいやす」
「それで、刑務作業が始まる朝になれば天井から橋が降りてきたのか」
つまり、仮にレックスが廊下に出た途端、あの恐ろしき魔獣に成すすべもなく食い殺されてしまうということなのだ。なんともまあ、性格の悪いことだろうか。
すぐそこに出口があって、そこに手を伸ばした瞬間に食い殺されるなど。これを制作した人は、よほど性格が捻じ曲がっていたのだろう。
そして仮に魔獣に対処できたとしても、こんどは大量の看守がやってくる。廊下に、橋が降りてきていない間の脱出は、諦めた方が良さそうだ。
「ーーさて、某は今宵はここまでにさせてもらいやす」
そう言って、アトレスは牢屋の中にある時計を指差した。アトレスが指した時計の針は、ちょうど十時を示していた。
ついつい太陽と月の光が辺りを照らしてくれない場所にいるので、時間感覚が狂いそうになる。
「そっか。もう夜だもんな」
「左様。それでは旦那。良い夜を」
やがてアトレスは毛布をかけて眠りについた。
とは言ったものの、レックスはさっきまで寝ていた身なので、すぐに寝付けるわけでもない。というか、眠気が一切ない。
その間、少しここから出る方法についての策を練ってみることにした。
「多分看守の数も相当多いはず。ってなれば、俺一人だけじゃ無理だ。ーーとなれば」
レックスは脱獄への有力な協力者候補として、頭の中に二人の顔が浮かんだ。そして決意をぼそっと呟いた。
「明日、声をかけてみよう」と。
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「朝礼の時間だぁ!! 出て来い囚人どもぉー!!」
朝は、相変わらず大砲みたいな声が廊下中に響いて、それから囚人たちがかかった橋の上を駆ける。昨日は驚いたが、二度目となるとそれほどでもない。
「さて、それでは参りやすか」
「そうだな。ドーバ•ウィングの間抜け顔が、早くみてぇ」
やがて二人も同じように扉のドアノブに手をかけ、それから長い長い橋を駆け、そして辿り着いた。ーー地獄の舞台に。
「これより、朝礼を始める! まず始めに、いつもの宣言をやるぞ。ーーそれでは、宣言始め!」
レックスが心の底から嫌った敗北宣言が、また大勢の囚人の声によって奏でられーーすぐには奏でられなかった。
「「「ーーわ、私たちは、ここから逃げられなーー」」」
囚人たちが毎朝言っている洗脳のような敗北宣言。それが、今日は少し違った。
囚人たちに、僅かながら抵抗が生まれたのだ。その理由は言うまでもなく、昨日現れた『英雄』の影響だろう。それにドーバ•ウィングがひどく激怒するのは目に見えていたことだが。
「おい、どうした? 声が小さいぞぉ!!」
「それってレックスの影響なんじゃないの?」
レックスを除いた誰もが怖気付くこの場。その中にレックスではない別の囚人が、軽々しく『英雄』の名を口にした。
「貴様。それはどういうつもりだ!!」
「どういうつもりかって言われても、そのままの意味よ。昨日レックスがあなたの拷問に勝った。それが、他の囚人たちに、ちょっとだけ心を打たれたのよ、きっと」
「貴様。ここがどういう場か分かっての発言ーー」
なのか、と言おうとしたのを、今度は別の明るい囚人の声に遮られた。
「アン! やっぱりいたのか!」
「貴様ら……ッ! 二人まとめて『歓迎の儀』に送ってやってもいいのだぞ」
「おお二人方! そろそろこの辺に!」
そう言って不安そうにレックスを宥めるアトレス。その思いは、悔しくも通じなかったようだ。
「なら、もう一回やるだけだ」
「そんな脅し、ちっとも怖くないわ」
「なっ……始末に追えぬ。ーーか、各自、さっさと刑務作業を始めろ!!」
この地下の牢獄にて、ドーバ•ウィングの脅しが効かないこと、それすなわちここでの無敵を意味する。刑務作業を始めた他の囚人は、そう実感させられた。
「行きましょ。レックス」
「そだな。行くか」
やがて地獄への反逆の火種たちも、ぼちぼち他の囚人たちのように刑務作業を始めるのだった。
「それでよ。どうやってここから出る?」
「んー、そうね……こっそりと協力者を増やしていくのはどう?」
「いいんじゃねぇか? ちなみに、作戦なら考えてるぜ」
そう言いながら親指を立てるレックスの考えた作戦を信じて、アンは従うことにした。あとは、それを実行するための手段だけだ。
考えていたうちに、ドーバ•ウィングの鋭い視線に晒されているのに気づき、ぼちぼち刑務作業にかかることにした。
「それじゃ、こっそり人手を増やしていきましょう」
「分かった! それじゃあ」
レックスは多くのツルハシが入っている箱から一本取り出し、手に握った。
手に握ると、やはり思い出されるのは昨日の戦闘だ。思い返してみれば、レックスが人生で初めてツルハシを握ったのは、採掘をするためではなく、魔獣を倒すためだった。
そんなことを考えつつも、巨大な岩を掘り始め、刑務作業である採掘を始めるのだった。
やることは単純明快。ただただ掘って、掘って、掘りまくって、鉱石が出れば箱に入れて、そしてまた掘って……の繰り返しだけ。戦闘以外の器用さに欠けるレックスにとっては、ありがたいことだ。
ただ嫌なことがある。ーーそりゃ、言ってしまえばこの地下牢の全てが嫌なことだが。
それを除いて話すと、それは時間だ。その時間は、朝の八時から夕方の六時までと、丸々十時間もある。
その間、ひたすら掘るだけ。当然昼飯などは用意されるらしいのだが、あまり期待できたものではないだろう。
だがその中で利点を見つけるとするならば、そんな過酷労働を毎日積んでいる囚人の体力が多いということだろう。当然、反乱を起こすにあたっての視点で、だ。
いずれにせよ、刑務作業に専念しすぎて、本来の目的を忘れてはならない。当然何かと言われれば、それは反乱の火種を増やすことだ。
そのためには、アンの言った通り、他の囚人と接触を図らなければならない。
それを実行するために、レックスはさっそく隣で掘っていた誠実そうな雰囲気の男のに、小声で「なあなあ」と言って詰め寄った。
「どうしたんですーーって、あなたは、昨日『歓迎の儀』で戦ってた『英雄』じゃないですか。自分に何の用ですか?」
「ーー俺たちは、ここで反乱を起こそうとしてるんだ。協力してくれないか?」
レックスではなく『英雄』と呼ばれたことに少女戸惑ったが、時間が惜しいため早速本題に取り掛かった。
急にそれを言われた男は、少し悩んで、そしてすぐに決断を口にした。
「自分は、昨日のあなたを見て失っていたものに気づくことができました。ーー自分は、ハンダー•シュヴァイスです。この身に出来ることがあれば、何でもさせてください!」
ドーバ•ウィングの目も耳もあるので、あまり大きい動作と声を出すことができない。そんな中で、この男ーーハンダー•シュヴァイスは、採掘の手を動かしながら可能な限りの誠意尽くして、レックスが起こすという反乱への参加の意思を示した。
「ほんとか! ありがとう」
こうしてレックスは、早くも最初の仲間を手に入れることに成功したのだった。我ながら、幸先のいいスタートを切ることができた。
「それじゃあ、さっそく頼みがある。俺が今シュヴァイスを勧誘したみたいに、他の囚人も勧誘してくれないか?」
「そんなことでしたら、容易い御用です!」
「それじゃあ、頼んだ」
そうして、レックスはシュヴァイスのように新たな仲間をかき集めるために、他の場所へと足を運ぶのだった。勿論、シュヴァイスも、アンも同様に。ーーたった一人、手を動かしながら自問自答を繰り返す、痴れ者を除いて。
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「旦那も、そのお仲間も、反乱を起こすために着々と準備に取り掛かってるのですか。ーー某は、一体どうすれば良いのでしょう……」
昨日ここへ来たばかりのレックスも、その仲間の女も、一切怖がることなく行動を起こしている。ーー正確に言えば、行動を起こすための行動だが、今はそんなことはどうでもいい。
本当のことを言うと、アトレスというのは本当の名前ではない。本当の名前は、脱獄に失敗して心を打ち砕かれた際に捨てた。なので、今の『アトレス』にその名前を名乗る資格はない。
アトレスが、今の『アトレス』になる前のアトレスは、もう随分前に死んだ。ーーいや、殺した。決めた。もう抗わないと。もうあの頃のアトレスはどこにもいない。希望も捨てた。光なんてない。死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ……『アトレス』の薄汚い手によって、跡形もなく殺された。なのにーー、
「某は、まだ希望を、太陽の……星の輝きを、どこかで望んでるんでしょうか」
決めたはずだ。これから一生、ここの太陽ーー人々の希望の象徴である星の輝きを拝めない、地下の地下で過ごすのだと。
なのに、今更なんだと言うのだ? まだ、星の輝きを諦めきれていないと言うのか? 星を望むアトレスは、もうとっくの前に『アトレス』が殺したというのに。
「浅ましい……某は、やはり痴れ者ですな……」
あの少年に出会ってからだ。『アトレス』に殺された前の自分ーー『星斬り』と言われていたリヒト•シュテルニスが、復活の兆しを見せ始めたのは。
やめてくれ。せっかく苦労して『星斬り』の心を『アトレス』で上書きしたのだから。
そもそも、一体自分は誰なのだ? 『アトレス』なのか? それとも『リヒト•シュテルニス』なのか? 分からない。分からない分からない分からない分からない分からない!
嗤っていい。薄っぺらい同情なんか求めてない。ただ、誰か本当の自分を見つけてくれ。導いてくれ。お願いだお願いだお願いだお願いーー、
「ーートレス……アトレス! 大丈夫か?」
「ーー! レックスの旦那ですか。すいやせん。つい、ぼーっとしてやした。それで、何の御用ですか?」
「手伝って欲しいんだ。反乱軍の人手集めを」
「そんなことでしたら、ーー容易いことですよ」
「ほんとか! 助かる。ありがとう! そんじゃあ頼んだ」
少年は行ってしまった。自分を信じて、明るい未来へと。一体、彼をこれほど動かす動力の源は、なんだと言うのか。遠い昔に殺された『星斬り』のように、星の輝きを望んでいるわけでもあるまい。
ーー一体、なんだと言うのだ? それが、『アトレス』は不思議で仕方なかった。
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「それでは、今日の刑務作業はここまでとする!! 各自、五分以内に牢屋に戻れ!!」
橋が降りる音と共に、その相変わらず大砲のように大きい声を聞くことができたのは、朝礼から十時間が経った頃だった。
分かってはいたが、やはり長い、そして疲れる。正直言って、まだルーカーのところで作業してる方が楽だったと思う。
そうして背筋を伸ばしてストレッチをしていると、シュバイスとアンがこちらへやってきた。
「疲れたー。ーーって、シュバイス! アン! どうだった?」
「自分は、だいたい三十人ほど仲間に加入させられました」
「私は二十人ぐらいだわ。レックスは?」
「俺も二十人ぐらいだ。残りは、アトレスがやっててくれてるはずだし」
やはりレックスの『英雄』宣言は、他の囚人に対しての影響力が大きかったようだ。そのおかげか、思ってた以上にスムーズに人を集めることができている。
「それじゃあ、また明日話そう。今は帰ったほうが良さそうだし」
「そうね。それじゃあ」
「さようならー」
そうして二人に別れを告げ、レックスはアトレスがいるであろう地下牢に戻って行った。
「それにしても、腹減ったな。ここの夜ご飯ってなんだろ。ーーそもそもあるよな?」
そんな不安を抱えながらも、レックスは長い橋を渡って、そしてようやく自分の牢へと辿り着いた。
そして相変わらずの鍵がかかっていない扉を開き、中にいるアトレスと今後の方針についての会議をーー髭だらけの顔に、涙が流れていたアトレスと、そんなことはできなかった。
「アトレス、なんで、泣いてるんだ?」
牢屋に入ってきたレックスに気づいて、アトレスは、その茶色い眼球を大きく見開き、急いで涙を手で拭いた。
「ーーっ、これはこれは旦那。お見苦しいところを見せてしやいやした。大の大人がこんな……面目ありやせん」
「えーっと、大丈夫か?」
「ーー旦那は、なにゆえ、それほど頑張るんですか? 何か理由でも?」
この悩みは誰にも打ち明けたくないと思っていたのに、口が語ることをやめてはくれなかった。
そうして自戒しつつも、レックスの頑張りの原動力となるモノを知ろうとすることにした。
「約束したからな。頑張るのは当然だ」
『アトレス』は理解した。レックスをこれほど動かしているモノを。
『アトレス』は理解した。レックスと出会い、『アトレス』が殺した『星の使者』が蘇る兆しを見せた理由を。
でも、まだ『アトレス』は理解できなかった。自分が、『アトレス』か、『星斬り』なのか。
「ーー旦那。某は、これからどうするべきなのか分かりやせん。どうすれば良いでしょうか?」
「そんなこと……」
「ーーーー」
「ーー俺に聞かれても分かんねぇよ」
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ーーきっと、「俺に協力してくれ」とか、「一緒にスローンのやつをぶっ倒そうぜ」とか言ってくるのかと思ってた。その方が、よかった。ーーダメだった。
導いて欲しかった。もう自分が分からないから。なのに、どうしてこういう時に限って賭けに負けるんだーー、
「ーー俺に聞かれても分かんねぇよ」
それは、『アトレス』が一番言われたくなかった言葉だった。
「ーー分からなぬのです。この身はとっくに、星の輝きを諦めたはず。ーーされども、某は旦那と出会ってから、どこか希望を抱いてしまったんですよ。また、星の輝きを拝めるんじゃないかと」
「ーーーー」
「旦那。某を、導いてくださいませんか?」
「ーーシュバイスは、自分から俺たちに協力すると言ってくれた。だから導けた。ーーでも、俺には、アトレスの意思をゼロから導くことなんてできる気がしねぇよ」
『英雄』は、アトレスを導けないと断言した。ーー最後の頼み綱が、千切れる音がした。
「ーー旦那。某は、どうすれば……」
「別に、今すぐ決めろなんて言わねぇよ。ーー二日だ。厳しいことを言うけど、それで決めてくれ。俺たちと共に戦う戦士となるか。ならないか」
「戦士、ですか……分かりやした。それで、この薄汚い身に、ケリをつけさせていただきやす。ーー約束しやす」
「おう! 頼んだ」
そうして、『アトレス』が本当の自分を見つけるための相談会は、幕を閉じた。
二日だ。それが、『アトレス』に与えられた自分を見つけるための猶予となった。
「ーー必ず、二日で某を見つけてみせやす。それが、旦那と交わした約束なんですから」




