第四章53話『大きな風穴』
七本。それはレックスか勝利宣言の後から始まった六十八回にもわたる『とらいあんどえらー』の雨の中で失ったツルハシの数だ。時間で言えば約五十分となる。
ーー上から叩きつける尾鰭の攻撃を押し返そうとして失敗。一本目のツルハシが折れる。
ーーモキラの口から放たれる銃弾のような土の塊を破壊しようと、一つ目を破壊するためにツルハシを振りかざす。ーー成功。
しかし一つ目の土の塊の後ろにもう一つの塊が同じように迫ってきて対処できず失敗。檻に叩きつけられる。
ーー『地中潜り』を終えて地中から出てくるモキラの口にツルハシをぶち込むも失敗。二本目のツルハシが噛み砕かれる。
ーー前から地面を噛み砕きながら突撃してくるモキラを押し返そうとツルハシで対抗するも失敗。三本目のツルハシが折れる。
ーー二本のツルハシを持って挑むも、モキラが『地中潜り』によって即座に背後に現れて、噛みつこうと突撃してくる。
それに対処しようと二本のツルハシをクロスにして防ぐも、失敗。四本目と五本目のツルハシを噛み砕かれる。
ーーモキラの『地中潜り』によってできた地面の中のトンネルにツルハシをぶち込んで、モキラの喉に詰まらせようとするも、失敗。六本目のツルハシを失う。
ーーモキラ『地中潜り』をうまく避けることに成功。
そして隙のできたモキラの目を潰そうとツルハシを振りかざすも、その持ち前の鋭く大きな爪で防がれる。
ーーあの厄介な爪を破壊しようと挑むも、返り討ちに合い、七本目のツルハシの持ち手部分を切り刻まれる。
これらは、この地獄でレックスが行った『とらいあんどえらー』の、ほんの一部始終に過ぎない。
こんな地獄を六十八回、時間にすれば五十分ずっと繰り返しているのだ。
服も泥と血でボロボロ。当然、体もボロボロ。
挑めば挑むほど開いた傷口は大きくなり、口から血が飛び出る。
何回か吐いたこともあった。目眩は、今でもずっと続いている。
そんなレックスは、見るに耐えない無惨な姿になってもなおーー、
「次は、いける!」
ーー立ち上がるのだ。『約束』を果たすために。
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ーージュリアス•レックスは、何よりも約束を重んじる少年である。
それは、レックスがもっと小さい子供の頃に、とある少女と交わした『約束』が関係している。
そもそも、この魔王を倒すための旅はその『約束』を果たすための旅なのだ。
魔王と戦うことで初めて果たされるであろう『約束』。それはーー、
「悪ぃけどよ、今はまだ、誰にも話すつもりはねぇよ」
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迎えた六十九回目。なんど倒されても立ち上がるその姿は、一度死んでも生き返るゾンビたちも驚愕することだろう。
いや、おそらくこれは、ゾンビだけでない、ここの全ての囚人も、レックスの知り合いも、誰が見ても恐ろしい光景と思う光景だ。
もはや意識があって立っているのかさえ怪しい。もしかすると、本能的に立っているだけなのかもしれない。
だが少年は呟いた。いや、叫んだ。心の底から。魂の底から。
「次は、いける!」と。
幸いなことに、これまでの六十八回の失敗が、ツルハシと自分の体を壊しただけで全くの無意味だったかと言えば、決してそうではない。それは、レックスが手をバッテンにして全力で否定する。
当然、得られたものもあった。そのために多くを失い、傷ついたことは否定できないが。
得られた情報の一部として、
•モキラの吐く土の塊は、一度に三発が限界。なお、土に潜って土の塊を再び作り出すことも可能。
•モキラは上を見上げられない。
•モキラは、地上ではあまり俊敏な動きができない。ただし、土に体を少しでも潜らせていた場合は別。
•尾鰭攻撃のあとは、隙が大きい。
•ーー次は絶対に勝てる。
「覚悟はいいか? いい加減、その顔も見飽きた」
「ーーーーッッ」
「冒険者、ジュリアス•レックスだ」
「ーーーーッッ!」
レックスはここで初めて、魔獣であるモキラに自らの名前を名乗った。
それは、ここから自分たちの真の意味での決闘が始まるということを、モキラに知らせたようだった。
その愚かなニンゲンの決意を受け入れ、魔獣は初めてこのニンゲンを軽蔑せずに、大きな低い声で強く唸った。
「そんじゃ始めようぜ。これで終わりにしてやるよ!」
「ーーーーッッ!!」
ずっと、ずっと、ずっと。上がることのなかった舞台の幕。
なぜならその舞台とは、地下牢の地獄に放り込まれた少年の逆転劇を映し出すための舞台なのだから。
だが今、確実に舞台の幕が少しずつ上がる音がした。
そして完全に幕が上がり切った頃。円状に檻の中を駆け回る少年の手に握られていたのは、新たなる八本目のツルハシ。そして、あの魔獣の命を確実に葬る刃である。
真ん中にいる討つべき存在から、土の塊が飛んでくる。角度的に見えるのは一つだけだが、その後ろに二つほど来ている可能性もある。無論、一つだけの可能性もあるが。
いずれにせよ、来ている土の塊が一つだけだと確信して、ツルハシで破壊するのは愚策というもの。それは四十三回目の『とらいあんどえらー』で身に持って思い知らされたことだ。
だから壊すのではなくーー、
「ーーっ! 一つだけか。ってことは、残り二つか」
避けること。それがこの攻撃の最適解だ。
避けた直後に数を確認した結果、モキラはあと二発の塊を放つことができるというのが分かった。
迂闊には動けない。だが、何もしないわけにはいかない。
走った先の檻に投げられていた八本目のツルハシを反対の手に握り、モキラに向かって一歩、また一歩と足を進める。
「ーーーーッッ!」
低い唸り声と共に繰り出された前方から迫りくる二つ目のそれを、「よっと」と言う掛け声と共に避けて、そのまま一切立ち止まることなくモキラに向かって駆ける。
避けたついでに塊の数を確認すると、運のいいことに土の塊は二つ同時に放たれていた。つまり、モキラが補充しない限りは、あの攻撃が来ることも無くなるわけだ。
その状況をまずいと踏んだのか、モキラは持ち前の鋭い爪と歯を使って『地中潜り』を行って逃走ーーできなかった。
それは激しいニンゲンの咆哮と共に阻止された。あのニンゲンが、そうさせてくれなかった。
ーー先ほど述べた、レックスの六十八回にもわたる『とらいあんどえらー』で得た情報は全てではない。
それはすなわち、まだ述べていなかった情報の中に、モキラを追い詰めるための有力な情報が眠っていることを示唆する。
今回で言えば、上手くいけばモキラの『地中潜り』を阻止することができる情報だ。
そのレックスが六十回目の挑戦で得た情報とは、
•モキラが『地中潜り』をする寸前で、その鋭い爪に衝撃を与えると『地中潜り』を阻止することができる。というものだ。
ーー故に、難しくとも実行した。ただそれだけだ。
「はぁぁぁぁ!!」
「ーーーーッッ!」
『地中潜り』を未然に防がれて動揺したことにより生まれた刹那の隙。それをこの地獄への勝利に、我武者羅に喰らいつくこのニンゲンが見逃すはずもない。
その隙を使って、あの魔獣から視界を奪い、世界を暗闇に閉ざすために駆けた。これまでにない速度と威力で。
おそらくこれを逃せば一生地獄の奴隷となることだろう。それすなわち、人生の『死』を意味する。それだけはあってはならない。こんなところで死ぬわけにはいかない。
そんな思いで足のつま先から太ももにいたる全てに神経を張り巡らせ、駆ける。
その反動に耐えきることができず、思いっきり踏み込んだ右足から血が飛び出たが、そんなことは関係ない。
右足、いや両足で大地を踏み締める度に全身を泣き叫ぶような痛みが襲うが、そんなことも関係ない。
そうして一歩、また一歩と距離を詰め、ついに辿り着いた獲物と息がかかるような至近距離。腕を伸ばせば届く位置だが、まだ瞳を潰すことはできない。何故ならーー、
「お前は絶対、最後に尾鰭を使って抗ってくるもんな」
隠していたレックスの得た情報。それは、
•モキラは追い詰められた時、必ず尾鰭を使って抵抗してくる。というものなのだ。
だから、モキラは絶対この状況になれば尾鰭による攻撃をしてくるはずなのだ。
そして案の定その攻撃が迫り、レックスの頭の中ではどのようにこの攻撃を避けるべきなのかの議論が行われている。
後ろに避けるのもありだが、それでまた距離を取られては敵わない。だから、これは却下。
ーー大切なのは、避けた後に確実に攻撃を叩き込むこと。
そうして刹那の間に交わされた議論がついに終わり、レックスの避ける方法が決まった。
「ーーっ!」
それは、その場で思いっきり飛んで横から迫りくる尾鰭を避け、そのまま空中で円を描くように一回転しながら反対側にある魔獣の瞳を潰すというものだった。
空中で自分の姿を映し出す魔獣の赤い瞳にツルハシを伸ばす。
刹那、世界がモキラの殺意に満ちた赤い瞳に支配され、世界がホワイトアウトした。ーーならば、それすらも凌駕するだけだ。
「はぁぁぁぁ!!」
レックスの振り翳したツルハシが、魔獣の世界の半分を血で染め上げ、世界の半分を奪い去った。
無論、レックスの猛撃はモキラから世界の半分を奪い去ることだけでは留まらない。その刹那後、休むことなくモキラの世界の全てを血で染め上げ、ついにブラックアウトした。
「ギギャーーー!」
ーーそして、魔獣モキラは初めてみっともなく、唸り声ではない生命の危機を訴えかける悲鳴の咆哮を上げた。
その喉が潰れるような咆哮が地下の地獄に響き渡り、少しレックスも狼狽えた。
だがようやくこの時が来たのだ。諦めずに幾度となく挑み続けたレックスに、やっとこの機会が設けられたのだ。
それは奇跡でも偶然でも運命でもない。レックス自身が幾度となく運命に抗い、手にした未来だ。
そして少し立つと、魔獣も自らの運命を悟ったのか、魔獣として格上の存在らしい振る舞いをすることにし、やがて暴れることも抵抗することもなくなった。
「ーーようやく、この時が来たな」
「ーーーーッッ」
そう言うと、モキラは自ら体を守っていた最後の砦である鱗を手放した。
取ったのだ。あのレックスに絶望を与え続けてきた硬い鱗を。
もちろんモキラの鱗を、自らの意思によって取ることができることなどレックスは知るはずもなかったが。
「ーーお前……分かった」
なんでそんなことをするのかと問おうとした。が、すぐにその魔獣としての潔さを理解し、そしてトドメを指すことを決めた。
「ーーあばよ。モキラ」
「ーーーーッッ」
最期の時。その唸り声は、絶望の運命に抗って勝利を掴み取ったニンゲンを祝福した。
手に握った刃振り上げる。当然、その魔獣の心の臓を貫くため。そして、それは魔獣特有の分厚い皮膚を貫通し、やがて強い生命の源である脈を止めた。
「「「ーーーー」」」
大勢の観客が、絶望から這い上がった少年が何を言い出すのかと息を呑む。ーー否、それだけが、この沈黙の理由ではない。
打ち勝ったのだ。囚人のニンゲンが、魔獣であるモキラに。本来恐怖を与えるためのものであるである『歓迎の儀』に。それが、全ての囚人が唖然とする理由のほとんどを占めている。
そしてその期待に応えるかの如く、死にそうになりながらも少年は魂の声を響かせる。
「ーー俺の名前は、ジュリアス•レックス! ーーお前らの、『英雄』だぁぁぁ!!」
「「「おーーーッッ!!」」」
ーー地下の、そのまた地下の地獄に、今、一人の少年が大きな風穴をこじ開けた。




