第四章52話『独りじゃないから戦える』
一体、この地獄ーー『歓迎の儀』が終わった後、レックスにどれだけの苦痛が襲いかかるのだろうか。
メキメキと音を立てて泣き叫ぶこの体。
自分の意思、欲求を叶えるために無理をさせているこの体。
一体レックスの体には、この地獄の後にどれほどの地獄が待っているのだろうか。
考えたくもないことだが、意識をずらそうとするたび、それは脳が考える対象の中心に置かれるーー、
「知らねぇよ。この後のことなんか。それより今はーー」
地獄の後に迫る地獄のことなど気にもしない。それが今のレックスの決意だ。
その決意を胸に、ニンゲンを遥かに超えた存在ーー魔獣を睨みつける。
そして睨まれた魔獣は、唸ることを貫き続ける。
「いい加減その顔も見飽きたな」
「ーーーーッッ」
「相変わらず、ーーいい返事だ」
幸いモキラの攻撃で飛ばされたレックスの近くには、レックスの唯一の武器であり、頼り綱であるツルハシが落ちてあった。おそらくモキラが尾鰭を振り回した際に飛んでいったのだろう。
神の悪戯か、はたまたレックスの決意の強さか。
いずれにせよ、レックスはこの奇跡を心から称賛し、それを自らの刃として魔獣を倒す。これは決定事項だ。
「一体あと何回、『とらいあんどえらー』を繰り返したら、倒れてくれるんだ?」
「ーーーーッッ」
レックスにとっても聞きなれない言葉だ。魔獣が理解できず、今までと同じように唸るのは当然のことであろう。
だがそれでも、ニンゲンが愚かなことを言っているのだけは理解できた。
「ーーっいくぞ!」
少年は再び、いや何度打ちのめされても立ち上がる。それが、ジュリアス•レックスの決意なのだから。
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ーー魔獣とはニンゲンを遥かに超越した存在である。これは皆が知る周知の事実だ。
これはニンゲンが魔獣に決して敵わないと言っているわけではない。この世界には、同じニンゲンでも、ニンゲンという括りを超えた存在もいる。
そうでなくとも、力のある者が力のない者に打ち勝つのが条理と言うように、魔獣を超える力のあるニンゲンが魔獣に打ち勝つのも、何ら不思議ではない。
なのでここで言う、魔獣はニンゲンを遥かに超越した存在というのは、単なる力の強弱ではない。
故に先ほどの表現を訂正しよう。
ーー魔獣はニンゲンの思考の領域を遥かに超越した存在であると。
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「はぁぁぁぁ!!」
しかしそんなことはいざ知らず。ツルハシを持つ囚人の少年は、自ら立てた四つ目の『仮説』に基づいて、魔獣モキラを倒すために立ち向かっている最中だ。
今なら、たとえ何回、いや何十回、何百回と『とらいあんどえらー』を繰り返そうとも、さっきのように倒れてしまうことはないだろう。
無論、何百回というのはあり得ない数値だろうが。
そして今まさに、その第一段階というわけだ。
普段あまり頭を使わないレックスにとって、頭を使って試行錯誤を重ねることーーすなわた『とらいあんどえらー』は、あまり向いていないように思える。というか不向きだ。
ならばその分、回数を重ねれば良い話。それがレックス流の『とらいあんどえらー』のカタチだ。
一回目は、モキラに接近を図るために、モキラを中心に置いた大きな円をなぞるように右回りに走る。
そんな駆ける少年の姿を、黙って見ているほどこの魔獣もおとなしい生物ではない。
モキラは、今ではお約束とは一概に言い難い行動ーー『地中潜り』をしようと、穴を掘り始めた。
「ーーっさせるか!」
それにいち早く気づいたレックスは、大きな円をなぞるように走るのをやめて、一目散に『地中潜り』をしようとする魔獣モキラの元へと向かって走り始めた。
勿論『地中潜り』を止めるために。
「ーーーーッッ!」
そのニンゲンの様子を見ていた魔獣は、また大きな口を開けて、その中からレックスを驚愕させた技を再び放った。
「この技は、痛いほど知ってるんだよ!」
今も疼きつつある自分のお腹にぐっと力を込めてツルハシを両手に握り、迫り来るハンマーより威力のある土の塊を破壊しようと振りかざす。
刹那の一瞬、空中で土の塊と振り翳されたツルハシがぶつかり合い動きが静止した。が、その後、土の塊がボロボロになって崩れ落ちた。
「よし、壊せた!」
だがその頃には、魔獣は既に『地中潜り』をしていた。だが、今までの『地中潜り』とは明らかに違うことがあった。
「くそっ、間に合わなかったか……って、え!?」
今回の『地中潜り』をしている魔獣モキラの姿は、完全に隠れていたわけではなく、体の上部分だけが地上に出ていた状態で、その鋭い歯で地面を抉りながらこちらへと迫っていた。
「ど、どうすりゃいいんだぁ!?」
避けるか、受け止めるか。はたまた別の何かをするか。いずれにしても早く決断しなければならない。
悩んでる間にもこの魔獣は、土を抉りながら迫ってくるのだから。
レックスの後ろは檻だ。もしかすると、避けてモキラが勢いを止めることなく前進し続ければ、上手く檻に衝突させられるかもしれない。
「ーー来い!」
「ーーーーッッ!」
二秒。それがレックスが予想した、モキラと接触するまでの猶予の時間だ。
成功率を上げるために、背中を檻に近づける。
一秒。地面が揺れる。地面が抉られる音が近づいてくる。
すぐに避けられるように、足を右へ飛ぶ体勢にする。
ゼロ秒。レックスは右に避け、モキラは見事に檻に衝突したーーというのが理想だった。
残りの猶予の時間がゼロ秒に差し掛かる直前、この魔獣はレックスの考えたシナリオを全て無に返した。
衝突する寸前、モキラは急に地面から体を完全に出して飛び上がり、そのまま空中で一回転してドス黒い尾鰭でレックスを襲った。
一回転して攻撃してくるのを見て、レックスの脳裏を一人の白髪の刀使いの姿が横切った。
あの技はそうしてくると分かっていたから防げた。あと、極限集中を使える状況だったから。
だが今回はどうだ。その飛び上がる攻撃をするための行動を、刹那の一瞬の間に全て行った。さらに、レックスは極限集中すらも使えない。
これを絶体絶命以外の、何と言おうか。
「くっ……」
だがそんな絶体絶命の状況になっても、レックスは地獄に抗うことをやめない。
迫り来る尾鰭に反応し、即座に持っていたツルハシを横にして両手で持ち、そして受け止める。
だが、迫り来る魔獣の尾鰭を受け止めるだけのツルハシなど、決して長くは持たない。
その証拠に、木でできた持ち手部分がメキメキと音を立てて今にも壊れようとしている。
ツルハシを見捨てる選択もある。だがそれをしてしまえば、その後モキラに対抗するための方法がなくなる。
だが、もしツルハシを見捨てずにこの状態のままツルハシが壊れて仕舞えば、今度はその勢いのままレックスの顔面にモキラの尾鰭が炸裂することになる。
「ーーっ!」
押し返そうにも、この首輪の影響と壊れかけのツルハシでは抗うことはできない。
なのでやむを得ず、ツルハシを捨ててレックスは走り出してその場から離れた。
後ろからモキラの尾鰭が激しく地面と衝突する音が聞こえた。唯一の武器であったツルハシも、あれでお終いだ。
「くそっ、これじゃあどうやって戦えばいいんだよ……!」
苦難の表情を浮かべ、この世の理不尽としか言えないこの地獄ーー『歓迎の儀』に向けて恨み言を言い捨てる。
当然だ。なにせこの地獄に抗う唯一の頼り綱であったツルハシも破壊され、今度こそ『歓迎の儀』が抗うことのできない本当の地獄と化したのだから。
「ーーーーッッ」
自然と足が一歩前へと出てしまった。どこかで自分を制御しなければ、またさっきよのうに満身創痍で拳を払おうとしてしまうだろう。
だがレックスは、ここで自暴自棄になって拳を振るいに行くことの愚かさを身に持って痛感したばかりだ。故に、そんな衝動に駆られることは、少なくとも自分自身を制御できている今はない。
だからこそ、何もできない。
抗うことは大切だ。じゃないと一方的にやられる。
どうにかしなければならない。諦めるという選択肢は、この地下牢に来てからーーいや、この旅を始めた頃から一度たりともない。なぜならレックスはーー、
「約束したんだ。だからどんな地獄でも負けられねぇよ」
あの少女たちと約束したのだ。絶対にスローンをぶん殴ってやると。
故に、どんな状況になろうと諦めることだけは許されない。たとえ武器がなくても、相手が行動の読めない絶望的に強い魔獣でも、倒れ込んでしまっても。
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ーーネイレス•アンは、腕利の盗賊だ。それは一部の親交の深い仲間たちだけが知っている事実だ。
盗賊と言っても悪い盗賊などではない。きちんとした『盗賊』というジョブの盗賊だ。
だから、今まで無関係に人のものを盗んだり奪ったりしたことは一度たりともない。
アンの盗賊としての仕事は、主に敵軍に潜入して情報や物を盗むことだ。
それが初めて役立ったのは、幼い頃に地下都市ワイレスの中央区に侵入して、スローン軍の幹部の情報を手に入れてきた時。
通常、一般の市民たちは、北区、東区、西区、そしてアンたちの住む南区を自由に立ち入りすることができる。
だが逆に言えば、この都市の中心である中央区には、誰も立ち入ることができないのだ。
だが、アンはそれを可能にした。正確に言えば立ち入ったではなくて、こっそり潜入したのだが。
その頃のグレイたちは、まだこの都市を治めるのが、魔王軍の幹部であるスローンという人物であると言うことしか知らなかった。
故に、攻め込みたい気持ちはありつつも何もできない状況になっていた。そう、まるで止まってしまい動くことのできない歯車のように。
だがその止まっていた歯車を回したのが、他でもない盗賊アンというわけだ。
その頃のアンは、魔力も魂力も使えない、まだ十二歳の幼女であった。
だが、そのどちらも使わずに「情報』という物を敵軍から盗んでみせたのだ。
ーー故にアンにとって、こんな状況で物を盗むことなど容易いことだ。
「大丈夫。レックスは独りじゃない。あなたが戦い続けるなら、私も同じように戦ってやるんだから」
その少女の呟きが誰にも聞こえなくとも、その想いだけは少女の行動を通してレックスへと伝わるようだった。そう、信じてる。
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「ーーお、おい! ここに置いてあったツルハシの数が減っているぞ。誰だ! 盗んだ輩は!」
一本目のツルハシをレックスに握られてから、鳥獣族の男はここにある採掘用のツルハシを入れた箱を全て、盗られないように自分の横に置くことにしていた。
だがそれでもまた盗まれてしまった。それも一本どころではなく、何本もだ。
そしてそれと同刻、群衆に紛れた銀髪のポニーテールを靡かせる少女が、檻に向かってツルハシを何本も投げていた。
無論、同じところから何本も投げていては、すぐに居場所と正体がバレてしまう。
それを防ぐためにも、一本ずつ別々の位置から投げることにしていた。
故に、この地獄の管理者もアンの姿を捉えることができない。ましてや、誰が盗んだのかすらも知ることができない。
十回。それが、金属製の檻にツルハシがぶつかり、その度音が鳴り響いた回数だ。
そのの音が鳴り響く度、哀れな地獄の被害者ーー囚人レックスは嬉しそうに笑うのだった。
それは武器が手に入って、再びこの理不尽に抗えることへの嬉しさ。
そして、独りじゃないから戦えると、そう思わせてくれる嬉しさだ。
いずれにせよ、この十本のツルハシで勝利しなければならない。でなければ、それ以外で勝機を再び掴むのは非常に困難なことだろう。
レックスは檻に引っかかっているツルハシのうち、一本を拾ってそれを強く握る。
それから大きく深呼吸して呼吸を整えた。
あとついでに、胸の中にある臓が全身を強く殴るような鼓動をしていたので、それも抑えた。
「ーー俺たちの力見せてやる!!」
独りではなくなった少年は、その忌まわしき魔獣にみんなで勝利することを宣言するのだった。
「ーーーーッッ」
愚かなニンゲンの愚かな勝利宣言。それを砕いて引き裂いてぐちゃぐちゃにしてやると、魔獣モキラは低い声で唸った。




