第四章51話『立って』
「さてとモキラ。ここからは、俺の立てたお前を殺すための無数の『仮説』に付き合ってもらおうか」
「ーーーーッッ」
「よし、いい返事だ。そんじゃ始めるぜ」
ーー仮説四つ目。モキラの目は、潰せるのか。
モキラの赤い瞳は、あの超絶硬い鱗で守られているわけでもなく、比較的防御が薄い場所だ。ーー多分、そう思う。
それに、もし潰せたら視界も奪えて、一気に勝利が近くなる。
「ーー。来たな」
また地面が揺れた。今度は檻も叩いていないので、モキラは一切迷うことなくレックスの方へとやってくる。
「……ここだ!」
レックスはまた勘に任せて体を捻って横に移動し、その結果モキラの攻撃を避けた。
さて、ここからが本題だ。どうやってモキラの目を潰すために接近するか、それが問題だ。
もし仮に接近できたとしても、またあのドス黒い尾鰭で叩かれてはひとたまりもない。
それでもーー、
「やってやるよ!」
レックスは駆けた。
モキラの黒い尾鰭が、レックスの足元へと迫ってくる。
「お前はこれで、おとなしくしてろ!」
黒い尾鰭が足元へ迫る瞬間、それに何かが刺さり動きを止めた。さらに、それが尾鰭を貫通して地面に突き刺さったせいで、動けなくなってしまった。
そして、それは紛れもないレックスの振り翳したツルハシだった。
モキラは自らが置かれてしまった状況の危険さを悟り、慌てて暴れ出し、そのまま大きな唸り声を上げた。
「ーーーーッッ!!」
もうその頃には、モキラにとっては何もかもが遅かった。
なぜなら、今のモキラには目の前に迫り来る拳に対処する手立てがないからだ。
一月前に、ロンから聞いたことがあった。威力の出る、拳の振るい方を。
教えてもらった方法としては、安定した姿勢で、かつ全身で打つこと。それと、腰の回転を意識すること。
無論、これら全てを守り抜いて実践する技術など、レックスには到底ない。
だがそんな中でも、レックスが一番印象に残っていて、唯一簡単に実践できそうだと思ったものがあった。それはーー、
「はああぁぁーッ!!」
思いっきり声を出すことだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ーー魔獣モキラには、迫り来るレックスの拳から免れる手立てがない。
なぜなら、逃げられないように尾鰭を固定されているからだ。
これは、少なくともこの場にいる全てのニンゲンが分かっていることだ。
今更だが、魔獣モキラは土の中を泳いで、獲物の元へと急接近することを得意とする魔獣である。
それ故に、この魔獣は土と密接に関わっている。これはそういう魔獣の類だ。
ーー故に、土を使った攻撃もできる。
これらを踏まえ訂正しよう。このニンゲンが犯した、愚かな過ちを。
ーー魔獣モキラには、迫り来るレックスの拳から免れる手立てがある。
手立てがないというのは、レックス含めたニンゲンの思い違いだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そんなニンゲンの思い違いを嗤うモキラの世界が拳で埋め尽くされる刹那前、モキラは体を可能な限り大きく捻り、迫り来る拳を躱した。
さらに魔獣の反撃はそれだけに留まらず。モキラはニンゲンに向けて鋭い歯が並ぶ大きな口を開け、その口から何かの塊のようなものを飛ばした。
それは茶色い球状のものだった。ーーそれだけ聞くと下品なもののように思えるが、それがただの下品なものなら、どれだけこの状況が楽になっていたかなど見当もつかない。
なんせそれは、この魔獣が魔力を込めて作った土の塊だったのだから。
それは狙い通りレックスのお腹に見事直撃し、その衝撃でレックスは大きく吹っ飛び、やがて檻に叩きつけられた。
その威力は、ただの土の塊とは思えないものだった。そう、例えるならそれは、ニンゲンが思いっきり振ったハンマーの威力そのものだ。
当然だろう。
なぜなら、それを作ったのは、ニンゲンの尺度で測ること自体が愚かな行為だと評される、魔獣という存在なのだから。
「やっべぇ……なんだ、今、のは」
圧巻。この二文字は、今のレックスを表現する際に、最も適していると思われる表現の一つだ。
得体の知れない魔獣という存在の、得体の知れない予知せぬ一撃。
分析しなければならない。今の攻撃は何だったのか。
そして対処しなければならない。今の攻撃を防ぐために。
だがその二つを行う時間すらも、今は惜しい。なにせ相手はあの魔獣だ。何を望み、何が得意で何が苦手か。そんなことすらもいまだに分かっていない存在だ。
それに時間がないのも確かだが、今のレックスの脳内は、急に自分を襲った腹の痛み、それと檻に叩きつけられた際に打ってしまった頭の痛み。それらが埋め尽くしていた。
「早く、立たない、と……」
世界が揺れる。そんな中でも立たなければ、立ち向かわなければ負けてしまう。
だが立ったところで、世界の揺れが収まるわけではない。むしろ揺れが大きくなった感じがする。
やがて揺れる世界が黒く染まりかけーー、
「ーーぁ」
漏れた声と共に、瞬きの間に世界が落ちていった。
今、自分がどうなっているのかはよく分からない。分からないが、それでも倒れてしまったことだけは明確に分かった。
まずい、来る。得体の知れない何かが。
恐ろしい。『歓迎の儀』などと聞こえだけはいい地獄が、自分を本当の地獄へと突き落とそうとしてくる感覚が。
初めてチーフの黒拳を喰らった際に感じた、あの『恐怖』と同じ感覚が。
世界が、だんだんと色を失っていく感覚が。
「嫌、だ。負け、たくない……」
そんな微かな願いは誰も聞き入れてくれない。それが、この色褪せた世界なのだから。
「やってしまえ! モキラ!」
鼓膜を突き破るような声が、色褪せた世界を凌駕した。それが最後だと思った。ーー別の色が、この色褪せた世界に色を塗るまでは。
「立って! レックス!! 何でもいいから立って!」
「って、おい貴様! 『歓迎の儀』の最中は、私語厳禁だ。ーーいや、貴様もあいつと同じ新入りか」
「ええ、そうよ。だから、そんな決まりごと、知らないんだからっ!」
ーー聞き覚えのある少女の声が、レックスの色褪せた世界に響き渡った。おそらくそれは、同じ戦士として戦うことを誓った同士ーーネイレス•アンの声だ。
立とうとはしている。諦めたわけではない。けど、体が言うことを聞いてくれない。
動かそうとするたび、頭が、腹が、腕が、足が、全てが悲鳴を上げて泣き叫んで泣き喚いて死にそうでーー、
「なに、体が痛いって? 関係ないわ! とにかく立ちなさい!!」
無理矢理で、強引で、傲慢で。
結局、レックスには地獄以外の何も与えられることがない。
不運な自分の運命を呪いたくなる。
立とうと何度もした。だけど無理だった。動かすための器が、立とうとする意思を拒絶するのだから。
どれだけ立とうとする精神があったとしても、それを実行するための器が機能しなければ、何一つやることなどできまい。
それなのに、どうしてまだ立たせようとしてくるーー、
「忘れたとは言わせないわよ! 昨日、同じ戦士として戦うことを決意して、そしてーー」
「おい! いい加減にしろーー」
「一緒に、スローンの顔をぶん殴るって約束したじゃない!!」
「ーーやく、そく」
「なっ……き、貴様! 何を考えているんだ! ここはスローン様が治められるワイレスの地下牢だぞ!」
「知らないわよ。だいたい、私たちがそれをするのを知ってて、攫ったんでしょ?」
「ぐぬぬ……」
『約束』という名のパレットが、ジュリアス•レックスの色褪せた世界に虹をかけた。そして照らした。
『約束』という言葉を聞いた時、レックスは何でもできるような気がする感覚に襲われる。ーー否、なんでもできる。
「はぁぁぁぁ!!」
『約束』という名の栄養が、虹のパレットが、体中を駆け回り、やがてそれは体を動かす動力となる。
強い意思、そしてそれを叶えるための強い体。今のレックスには、そのどちらもあった。
そんな少年の鋭い咆哮、いや戦士の雄叫びが、この地下の、そのまた地下の地獄に響き渡った。
「「「おーーーッ!!」」」
「あの者、まだ立つんですかい!?」
「レックス!!」
「なっ! まだ立つか」
「ーーーーッッ」
少年の姿には、この場にいる全員が驚愕した。
その中でも、囚人たちは初めて希望という名の光を与えられたように一斉に叫んだ。
「俺の名前はジュリアス•レックス! スローンの顔をぶん殴るために現れた、一人の戦士だ!」
「「「おーーーッ!!」」」
少年ーーいや戦士は、再び立ち上がった。
少女と交わした『約束』を果たすために。




