第四章50話『とらいあんどえらー』
レックスが立ち上がった直後、足に何か感触があった。
それが敵の攻撃ならば瞬時にそこから離れたが、そうではない。
足元を見ると、そこには頭部が檻で引っかかった、採掘で使っていそうなツルハシが置かれてあった。
「ツルハシ?」
誰かが、投げ入れてくれたのだろう。
レックスは、ツルハシの頭部が檻に引っかかっていたので、持ち手部分を回してツルハシを縦にして引っかからなくなるようにして、やがてそれを剣のように握った。
「ツルハシなら、さっきみたいに簡単には壊れねぇよな」
本来なら石や鉱石を掘るために使われるツルハシ。その耐久性はこの戦いーー『歓迎の儀』において、十分な力を発揮することだろう。
無論、同じ場所、同じ時間にて、レックスが新たな武器としてツルハシを持っていることを知って怒鳴る者がいたのは言うまでもないが。
「誰だァ! あれにツルハシを渡した奴は!」
当然その問いかけに答える囚人など、どこにもいない。
だが、鳥獣族の男は不服そうな顔をしつつも、レックスかはツルハシを取り上げることはしなかった。なぜならーー、
「まぁ、ツルハシ一つで変わる状況ではあるまい。ーーよい! 続けよ」
レックスはその許可する声を聞いて安堵し、そして再びモキラと向かい合う。
最も、ダメだと言われても、ツルハシを返す気などさらさらないが。
「でも、どうしたら勝てるんだ……」
おそらくさっきのように鱗を攻撃してもダメだろう。
「とりゃーっ!」
だが、それがダメだと分かりつつもーー否、分かっていないレックスは、またもや鱗を攻撃しようとモキラに向かって走り出す。
「ダメだ、レックス!」
「おい、囚人番号六十七番! 『歓迎の儀』の規則を忘れたわけではあるまいな?」
「ーーーー」
レックスに助言をしようと叫んでしまったアトレスを、鳥獣族の男が威圧して黙らせた。
そしてモキラの鱗にツルハシが命中した時、大きく弾かれた。
ツルハシこそ壊れはしなかったが、その衝撃でレックスは後ろに大きくよろけてしまった。
そして、またあのドス黒い尾鰭が、こちらへと向かってくる。一度は経験し、それによって発生する痛みも覚えている。
だから怖い。
しかしだからこそ、ーーもう対処できるはずだ。
「はぁぁぁぁ!!」
向かってくるそれを、レックスは体全体で受け止めて勢いを殺し、そしてすぐに離して後ろへと下がった。
「危ねぇ、危ねぇ。でも、対処できた」
完全に攻撃を防ぎ切ったわけではない。当然、今ので体も相当痛い。
だが、「この場所で貴様らに有利な状況など一つたりともない」と言われたレックスにとって、今この瞬間、初めて有利なことをやってみせたのだ。
「図に乗るな。やってしまえ、モキラ!」
その怒りのこもった大砲のような声が、またしてもこの広間に響き渡り、それを同時にモキラはその鋭い爪を使って、再び地中へと潜った。
「今度は、どっから出てくるんだ?」
モキラが地面に潜ってから、この場所の地面が再び揺れ始めた。この行動を『地中潜り』とでも名付けよう。
そしてその『地中潜り』により発生した揺れは、レックスへと近づいてくる。
その揺れを感じ取り、レックスは「ここだ!」と叫んだ後、感覚に身を任せて隣の地面へと移動した。ーーその判断は正しかった。
さっきレックスが立っていた場所に、モキラが鋭い歯を剥き出して地中から這い上がってきたのだから。
「危ねぇ……」
しかし、『歓迎の儀』に閉じ込められたレックスには、一刻の休む暇すらも与えられない。
モキラは、またもや鋭い爪で地面を掘って、そして再び『地中潜り』を始めた。
「くそっ、これじゃあ埒が明かねぇ……なんとかしないと……ってうわぁ!」
レックスが対処法を考えようとするも、それを遮るようにモキラが、地面から鋭い歯を剥き出してきた。
そして休む間もなく、また『地中潜り』を行う。
「考える暇くらい、くれてもいいじゃねぇかよ。お前もちょっとは、休みたくねぇか?」
その提案に、モキラが応じなかったのは言わずもがなだが。
「有利な状況など一つもない、か……やってやるよ」
この『歓迎の儀』という名の地獄を、『有利な状況』にするために、レックスはありとあらゆる策を講じて、それらを試してみることにした。
「確かこういうのを、どっかの言葉で『とらいあんどえらー』って言うんだっけ」
まず初めに仮説を立て、それを試す。そして失敗すれば分析して改善し、再び試して成功へと導くこと。
これを、レックスはどこかの言葉で『とらいあんどえらー』と言うのを聞いたことがあった。
言い慣れなくて聞き慣れないその言葉を初めて知った時は、正直どこの言葉なんだと思った。
だが今では、レックスの割と気に入ってる言葉図鑑の一つとして登録されている。
「まず最初にやること。それは、『仮説』を立てることだ」
『仮説』を立てるためには、それをするための思考材料が必要だ。
そのためにレックスは、モキラについて様々なことを知る必要がある。
今、分かっていることは、
• モキラは『地中潜り』をする際、地面に伝わる振動を頼りに、獲物を捕らえることができる。
•現時点で判明しているモキラの攻撃手段は、魚のような尾鰭と、鋭い歯。あと、その気になれば地面を掘っている爪でも可能だろう。
•鱗が、とてつもなく硬い。
これくらいだ。
この数少ない情報を増やすためにも、とりあえず今は『仮説』を立てて、それを実行しなければならない。
そして、それに応えるかの如く、再びレックスの立っている地面が大きく揺れる。
さっきまでなら嫌な感覚だと思ったが、今ならいいタイミングだと思った。
なぜなら、モキラーーいや、『実験対象』が自分から顔を出してくれれば、レックスは無数の『仮説』を試すことができるからだ。
ーー仮説一つ目。モキラの歯を砕くことはできるのか。
「出たな。喰らえ!」
地中から顔を出して、鋭い歯を剥き出してレックスを噛み砕こうとしてきたモキラ。
そんなモキラ目の前には、逆に自分の歯を砕こうとするツルハシがあった。
レックスの振り翳したツルハシと、モキラの鋭い歯が衝突して、大きな衝撃音が鳴り響いた。
だが、その衝突によってレックスの振り翳したツルハシも、それと衝突したモキラの歯も、砕けることはなかった。
•モキラの歯は、鱗と同じくらい頑丈で硬い。
「ダメか……よし、次だ」
ーー仮説二つ目。自分よりも大きな振動を出せば、そっちを優先して攻撃対象とするのか。
おそらくこれまでの傾向として、モキラはたとえレックスが一歩も動いてなくても、人間が生命活動をする上で必ず発生するほんの僅かな振動を読み取って、レックスを攻撃しに来ている。
ならば、ツルハシを使って、少しズレた場所でより大きな振動を発生させれば、そちらへ向かうのではないか。
というのがレックスの立てた二つ目の『仮説』というわけだ。
その『仮説』に乗っ取り、レックスはさっそくツルハシの下部分を持って、自分の位置より少し離れた前方の地面を叩く。
「いいぜ。来いよ、モキラ」
地面が揺れる。もう慣れた感覚だ。これまでどれだけ、レックスの立っていた場所がその感覚に襲われていたことか。
しかし、今回はそれがレックスに迫ることはなく、モキラの攻撃対象が少し前にずれた。
やがてレックスの少し前方付近に、魔獣が現れ、その鋭い歯で空気を砕いた。
そしてお約束のように、モキラはまた地中へと潜っていった。
今考えたら、噛み砕こうと顔を地面に出すまで迂闊には動くことができないので、どれだけ危ないことをしたかと思うが、結果的にそれに見合う情報を得ることができた。
「よし、成功だ!」
•モキラは攻撃する対象を、衝撃の大きさで判断する。
我ながら、すごい有力な情報だと何度も思う。危険を犯しただけあった。
「次だ、次!」
ーー仮説三つ目。檻を叩いたら、檻を噛み砕こうとするのか。
もしそうしてくれて、檻でも壊してもらえたら本望だが、おそらく無理なことだろう。
肝心なのは、檻を叩いた衝撃にモキラが反応を示すのかどうかということだ。
その情報が使えるかは分からないが、今のレックスには、どんな些細なことでも知る必要があった。
「さぁ、一体どうなるんだ?」
レックスは手に持っていたツルハシを再び見つめ、そして静かに頷いた。
そしてそのツルハシで、レックスを『歓迎の儀』から逃がさないための鉄の檻を、力の限り思いっきり叩いた。
激しい金属音と共に、群衆がざわめいた。
その中でも、特に驚きを示したのが、この地獄の創設者ーー鳥獣族の男だ。
「おい、貴様何をしている! 檻を壊して逃げようとしても無駄だぞ!」
「分かってる! うっせぇから、ちょっと黙ってろ!」
「なっ……」
立場をわきまえぬレックスの無礼さには驚きつつも、これ以上は言っても無駄だと悟り、鳥獣族の男は静かに黙ることにした。
それにレックスの無礼の件なら、この『歓迎の儀』という名の恐怖によって、思い知らされることとなるだろう。そう確信していた。
それからレックスは、鳥獣族の男のことなど気にも止めず、黙って『実験対象』の示す反応を確認していた。
予想としては、衝撃を受け取ったモキラは檻には噛みつくが、硬くて噛みちぎることができない、というものだ。
そして激しい金属音の余韻がこの広間から消えた頃、今度はレックス立っている地面が揺れ始めた。
しかし、それはレックスの立っている位置を狙って揺れたわけではなかった。
それは、レックスが叩いた檻に向かっていた。
ーーしかし、実験には予想外の出来事というものがつきものだ。
モキラが地中を走ることによる揺れが途中で止み、それと引き換えに地面の中から激しい金属音が鳴り響き、レックスがさっき叩いた檻が大きく震えた。
まるでレックスが檻を叩いた時のように。
だが明らかに違うのは、その威力だ。
地中から鳴り響く音なのに、地上でも問題なくその音を感じ取れるのは、あまりにも異様なことだ。
この状況で、地中からこんなことができるのは一人しかいない。いや、一体と表現するのが正しいだろう。
「モキラが、やったのか……? いや。ってことは、地中にも、地上と同じように檻があるのか!」
この三つ目の『仮説』により、予想外の形で、予想外の結果を得ることができた。
•モキラは、檻を叩いたことによる衝撃にも反応する。
•地中では、地上と同じように金属製の檻が続いている。
•モキラの突撃の威力は、異常。
順調に情報が集められている。いい感じだ。
結果的に、膨大な情報を与えてくれたこの檻に感謝しないといけないと思い、レックスが叩いた檻を撫でようとした。
「ーー! これは……」
レックスが先ほどツルハシで叩いた檻は、僅かながら傷ついていた。
「もしかして、この檻。ツルハシで壊せるのか?」
だとしたら、これは『歓迎の儀』が終わっても使える情報なのかもしれない。実に、豊作だ。この檻には感謝しても仕切れない。
•この檻は、おそらくツルハシで壊せる。
これら情報により、レックスの中にはモキラを倒すための様々な策が思い浮かんだ。
「ありがとな。お前には感謝しても仕切れないよ。ーーおかげで、あいつを倒すためのヒントが見つかった」
レックスは、この地獄を終わらせる複数の糸口に導いてくれたこの檻に対して、人のように感謝の言葉を告げて再び優しく撫でた。
そして目の前の問題に向かい直ろうと、再びツルハシを強く握り直した。
「負ける気が、しねぇなぁ!」
「ーーーーッッ」
地下の、そのまた地下で、囚人ジュリアス•レックスは、この地獄を乗り越えることを宣言した。
そんな宣言にモキラは低い声で唸り、レックスに応えた。




