2話 秋聖柳の導き
軌紀、水奈、鈍陽、龍恩、夜来、勇士、使塚。
???「あの……絶対に記憶出来ないので……読み方の説明は、また今度で……」
強烈な日差しで目が覚める。緑に染まった空の隙間から、炎属性の極大魔法が見えたような……あれは太陽か。木の根元に背中を預けていたらしく、背中に感じる違和感は根元の凹凸と一致していた。
左目は、まだ見えないか。
「久しぶりの自然だ」
感動というよりは、最果てという牢獄から脱出した達成感だろうか。最果てを隅々まで調べたから、現状を理解出来る。周囲には花壇を始め、畑、道端の用水路、大きな屋敷。どの世界か知らないが、故郷のように感じる。
最果ては不毛であり、食事は全て魔物。状態異常持ちの魔物が多く、一日中麻痺で動けないことは多々あった。創造魔法の使い手が建てた簡易拠点で雨宿りし、最果ての解放を願って自己研鑽を行う。そんな生活を永遠と続けていた。
「劉尾家に何か用でしょうか」
「は、はいっ!」
舗装された道から女性の声が聞こえた。急いで振り返ると、同じ制服を着た女性が2人。一人は堂々と。もう一人は隠れるように、こちらを見ていた。
常時発動している【虚心坦懐】は、魔力の流れによって人の気配を知らせてくれる。どうして、発動しなかったのか。思考の外へ追いやった仮説が真実味を帯び始める。
「すみません。不法侵入じゃないです。目覚めたら、この木で寝ていて……」
「前置きが怪しくない?」
「怪しいですが、前例もありますから」
「でもさ、ストーカーかもよ?」
「そうですね。ただ、誰かの拾い物の可能性がありますから」
「絶対に普通じゃないよ?だって、見てよ。服装が禍々しいでしょ」
隠れている女性は心配性なのか、堂々とした女性に抗議を行う。服装なんて当て付けだろう。最果てで流行っていた機能性重視の装備だ。最果てに行けば、8割が同じ服装なんだぞ。
ただ……客観的に考えるなら、普通の反応なのだろう。家の庭に見知らぬ人が寝ていたら怖いからな。
違うだろ。何を考えているんだ?秋聖柳には、アランを返して貰わないといけない。下手に出るのではなく、脅すつもりで……駄目だ。魔力を制御……いや、魔力が見えないなら、何も出来ない。
「あの……大丈夫ですか?地面を見つめて……何か思い出しましたか?」
「顔色悪いけど」
「大丈夫だ。記憶が少し……大きく乱れているだけだ」
今後の展開を予測するため、一人の殻に閉じこもる。どの道筋が、世界奪還の最短経路なのか。
一方、女子2人組は、記憶喪失を匂わせる発言から微動だにしないネイトを心配そうに見詰める。
「絶対に大丈夫じゃないでしょ……これは勇士と同じ現象なの?」
「はい。限りなく似ていますね。勇士さんも記憶喪失で、混乱していましたから」
「じゃあ、龍恩に入るの?」
「夜来さん次第でしょうけど」
普段通り、責任を取らない言葉選びに呆れながら、頭を抱えるネイトの元へスキップをする。
「そ。なら、自己紹介でもした方がいいよね。知っていると思うけど、私は劉尾軌紀。よろしくね~」
アランは魔族世界……知っていると思うけど?有名なのか?劉尾軌紀……劉尾……劉尾家……。
ネイトは見知った顔なのか確認するために、軌紀の顔を凝視する。容姿が整っているだけで、強そうには見えないな。
「……聞いたことがないな」
「うわ!失礼!!」
有名である事を自負していたせいか、初めての反応に本音が出る。急いで口を塞ぎ、三歩ほど後ろに下がる。
「……悪い。僕が世間に疎いからだ。真面な教育を受けてないから、許してくれ」
学校には通った事がない。普遍的な勉強をするよりも、ナノ家の空間魔法と……創造魔法を引き継がないといけなかった。ダメだな。記憶から消し去ったはずなのに、どうして鮮明に憶えているんだ。
頭を抱え、自虐をするネイトの様子を見て、軌紀は逆に罪悪感を覚える。
「別に良いけど……ほら、水奈も挨拶しないと」
「龍恩所属の水奈と言います。よろしくお願いしますね」
「よろしく……お願いします。ここは秋聖柳ですよね?」
「どうして、水奈には敬語なの!?」
水奈がどうしても年上の女性に見えて、敬語を使ってしまった。相手は学生だぞ。コスプレでもない限り……何を妄想しているんだ。
「はい。秋聖柳南側南西最果て鈍陽です」
え~と……どこだ?
理解は出来ている。秋聖柳南側なのだろう。世界の名前は鈍陽。だが、南西最果ては意味が分からないだろう。ここも最果てなのか?
「無視?私を無視?家主ですけど?」
「学校に遅刻しますよ。彼を龍恩に連れていくので安心してください」
「水奈も一緒でしょ?」
「違うでしょう?私は仕事の一環として、学校に通っているだけです。それに……一ヶ月後には忙しくなると聞きましたが」
「……はい」
トボトボと歩いてゆく軌紀の姿を眺めながら、水奈はため息を零す。
「表向きの龍恩は様々な事業を展開している組織です。軌紀さんはアイドル事業で活躍しています。ですが、ネイトさんは裏でしょうね」
「……無意識のうちに名乗ったの、か……他には何も言ってないよな?」
「安心してください、名乗ってませんよ」
ニコニコとしながら、歩き始める水奈の後を急いで追う。
「いや?全然、安心出来ないから」
素性が知られていたとなれば、脳内シミュレートは全て破綻する。旅人を装って正体を隠し、秋宵と交渉するという目標は一瞬で潰えることになる。
屋敷の門を出ると、視界に市街地が広がる。高層ビルが乱雑に配置され、豊かな世界……いや、平和な世界と言えるか。戦争の絶えない世界では、敵の標的に過ぎない。
人通りは多く、老若男女が行き交う。通勤、通学時間なのだろう。服装はカジュアルが多いな……戦士は居ないのか。重装備を纏った者は見当たらない。戦闘系の街ではなく、学術系か?
「使塚さんから、迷い人が現れると聞いていました。名前はネイト・ナノ。空間魔法を武器に戦う、超近距離アタッカー、と」
「ナノまで知ってるのかよ。別に戦うつもりは……ああ。だから、距離を置いているのか?」
水奈の身長を考えれば、ここまで距離が生まれるとは思えない。周囲を見渡していたため、多少遅れることはあるかもしれないが、5メートルも離れているなら、話は別だろう!
「違いますよ?ほら、遠くに歩いているご年配の方々は、早々にネイトさんを抜かしていましたから」
水奈が指す方向には、杖を突いた集団が闊歩している。あれほど早歩きなら、杖は必要ないだろう。ファッションか?最新の変装武器なのか?
風に吹かれるようにスキップをするも、風が吹くことはない。覚悟はしていたが、魔法が使えない不便さを受け入れるしかないようだ。
そもそも生きているだけで……どうして生きているんだ?僕はロンダレスに殺された……だろ。
「ネイトさんには、管理者からの仕事を受けて貰います」
「……例えば?」
近い将来、秋宵と交渉をするんだ。あまり、情報を与えないようにしなければならない。情報は強力な切り札。今からでも、練習をしておくか。会話のリハビリも兼ねて、ね。
管理者からの仕事。イメージするなら、生態系の調整やダンジョン創造……だろうか。
「そうですね。管理者が嫌がる雑用だったり、潜入調査。管理者にも派閥が存在しますから、中立を保つための依頼が多いです」
「意外と、しっかりした組織だな」
「今は、ですけどね」
水奈の足が止まる。すると、隣に聳え立つ高層ビルへ歩みを進める。
「正気か?」
「そこに龍恩と書いてありますよ。それに、目的地は最上階です」
入口付近に置かれた石碑には、達筆で龍恩と刻まれている。この石は……黒色の魔石だよな?
この大きさの黒色……魔物の外形が想像つかない。そもそも、この高さの建物は、アラン・ナノには無かった。この気持ちは何だろうか。自世界の方が優れているという誇りが消えてゆくような……。
「……へぇ。面白いじゃないか」
「どこに面白い要素があるのか知りませんが。付いて来てください、逸れますよ」
複数あるエレベーター。ではなく、スタッフオンリーと書かれた非常階段の扉を開く。
「ここで転移魔法を使えば、ショートカット出来ますが……魔法が使えないらしいですね」
水奈の視線が痛い。まるで、龍に襲撃された土竜を見るような哀れみを感じる。
「階段裏に刻印された魔法陣は見えますか?」
階段裏。地下への階段はなく、この階で完結している。つまり、階段裏と呼ばれる場所は一か所しかない。ないはずだろう。
「ああ、階段裏ね。上に立つから、魔力を流して欲しい」
「分かりました。では、魔法陣の上に乗ってください」
これは試されているのか?いや、魔力を流してくれるなら、善意に決まっているだろう。
場所は階段裏だ。階段の幅も狭く、場所を間違える方が難しいと言える。
「これでどうだ?」
「あの……どうして、両手と両足を伸ばしているのか聞いてもいいですか?」
階段裏の何も存在しない空間で、ツイスターでもしている様な無様な格好。使塚から言われた事は本当らしい。
「キツイ!!早く、転移魔法を!」
「ふふっ、ええ。『転移魔法』」
ネイトの足元に魔法陣が展開される。魔力へと変換されるネイトを見ながら、水奈はメッセージを入力する。この誤解を温めておこうと心に秘めながら。
龍恩ビル最上階。鈍陽を一望できるガラス張りの空間は、このビルだけの特権だ。内装は黒を基調として、大人びた雰囲気を演出している。家具は最低限であり、仕事をするための場所として使用されているようだ。
人数はネイトと水奈を合わせて7人。第一印象は、美男美女が揃っていることだろうか。男性は肩幅が広く、女性はすらっとしている。そして、全員が武装していることは何を意味するか。快く歓迎されている訳ではないらしい。それもそうだ。秋聖柳の視点に立てば、僕は世界賊に等しい。
「君がネイト・ナノか。生粋の魔法使いらしい」
「それって馬鹿にして……」
「セレネ。止めておきなさい」
「まぁ、馬鹿にしてますよね」
「使塚も同意見っと」
「魔法使いって格好良いけどなぁ」
「そうですね」
好き勝手に話し出すメンバーを横目に、頭を抱える男性がリーダーのようだ。そして、褐色肌のイケメンに同意したのは水奈。何となく、雰囲気が掴めてきたぞ。ただ……労働を強要されるなんて思ってもみなかったが。
「俺は夜来と言う。龍恩の総責任者だ。ギルドで言えば、ギルドマスターの立ち位置だ。次はセレネ」
年齢は30ぐらいだろうか。鍛えられた肉体は、服の上からでも分かる。ギルドマスターと名乗っている通り、これからのリーダーはこの人なのだろう。
「セレネだ。ネイトなら知っているだろうが、魔族の精霊人という種類になるよな?」
「ええ。同じく精霊人のフレリオです。アイドルの護衛や高難度の依頼を任されます。次は使塚さんで」
セレネとフレリオは、龍恩の戦闘要員という認識で大丈夫だろう。精霊人は魔力の塊であり、実体を持たない。つまり、魔族内で最も魔法適正が高い種族だ。
「事務を担当している使塚です。光魔法が得意なので、死なない限りは大丈夫ですよ」
天使のような笑顔だが、言っている事は法律すれすれだ。これからどんな死地で仕事があるのか。待てよ、この世界に法律はあるよな?
使塚は視線を水奈に向ける。意図を理解した水奈は、ネイトに姿勢を向ける。
「先ほども自己紹介しましたが、改めて。水奈と言います。龍恩では、アイドル兼裏方でしょうか。よろしくお願いしますね」
「最後は俺だね。名前は勇士。君と同じ迷い人で魔法が使えないんだ。龍恩では、俳優兼裏方かな?よろしくね」
なるほど。同じ迷い人として、魔法の使えない者として、話は通じそうだが、仲良くは出来ないなぁ!
「ネイトです。よろしくお願いします」
「凄い表情の変化だな。切り替え上手と褒めるべきか」
「仲間に向ける表情ではないでしょうけど」
夜来とフレリオのみがネイトを常に監視していた。その事実を消すためにセレネが話題を変える。
「まぁ、表情の制御は難しいからな!そんなことよりも、久しぶりに全員が集まったんだ。話があるんだろ?」
セレネの方向修正に、夜来の表情が曇る。もしかしたら、無駄話で時間を消費するつもりだったのかもしれない。使塚は机上に置かれたファイルから書類を取り出し、シュレッダーに優しく入れた。高性能である機械は、無情にも音すら出ない。大事な記録は、ボタンを押す事で簡単に消去されてしまう。
「ネイトの歓迎会をした直後だが……龍恩の対管理者部門は来月中に解散する。正式に決定したから、改めて伝えておこうと思ってな。各自、望む道へ進めるように手配はするつもりだ」
何を言っているのか理解出来ないが、静寂な空間が思考を加速させる。一か月の働きで、望む道へ進める……つまり、解放されるということか?なら、受け入れるしかないだろう。
確定事項のような口振りから、色々と察する事は出来る。第一候補は、管理者からの圧力だろう。水奈の言っていた中立からの依頼は怪しいと感じていた。秋聖柳の情勢について知らないが、統合世界である以上、管理者間の方向性の違いは透けている。そもそも、魔族内でも性格は違う。そんな中、魔族と単なる人間が共存なんて出来る訳がない。
「何も聞かされてないのは私だけではないようだな」
夜来と使塚を除いた龍恩は困惑に包まれていた。“今は”と含みを持たせていた水奈は、夜来と使塚を交互に確認し、困惑している演技をしている……ようにしか見えないだろう。
思い当りは複数ある。だが、どれも上手く切り抜けてきたのが龍恩という組織。少数精鋭は自信の表れだ。
「龍恩は赤字だと聞いていますけど……他の事業を切り捨てましょう。例えば、アイドルやアイドル系など」
「大舞台で水奈が輝いているシーンをもっと見たいけどなぁ」
「……もう」
微笑ましい光景である事は理解している。しかし……この拒絶反応は、魂に刻まれた経験が生み出す防衛反応とも言える。ここまで生々しい光景は、久しぶりというか。避けてきたものの一つだ。
「赤字は関係ない。既に使えきれないほどの資産があるからな。アイドル事業も誰かに任せるつもりだ。水奈が経営側に回っても面白いだろう」
資金的な問題ではないと断言する。言い回しから考えるなら、リーダーである夜来が辞めるという話のようだ。
「飽きた?」
セレネが揶揄うように、夜来の肩を叩く。冗談を指摘する様子ではなく、労いを込めた激励のように映る。
「秋聖柳創造から千四百年も龍恩として活動していればな。ここまで続けていたのは、秋宵を一人にしないためだ。その秋宵が秋聖柳から消えるなら、一つの区切りとして綺麗だろう」
夜来は誇らしげに壁際を見渡す。丁寧に重ねられたトロフィーの山。透明なケースの中には、豪華な装備が複数展示されている。中心に飾られたドレスは、風に煽られるように揺れている。魔力が視認出来たなら、違った見え方なのだろう。
秋宵の名は秋聖柳外にも轟いていた。162からなる統合世界、秋聖柳を創造。【天下無限】に属し、調停者として活動していること。最も有名なのは、ノーマーカーであること。
ノーマーカーの定義を答えるなら、魔力を消費せず、魔法陣を用いず、魔法を使用する者のこと。無から有を生み出す者と言い換えられる。無制限による魔法の使用は御業に等しい。
秋聖柳が千四百年も続いたのは。龍恩のような中立派の組織が許されていたのは。世界賊を最果てに封印出来たのは。【岐路の楽園】が好戦的でなかったのは、秋宵の存在が非常に大きいと考察可能だ。
「……そっか。契約を果たしたんだ」
「秋宵さんの決断なら抗う術はありませんね。秋聖柳の未来を考慮した判断でしょうから」
セレネとフレリオは淡々と現実を受け止める。水奈と勇士は未だに困惑しているように映る。夜来は全員の顔色を窺い、反対意見が出ない事に胸をなでおろす。
今なら、話を聞けるかもしれない。
「龍恩と秋宵の関係について聞いても良いですか?」
「確かに、龍恩について話をしていなかったな。龍恩の創設は、秋宵の指示から始まった。秋聖柳南側であれば、黒猫に見つからないだろうと。この辺の話は時間がある時に話す。関係性を簡単に言えば、秋宵の仕事を手伝う組織が龍恩だ。他の管理者からの仕事も受け付けているが、秋宵の依頼が最優先されると言えば、話は理解し易いだろう」
秋宵の為の組織。そんな組織が中立であるならば、秋宵は中立なのか?秋宵が覇王である。つまり、覇城の最上位権限を保有していると噂で聞いていたが……状況が読めないな。まさか、秋聖柳内で調停者をしていることはないだろう。自世界は全て思いのまま。何をしても咎める者はいない。咎める者なんて、世界から消し去れば済む話だ。
「ネイトくんに説明するなら、秋聖柳の概要から教えた方が分かりやすいですよね。一旦、解散しますか?」
「そうだな。使塚は残ってくれるな?」
「はい。精霊の2人は海底神殿の座標特定をお願いします。勇士くんと水奈ちゃんは、別のお仕事が来たみたいだから確認してくださいね」
使塚の願いに4人は頷く。リーダーが依頼を指示するのではなく、使塚が役割を担っているみたいだ。
『転移魔法』
セレネとフレリオは、その場で魔法陣を展開する。美男美女カップルは、エレベーターで移動するようだ。4人が消えると圧迫感は消え去り、自然と深呼吸をしていた。心臓を掴まれているような錯覚は、生き物としての防衛本能なのか、誰かが支配魔法を発動していたのか。魔力の流れを見れない今、考えるだけ無駄だな。
「一方的な話は退屈だろう。だから、情報共有のような会話にしたいと考えている。取り敢えず、秋聖柳の何を知っている」
夜来はソファに座り、ネイトに会話を促す。
「秋聖柳を創造したのは秋宵で、聖と柳が協力した?ぐらいですかね」
「……及第点だろう。秋聖柳を創造したのは、秋宵、霊聖、柳の3人という事になっている。ネイトの言う通り、創造という観点から見れば秋宵が一人で行っている。だが、管理者内の調和を取るために3人の手柄として扱っているらしい」
「つまり、管理者内で3つの派閥があるということですね?」
「だと思うだろう?派閥は一つしかない」
「……はぁ」
派閥が一つであるならば、秋宵の手柄で問題ないだろう。調和を取るためとは……何に配慮しているのか。無知を隠すには、聞き専に徹した方が良さそうだ。
「秋聖柳の管理者が住んでいる世界が【覇王の魔城】だ。秋聖柳中心地の上空に浮かんでいるが、ここからは見えないな」
本気で言っているらしく、全面ガラス張りの窓に姿勢を向ける。見えるわけないですよね。可愛らしい小声が耳を掠める。仲が良いのか、長い付き合いだからなのか。会話のテンポが心地良い気がする。
「覇城と略される事が多いな。現覇王は秋宵。秋宵は他世界でも有名と聞いているから説明は不要か。今の派閥は覇王派閥のみだが、秋宵が消えれば派閥は一気に増えると言われている。転換期と呼ばれる時期だろう」
「秋宵が支配した、のですか?」
面と向き合って会話をしたのは何百年前か。久しぶりの会話だからだろうか、脳内に言葉が浮かばない。
「覇城に属しているわけではないから詳細は知らない。秋宵は譲られたと話していたが、秋宵がトップを担っている事に対して快く思わない連中が居るとも聞いている。実際に……実害が出ているからな」
握り締めた拳は、誰への怒りだろうか。これまでの話を踏まえるなら、秋宵を孤立させようとした集団が覇城なのだろう。秋宵が中立を選んだ理由と言われたら……納得は出来ないな。気に入らない管理者が居れば排除する事で実害を防げる。与えられた権限を考慮すれば、受け身になる必要なんてない。
「覇城の説明はそれくらいで良いでしょう。秋聖柳について説明しますか?」
「だな。秋聖柳は162個の公共世界が統合されている。この中で、覇城が所有している最上位権限は」
「誤解が生まれますから。詳細ではなく、概要を説明してあげましょう」
事務机の横で書類整理をしていた使塚は、夜来から見て右側のソファに座る。
最上位権限について気になるが、立場を悪化させるのは完全なる悪手。黙っておく選択が吉だろう。
「秋聖柳を大きく区切るなら、5つの空間に分けられます。秋聖柳中心地、東側、西側、南側、北側。これは世界の特性によって区切りました」
「ました?」
「区切られました」
夜来を満面の笑みで牽制し、右手で鍵盤を奏でるように五指を動かす。癖なのか、何かを入力しているのか。凝視は流石に不味いな。後で、勇士にでも聞いておこう。
「中心地は、現覇王派閥の出身世界が集められていますね。有名世界は中心に位置する宵姫でしょうか。秋宵の出身地……私と夜来、セレネ、フレリオは宵姫出身です。覚えておくべき世界は……万緑は柳、エヌマは霊聖が有名ですね。全世界で最も豊かな世界は、ラト離炎。元覇王の不死鳥はそのまま不死鳥という名の世界です」
「あの……絶対に記憶出来ないので……世界の説明は、また今度で……」
この説明が後4回も繰り返されるなら、絶対に記憶出来ない。中心地の知識を習得した所で、必要がない可能性もある。秋宵と会って、アランを返して貰えるだけで十分だ。
「そうですか。では、簡潔に。東側は、魔物との共存。西側は、最果てと呼ばれることが多いですね。他世界からの迷い人や世界賊を封印する空間。南側は魔法のない世界。北側は魔族だけの世界。そんなところでしょうか」
「なるほど。凄く分かりやすいです!」
魔法が使えない世界なら、魔力が見えなくても仕方がない。今の状態は正常なんだ。世界賊を封印する空間という物騒な言葉が聞こえたが、秋聖柳の南側から抜ければ魔法が使えるという安堵が勝る。
「……抜け道は複数存在しますが、基本的にネイト・ナノの魂は魔法を発動出来ません。魂の暴走による生命活動の停止。魔法使いとして、最も不名誉である事を理解し猛省すべきです」
使塚の表情は冷酷そのもの。光魔法の使い手らしい思想だろう。生まれた時から才能に恵まれていた奴らは、魂の暴走を最も不名誉だと位置付ける。魔力、魔法の制御を完璧にしていれば、魂の暴走など絶対に起こらないからだ。
だが、才能に恵まれていなかったら?自分の強み、適正を知るために、様々な魔法を試すことだってあるだろう。あるいは、父親の得意な創造魔法を受け継いでいるのか試していたら?親の期待を裏切ることは出来ない。極限まで、魔法を試すに決まっている。
じゃあ、ナノ家が受け継ぐべき才能。空間魔法を試していたら?ナノ家である以上、才能があるはずだろう?どうして……どうして……魔法が受理されない?
「……はぁ、はぁ、はぁ」
ネイトは両手で左目を抑える。左腕が震えているのは、肉体の異常ではない。肉体は新しく使塚が創造している。つまり、魂に刻まれた後遺症。
「配慮が足りませんでした。『落ち着きなさい』」
使塚の人差し指に小さな魔法陣が灯る。金色の輝きは、次第にネイトの全身を覆い尽くした。
「冗談だと思っていたが、本当なのか」
「奇縁では有名らしいです。欠点は多いですが、あの秋宵が期待するなら」
「秋聖柳には必要、か」
ネイトの震えが止まった事を確認し、人差し指に展開した魔法陣を消滅させる。
「では、龍恩の知識担当で行きましょうか。よろしくお願いします」
使塚の声が脳内に響き渡る。今になって、自身の現状を理解する。生命活動の停止。
つまり、魂の9割は消失したということだ。生きているのは、魔法による強制延命のおかげか。
となれば、生命活動に制限が……発生……す……。
「これは生きているのか?」
地面に倒れ込んだネイトを見下ろしながら、夜来は心配そうに使塚を見る。
「魂の活動限界を迎えたようですから、返事は不可能です。呼吸をしていないでしょう?」
「……どうなってやがる」
使塚は立ち上がり、服の上からネイトの心臓付近に触れる。右手を魔力へと変換し、心臓である魔石を掴んだ。
「例を挙げるなら、充電が切れたロボット。魔石に蓄えられた魔力が、無理やり生き物として活動させている感じ。この魔石を砕かれてしまえば、ネイトは即死でしょうね。魂の規模的に転生は出来ないし、魔石が砕ける事を考慮すれば魔法も使えない。与える依頼は最小限にね?」
願いではなく命令。素の使塚に安心感を覚える。これが彼女の本質であり、役割でもある。
「理解している」
倒れたネイトを大きめのソファへ運ぶ。ソファの真上には、画鋲で止められたカレンダー。ある時を境に空白が続く。残り一ヶ月。龍恩の安寧を祈りながら、ネイトの肉体にブランケットを掛けた。
龍恩のメンバー紹介、秋聖柳の説明、ネイトの現状。
ネイトは思考を覗かれることに慣れている。それが何を意味するか。
では、またー