ノイズのない日
ステージの中央に立った瞬間、俺は深く息を吸い込んだ。
音響ホールは、まるで時間さえも止まったように静かだった。
客席には、淡い照明に浮かぶ顔ぶれが並んでいる。
俺と玲音の歩みを見守ってきた人たち──
仲間、旧友、家族、そして作品を支えてくれた人々。
スーツ姿の青年は緊張した面持ちで小箱を手にし、派手なジャケットの男は落ち着かずネクタイをいじっている。
玲音の旧友は口元を引き締め、俺の同級生はショップ風のドレスで背筋を伸ばしていた。
スマホを操作するプロデューサーは冷静な表情でステージを見つめ、ルナの兄はモデルのような佇まいで妹を見守っていた。
華やかなドレスのルナの母は視線を泳がせ、小町の父は渋い着物姿で腕を組んでいる。
アニメのプロデューサーと監督は、それぞれ鋭い視線と静かな熱を宿しながらステージを見つめていた。
眼鏡の脚本家は眠そうな顔で座り、作家志望の少女はノートにペンを走らせている。
華やかな少女は期待に満ちた目でステージを見つめ、小町の同級生は真剣な表情でその瞬間を見守っていた。最後列には、個性的な衣装の女性ミュージシャンが静かに目を閉じていた。
スクリーンの片隅には、懐かしいアイコンが浮かんでいた。
玲音がかつて悩みを打ち明けたという、相談室の管理人が、遠くから見守っているようだった。
俺は胸の奥で、小さく「ありがとう」と呟いた。
玲音はローズの前に腰を下ろしていた。
純白のドレスに身を包みながらも、彼女らしく、
いつもの楽器を選んだ姿に、思わず笑みがこぼれる。
彼女は俺の隣で音を奏でるとき、どんな衣装よりも誇らしく見える。
スクリーンには、ふたりの生活の断片──キッチンの湯気、ジャガイモを潰す音、ドアの軋み、風の音──が映し出される。
どれも音楽とは程遠いが、俺たちにとっては“音楽の種”だった。
義理の兄妹として始まった日々。血のつながりはなくても、誰よりも近くにいたふたりが、「名前の順じゃなく並んで生きていく」と決めた今日。
ふたりが名前を変えなかったのは、それが「最初から同じだった」からだ。
特別な手続きも、ドラマもなかった。ただ、自然に隣にいた。
だからこそ、今こうして、誰の許可も要らずに、心からの拍手に包まれている。
「……じゃあ、始めようか」
玲音の声に、俺は頷いた。
「うん。ふたりの“日常”を、響かせよう」
新曲『ノイズのない日』が始まる。
ローズの音が空気を満たし、環境音がリズムを刻む。俺の声が重なる。
「朝の光が、カーテンを揺らす
君の足音が、リズムになる
冷蔵庫の開く音が、イントロで
君の笑い声が、サビになる」
客席は静かに聴いていた。
誰も声を出さない。
でも、確かに“震えていた”。
サビに入ると、ステージにふたりの影が浮かび上がる。
手を握り合い、少しずつ重なっていく。
玲音のローズが強く鳴った瞬間、俺は彼女の手を取った。
彼女は驚きもせず、微笑んだ。照明がふたりを包む。
「この曲は、ふたりで歩く日々の音です」
ラストのサビが終わると、すべての音が止まった。
訪れた無音の“間”に、確かな音楽があった。
最後の一音が流れ、ゆっくりと拍手が広がる。
まるで、会場全体が呼吸を思い出したように。
玲音は少しだけ涙ぐみ、俺は彼女の手をもう一度握った。
「……ありがとう」
「こっちこそ。今日の音、すごくきれいだった」
それは、ふたりの“ノイズのない日”の始まりだった。




