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誕生日の朝

春の風が、窓の隙間からそっと入り込んでくる。


俺は、一枚の紙を見つめていた。

玲音が昨夜、手書きで書いた“誓いのメモ”。

文字は小さくて、少しだけ震えていたけど、そこには確かに、ふたりの未来が描かれていた。


「生活も、音楽も、ふたりで作ること」

「喧嘩しても、ちゃんと話すこと」

「どんな音も、隣で聴くこと」


玲音らしい、静かで、でもまっすぐな言葉たち。


「……準備、できた?」


俺が声をかけると、玲音はパーカーの袖をぎゅっと握りながら、コクンと頷いた。


「うん。

 ……ちょっと緊張してるけど」


「俺も。

 なんか、背筋が勝手に伸びる」


ふたりで並んで玄関を出る。

黒のニーソにスニーカーを履いた玲音は、いつもより少しだけ背筋を伸ばしていた。

俺も、ジャケットの襟を直しながら、歩幅を合わせる。


役所までは、歩いて15分。

途中、踏切の音が鳴った。

電車が通り過ぎる音が、どこか祝福のように聞こえた。


「……今日って、特別な音が多い気がする

玲音がぽつりと呟く。


「うん。街が、ふたりの記録に混ざってくる感じ」


春の光が、街路樹の葉を透かしていた。

俺たちは、肩を並べて歩いた。

言葉は少なかったけど、音がすべてを語っていた。


役所に着くと、受付の女性がにこやかに対応してくれた。

「ご結婚の届けですね。おめでとうございます」


玲音が、少しだけ頬を赤くして、俺の袖をつまんだ。

「……ありがとう、ございます」


提出の瞬間、俺は玲音の手をそっと握った。

彼女の手は、少しだけ冷たくて、でもちゃんと震えていた。


「これで、ようやく……叶ったんだね」

玲音がぽつりと呟く。


「うん。ずっと言ってたこと、今日、ほんとになった」


「……中学生のときに、プロポーズされた」


「覚えててくれた?」


「もちろん。忘れるわけない」

玲音は少しだけ目を伏せ、それから俺を見上げた。


「奏汰が、“家族になりたい”って言ってくれた日から、私は、ずっと今日を待ってた」


俺たちはかつて、両親の再婚で“兄妹”になった。けれど血はつながっていない。

そのことは、婚姻届けを提出するうえで、何の障害にもならなかった。

法律的にはまったく問題のない、ふつうの結婚――

でも、俺たちにとっては、特別すぎるほど特別な一歩だった。


帰り道。

ふたりはまた肩を並べて歩いた。どちらからともなく、手を繋いでいた。

ただ、その手の温もりには、いつもと違う確かさがあった。


「……これで、ほんとの意味で、夫婦になったんだね」

玲音が少しだけ照れながら言う。


「うん。でも不思議と、変わったようで変わらない気もする」


「うん……でも、すごく安心する」

玲音は笑った。


それは、約束が叶ったときの、少し泣きそうで、でも心からの笑顔だった。


春の風が、ふたりの間を通り抜けていく。

それは、音楽の始まりのような、静かで確かな風だった。

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