――一緒に曲を作ってみませんか
「――で? どうするつもりなんだ?」
翌日の午後。
俺はリビングのテーブルでコーヒーを飲みながら、玲音にそう尋ねた。
玲音はいつものジャージ姿で、床に座ってスマホを見つめている。
Yunoからのメールを、もう5回は読み返していた。
「……“曲、作ってみませんか”って、書いてあるよね」
「うん、まあ、書いてあるな」
「ってことは、“やってみたい”って言っても、変じゃないよね?」
「そりゃ変じゃないけど、玲音、コラボってやったことないだろ?」
「ない。でも、やってみたい。……それだけじゃダメ?」
玲音は、スマホを抱きかかえるようにして、俺の顔をのぞきこんできた。
目はまっすぐで、ごまかす気ゼロだった。
「ダメじゃないよ。むしろ、そっちのほうが玲音っぽい」
「ふふん。でしょ?」
なぜかドヤ顔。
そのまま勢いでスマホを取り出して、返信を打ち始める。
打鍵音が妙に早い。さっきまで5回も読み返してたとは思えない。
「……送った」
「早っ!」
「わたし、即レス系女子だから」
「自分で言うな」
それから1時間後。
またしても早朝みたいなタイミングで、Yunoから返事が来た。
『ぜひやりましょう!
作りかけの曲がひとつあって。
メロディも歌詞も未完成なんだけど、
よかったら、それに“声”をのせてもらえたら嬉しいです。
ファイル添付してます。気が向いたら聴いてみてください。
Yuno』
玲音は、再生ボタンを押すと、イヤホンを半分だけ俺に貸してきた。
相変わらず、遠慮という概念がない。
「……聴いてみよ?」
「はいはい」
流れてきたのは、静かでやさしい旋律だった。
ハモンド・オルガンが、ゆったりとしたコードを刻む。
少しだけうねるような音の揺れが、空気にグルーヴを生む。
構成はシンプルなのに、音の隙間に何かが引っかかる。
懐かしさとも、切なさともつかない感情が、胸の奥で静かに揺れた。
「……いい曲だな」
「うん。ちゃんと最後まで聴きたくなる」
曲は、2分ちょっとで止まった。
歌詞はなし。
だけど、メロディの途中に空白があって――“ここに声が入るんだろうな”ってわかる作りだった。
「玲音、どうする?」
「やる。やるよ、これは」
「じゃあ、仮歌入れて送ってみる?」
「ううん。どうせなら、ちゃんと歌詞つけたい」
「マジか」
「ちゃんと返したいもん。わたしの“ことば”で」
言い切ったあと、玲音はソファから立ち上がって、自分の部屋に向かった。
ドアを開ける直前に、ちょっとだけ振り返って言った。
「……手伝ってくれる?」
「最初からそのつもりだよ」
玲音はにっこりと笑った。
そして、ドアを閉める音がした。
数時間後。
部屋から聞こえてきたのは、打鍵音と、口ずさむようなメロディ。
ときどき、「ちがうな……」というつぶやきが壁越しに聞こえる。
俺はリビングでコーヒーを淹れながら、心の中でつぶやいた。
――“声”と“ことば”が、やっと玲音の中でつながってきたんだな。
これまで、玲音は音だけで何かを伝えてきた。
それが今、“誰かと一緒に”届けるための“言葉”になろうとしている。
たぶんこの曲は――
玲音にとって、最初の“ラブレター”みたいなものになる。
それが、ちょっとだけうらやましかった。
その夜、玲音はノートPCを抱えてリビングに現れた。
真顔。これは本気の顔。
「できた」
「歌詞?」
「うん。自信ある。……見て?」
彼女が見せてきた画面には、こう書かれていた。
ふたりで見た夢が
声を持ったみたいに
呼びかけてくる
わたしはそれに、ちゃんと応えたい
俺は、言葉の中にあのメロディを思い浮かべた。
悪くない。どころじゃない。
すごく、いい。
「これ、Yunoが読んだら……多分、笑うぞ」
「そっか。……なら、送る」
玲音はもう一度うなずいて、メールを送信した。
夜の終わり、送信完了の通知が鳴った。
そして、始まりの音も、静かに鳴り始めていた。