未来の声、ふたりで
夜のスタジオ。
窓の外には、街の灯りが点々と瞬いていて、春の夜風がビルの隙間を抜けていく音が、かすかに聞こえていた。
白い蛍光灯の下、ホワイトボードには何度も消して書き直したコード進行のメモが残っている。
その上に、小さく——でも、真ん中に置かれたように感じる——『未来の声』という仮タイトル。
ローズ・ピアノの前に玲音が座る。
ローズは、金属音叉の振動を電気的に増幅して鳴らすエレクトリックピアノで、
その音色はアコースティックピアノよりも柔らかく、どこか曖昧で、
静かな空間にそっと寄り添うように響く。
玲音の指先が、祈るように鍵盤に触れた瞬間、音が空気に染み込むように広がっていく。
俺は隣で、オープンEチューニングにしたレスポールを抱え、足元でテンポを刻む。
レスポールは、重厚なボディと太く粘りのある音が特徴のエレキギターで、ロックを中心に多くのギタリストに愛されている。
オープンEチューニングはスライド奏法に適している。
指にはめた金属製のスライドバーを弦の上で滑らせることで、音程が連続的に変化し、
まるで声のように揺れる、情感豊かな音が生まれる。
言葉よりも確かなものが、ふたりの間に流れていた。
音楽のリズム。俺たちの“今”そのもの。
「……この曲、春のはじまりって感じにしたい」
玲音の声は静かで、でも芯があって、まるで春の精みたいだった。
「うん。進学して、生活が変わって……でも、音楽は変わらない。
そんな“今”を、ちゃんと音にしたいよな」
俺はギターをポロンと爪弾きながら答えた。
しばらく沈黙が続いた。
でもそれは、気まずさでも迷いでもなくて、
ふたりが今の気持ちを音にしようとする、静かな集中の時間だった。
「タイトル、“未来の声”って、どう思う?」
玲音がそっと尋ねる。
俺はすぐに頷いた。
「すごくいいと思う。……玲音の声って、未来に向かってる感じがするから」
玲音は少しだけ頬を赤らめて、でも目をそらさずに俺を見て、ふっと笑った。
「……じゃあ、わたしの声で始まる曲にしようかな。
ローズのイントロのあと、静かに歌い出す感じで」
「いいね。ギターは、少しだけ後ろで支える感じにするよ。
玲音の声が、ちゃんと届くように」
俺たちはホワイトボードの前に並んで立ち、Aメロ、Bメロ、サビの構成を組み立てていく。
コード進行を何度も試して、メロディに言葉を乗せてみる。
Aメロは、春の光。
やわらかくて、やさしくて、でも少し眩しい。
Bメロは、ほんの少しの不安。
変わっていく日常、すれ違いそうになる時間。
サビは——ふたりの決意。
それでも、つながっていくことを信じる強さ。
「進学って、ゴールじゃないよね」
玲音がぽつりと言った。
「うん。新しいスタート。
俺たちの音楽も、ここからまた始まる」
俺の声は、自然と優しくなっていた。
「創作が、わたしたちをつなぎ続ける」
玲音のその言葉は、ローズの音よりもずっと深く、胸に響いた。
「この曲、完成したら、配信しよう」
俺は決意するように言った。
「“未来の声”ってタイトルで、春に届ける」
「うん。わたしたちの“今”を、ちゃんと残したい」
玲音が、まっすぐに応えてくれた。
もう、視線を交わさなくても、同じ未来を見ている気がした。
スタジオの空気は静かで——でも確かに熱を帯びていた。
不安も、希望も、願いも、全部この空間に詰まっている。
ふたりの音が、未来を描いていく。
ローズのメロディに、俺のギターが優しく重なって、
まるで春の夜風が、部屋の中まで吹き込んできたかのようだった。
玲音の声が、鍵盤とともにそっと流れ出す。
それは、確かに“未来の声”だった。
迷いも、躊躇も、涙さえも、すべて肯定するような、あたたかくて透明な声。
——進学はゴールじゃない。
——創作は、ふたりの絆の証。
その夜、スタジオには、春の音と、新しい未来の光が生まれようとしていた。
「未来の声」は、ただの曲じゃない。
俺たちが、これからも共に歩いていくための、約束のような歌だった。




