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週末のスタジオ

週末の午後。

スタジオの窓から差し込む春の光が、床に柔らかな模様を描いていた。

淡くけぶるような光の粒が、どこかぼんやりしていて、季節が変わりつつあるのを空気ごと告げている。


ローズ・ピアノの上には、玲音のノートとタブレットが無造作に広げられていた。

ローズは、金属音叉の振動を電気的に増幅して鳴らすエレクトリックピアノで、

その音色はアコースティックピアノよりも柔らかく、どこか曖昧で、

空間に溶け込むように響く。玲音が触れると、その音はまるで春の風のように、静かに心を撫でてくる。


楽曲制作モードの玲音は、軽くまとめた髪に、例の“学生っぽい”カーディガン姿。ふわっとしたプリーツスカート。

それを見るたび、奏汰の脳裏には“目のやり場に困る”という文字がフラッシュする。

にもかかわらず、当の本人はまったく、脚を組み替えたり、ローズをいじったりしているのだから、なかなかの確信犯だ。


「大学、どう?」

玲音がふいに聞いてきた。目はまだタブレットの画面を追っている。


「面白いよ」

奏汰はレスポールの弦を張り替えながら答える。

レスポールは、重厚なボディと太く粘りのある音が特徴のエレキギターで、ロックの定番として多くのギタリストに愛されている。

その存在感は、音だけでなく、手にしたときの重みからも伝わってくる。


「文学の講義で、“物語の始まりには必ず違和感がある”って言われてさ。それ、音楽にも通じる気がしてる」


玲音は、ふむ……と鼻の奥で音を立てながら、ローズの鍵盤に指を置いた。

「違和感、か。……わたし、通信制の登校日、まだちょっと緊張するよ。教室の空気、静かすぎるんだよね。たまに誰かのペンの音だけ響いてると、“ここにいて大丈夫かな”って不安になる」


奏汰は弦を弾きながら、彼女の横顔を見る。


「でも、スタジオに来ると、全部リセットされる感じ。……なんか、変だよね」


「変じゃない。ここは、ふたりの“ホーム”だからな」


玲音は、口元だけで笑った。


しばらく、ふたりは黙ってノートを眺めた。

手書きのメロディ、進行中のコード、歌詞の断片。

それらが、少しずつ音楽に変わっていくのが、何より楽しかった。


「テーマ、“春”と“変化”でいいよね?」

奏汰が確認すると、玲音は小さくうなずいた。


「春って……ほら、進級とか入学とか、環境の変化が大きいじゃない。だから、明るいだけじゃなくて、どこか不安定で、揺らいでて」


「わかる。だから、コードもメジャーをベースにして、時々マイナー混ぜていこう。キラッとしてるけど、ちょっと切ないやつ」


「うん、それがいい」


玲音は真剣な表情でローズの鍵盤をなぞる。

しかしその動きで、スカートの裾がふわりと浮いて――


「……高校生になっても、音楽はやめない」

玲音の声が、不意に現実に引き戻してくれる。

「むしろ、もっと届けたい。もっと、わたしの音を聴いてほしい」


奏汰は、オープンEチューニングにしたレスポールを構え、スライドバーを指にはめたまま少し息を吸い込んだ。

オープンEチューニングはスライド奏法に適している。

金属製のバーを弦の上で滑らせることで、音程が連続的に変化し、

まるで声のように揺れる、情感豊かな音が生まれる。


その瞳には迷いがなかった。


「その気持ちがあれば、絶対に届くよ」

それが、彼の本音だった。


そして、音が重なっていく。

ローズの透明なメロディに、奏汰のレスポールが加わる。

それはまるで、春の光がゆっくりと室内に満ちていくような、穏やかで、でも確かに進んでいく音だった。


「週末は、変わらずスタジオで」

玲音がぽつりとつぶやいた。


「それが、俺たちの“日常”だな」

奏汰が応える。


ふたりの時間は、少しずつ、新しい“日常”に形を変えていく。

でも、音楽だけは変わらない。

週末の午後、春の光の中で、音楽がまたふたりをつないでいた。

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