春の制服
春の風が、スタジオの窓をやさしく揺らしていた。
まだ肌寒さの残る午後。
玲音は、新しく届いたカーディガンをそっと羽織り、ゆっくりと鏡の前に立った。
「……これ、衣裳部屋で見つけたの」
ローズの前で、玲音が言った。
「制服じゃないけど、ちょっと“高校生っぽい”感じにしたくて」
淡いグレーのカーディガンに、白いブラウス。
その下のプリーツスカートがふわりと揺れるたび、
ほんの一瞬、太ももが光にさらされる。
奏汰は、レスポールの弦を張り替える手を止め、
ちらりと玲音に目をやった。
視線は、無意識に、そのスカートの裾から脚のラインへと吸い寄せられていた。
レスポールは、重厚なボディと太く粘りのある音が特徴のエレキギター。
ロックの定番として多くのギタリストに愛されていて、その存在感は、音だけでなく、手にしたときの重みからも伝わってくる。
「……似合ってるよ」
玲音は、目を伏せたまま、頬にうっすらと赤みを浮かべた。
「ほんと?」
「うん。なんか、“春”って感じがする」
その言葉に、玲音の指先が、カーディガンの前をぎゅっと握る。
「制服ないし、登校も週に1~2回だけだけど……
それでも、ちゃんと“高校生”になった気がするの」
「俺も、大学は私服だけど、雰囲気が全然違う。
なんか、生活が変わるって実感してる」
玲音は鏡越しに奏汰を見た。
その視線は、まるで問いかけるように、まっすぐだった。
「……変わるの、ちょっと怖いけど、楽しみでもある」
沈黙が落ちた。
けれど、それは決して重いものではなかった。
どこか、期待と戸惑いが入り混じった、柔らかな間だった。
「奏汰は、大学で何を学びたいの?」
「文学。物語の構造とか、言葉の力とか。
音楽と組み合わせて、もっと深い作品を作りたい」
「……わたしも、もっと音楽を勉強したい。
今までは感覚だけで作ってたけど、理論とか、ちゃんと知りたい」
玲音がローズの鍵盤に指を置いた。
その瞬間、カーディガンの袖が滑り落ち、繊細な手首の肌が覗いた。
奏汰の視線が、そこにふと吸い寄せられる。
「春から、週末はどうする?」
玲音が、小さく問う。
「もちろん、スタジオで創作。変わらずに」
「じゃあ、春の一曲、作ろうよ。“新生活”をテーマにして」
「いいね。タイトルは……“はじまりの音”とか?」
「それ、いいかも」
ふたりの距離は、鍵盤とギターの間だけ。
けれど、今はその隙間が、やけに近く感じられた。
玲音の指が、柔らかく鍵盤に触れる。
奏汰の手が、弦を鳴らす。
重なる音。
そして、それ以上に、重なろうとする気配。
ふと、玲音が声を落とす。
「……奏汰、さっきからちょっと、目が熱いよ」
「……玲音のせいだよ」
そのやりとりは、音楽のようだった。
ひとつの旋律が、もうひとつの旋律を誘い、絡み合う。
手が触れそうで、触れない。
音が重なるたびに、ふたりの呼吸が近づく。
その瞬間、スタジオに、春の光が差し込んだ。
玲音の髪が揺れ、カーディガンの裾が風にふわりと舞った。
「制服はなくても、ふたりには“創作”という共通のスタイルがある」
奏汰の心の中に、そんな言葉が浮かぶ。
——春は、ふたりの音がまたひとつ、深くなる季節。
やがて鍵盤から手を離した玲音が、奏汰の肩にそっと寄りかかった。
「ねえ……“はじまりの音”って、
今日のこの気持ちも、入れていい?」
奏汰は答えず、ただ優しくうなずいた。
その午後、スタジオには、
春のはじまりと、ふたりの熱が溶け合ったような音が、
静かに、けれど確かに、響いていた。




