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合格発表

春の気配が、まだ遠くにある朝。

冷たい空気が肌を撫でるように通り過ぎていく。

雲ひとつない空には、透きとおるような光が差していた。

それはまるで、季節の境目を静かに告げる合図のようだった。


スタジオの中は、いつもと違う空気に包まれていた。

機材の音も、誰かの足音も、今日はなぜか控えめで、張りつめていた。

まるで、音楽さえも息を潜めて、ふたりの時間を見守っているようだった。


ローズ・ピアノの上には、ふたつのスマートフォンが並んでいる。

ローズは、金属音叉の振動を電気的に増幅して鳴らすエレクトリックピアノで、

その音色は、アコースティックピアノよりも柔らかく、どこか曖昧で、

静寂の中にそっと灯るような響きを持っている。


何度も確認した画面。通知はまだ、来ていない。

その沈黙が、期待と不安を同時に膨らませていた。


玲音と奏汰は、肩が触れそうな距離で座っていた。

言葉はなかった。でも、それは逃げるような沈黙ではない。

むしろ、ふたりが同じ方向を見ていることを、静かに証明するものだった。


「……見る?」

奏汰が、そっと言う。

玲音は、小さく頷いた。目は画面を見つめたまま、でもその瞳は揺れていた。


「せーので、開こう」

「うん……せーの」


画面をタップした指先が、同時に震えた。

その瞬間、時間が止まったように感じた。

時計の音も、外の鳥の声も、すべて遠ざかる。

ただ、心臓の音だけが、確かにそこにあった。


「……合格」

玲音の声は、震えていた。でも、強かった。

その言葉には、これまでの努力と、これからの希望が込められていた。


「俺も」

奏汰は、口元を少し歪めて、笑った。

その目には、涙の光が浮かんでいた。

ふたりは顔を見合わせて——

そして、一拍遅れて、笑い合った。

まるで、音楽のフィナーレのように、完璧な和音がそこにあった。


「これで、ちゃんと“学生”になれる」

玲音の言葉には、安堵と誇らしさと、ほんの少しの不安が混ざっていた。

それでも、その声は未来を見据えていた。


「高校生と大学生。……不思議な響きだな」

「うん。でも、スタジオは変わらない。音楽は続く」


「進学しても、きっと“いま”よりもっと深く、響く音が作れる気がする」

玲音は、そう言ってローズ・ピアノの鍵盤にそっと手を置いた。

静かな、でも確かな決意が、その指に宿っていた。


奏汰は、オープンEチューニングにしたレスポールを構え、スライドバーを指にはめる。

レスポールは、重厚なボディと太く粘りのある音が特徴のエレキギターで、ロックを中心に多くのギタリストに愛されてきた。

オープンEチューニングは、開放弦だけでEメジャーコードが鳴るように調整されたチューニングで、

スライド奏法に適しており、バーを弦の上で滑らせることで、音程が連続的に変化し、

まるで声のように揺れる、情感豊かな音を生み出す。


まるで、その瞬間を永遠に焼きつけるかのように、奏汰はゆっくりと弦に触れた。

そして——音が、生まれた。

ふたりの新しい季節の、最初の音だった。


「……奏汰」

「ん?」


「ありがとう。ここまで、ずっと隣にいてくれて」

玲音の声は、少しだけ震えていた。でも、真っ直ぐだった。


「こっちこそ。玲音がいたから、ここまで来られた」

奏汰の言葉には、感謝と絆が込められていた。


目を合わせる。

ふたりの視線が交差するその瞬間、

スタジオの空気が確かに変わった。

未来の匂いがした。


——進学は、ゴールじゃない。

——ふたりで未来を創るための、始まりの音。


その朝、スタジオには、春の光よりも眩しい、

ふたりの“決意”が響いていた。

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