――“Yuno”って、どんな人?
その夜、玲音はずっとスマホの画面とにらめっこしていた。
メールの下書き画面。件名はあるけど、本文は空白のまま。
俺はリビングで資料をまとめながら、気になって隣をちらっと見た。
「……まだ書けてないのか?」
「書こうとはしてる」
「さっきから同じ画面開いたままだぞ」
「だから、考えてるんだってば」
玲音はふてくされたように言って、スマホをぎゅっと握った。
それから、ぽつりと。
「“あのときのこと?”って、聞いてもいいと思う?」
俺は少し考えてから答えた。
「いいんじゃないか。向こうはそれっぽいこと書いてたし、気になるなら聞けば」
「……うん」
玲音は視線を落として、小さく息を吐いた。
ほんの少しだけ迷いが見えたけど、逃げようとはしていなかった。
「わたし、たぶんYunoのこと……」
「どんな人なんだ?」
「……なんとなく、居心地よかった。
よくわかんないけど……話してると、自分が透けて見える気がして。
……それが、ちょっとだけこわかった」
玲音はそう言って、指先でスマホのフレームをなぞった。
「だからって、そのままにしてたのは……わたしの責任だと思う。
なのに、あの人は今日、ああやってメッセージをくれて……」
「だったら、今度は玲音の番だな」
「……うん」
やっと、玲音は画面に向かって指を動かし始めた。
深夜1時すぎ。
玲音はリビングのソファで小さく伸びをした。
「書いた。……送った」
「そっか」
俺はそれ以上、なにも言わなかった。
送信音がひとつ、空気の中で響いて、それきり。
玲音はスマホを見つめたまま、ほっとしたように小さく笑った。
翌朝。
俺がコーヒーを淹れていると、玲音が寝ぐせのまま飛び込んできた。
「来た! 返事!」
「え、もう?」
「今朝の5時半。早すぎない!?」
「ってことは、向こうも送信通知すぐ見て……」
「うん、多分リアルタイムだった。寝てなかったんじゃないかな」
玲音はスマホを抱えながら、画面を俺に差し出した。
メールの本文が表示されていた。
『メールありがとう。
あなたが返事をやめたとき、少しさみしかったけど、
そのあと、また君の曲に出会って。
言葉の選び方も、音の作り方も、
名前がなくても“君”だって、すぐにわかりました。
だから、こうしてまた話せて嬉しいです。
わたし、いまでも音楽を作っています。
ひとりで、こっそりだけど。
もしよかったら、いつか一緒に何か作ってみませんか。
Yuno』
読み終わった玲音は、スマホをぎゅっと胸に抱いた。
「ちゃんと届いてたんだろ。玲音の音楽が」
「そっか。わたし、うまく伝えられなかったけど……
音は、届くんだね」
それは、玲音にとっての“自信”だった。
どんな形であれ、過去の自分と向き合って、返事を受け取れたこと――
それが彼女の中の何かを変えていた。
「……この人と、曲、作ってみたいかも」
ぽつりとこぼれたその声には、迷いがなかった。
Yunoは、玲音の過去を思い出させる存在だった。
でもそれ以上に――これから先の“音”を、一緒に作れるかもしれない誰かだった。
玲音はもう、ただ“歌うだけ”じゃない。
“誰かと一緒に音を作ること”を、ちゃんと望めるようになっていた。
それが、俺にはちょっとだけ誇らしかった。