推薦と一般
スタジオの窓から差し込む光は、まるで氷のように透き通っていた。
空気は張り詰め、息をするだけで肺の奥まで冷たさが届く。
ローズ・ピアノの上には、ふたつの受験票が並んでいる。
ひとつは、奏汰の“推薦”入試。
もうひとつは、玲音の“一般”入試。
まるで、ふたりの進む道がそこに並べられているようだった。
ローズは、金属音叉の振動を電気的に増幅して鳴らすエレクトリックピアノ。
その音色は、アコースティックピアノよりも柔らかく、どこか曖昧で、
静かな空間にそっと寄り添うように響く。
「……いよいよだね」
玲音の声は小さく、それでも確かに空間を震わせた。
指先が受験票に触れそうで、触れない。その距離に、葛藤が滲む。
「うん」
奏汰は、緊張を隠すように、オープンEにチューニングしたレスポールの弦をひとつ撫でた。
レスポールは、重厚なボディと太く粘りのある音が特徴のエレキギター。
オープンEチューニングは、開放弦だけでEメジャーコードが鳴るように調整されたチューニングで、
スライド奏法に適しており、コードの響きを滑らかに変化させることができる。
乾いた音がスタジオに落ちる。ふたりだけの静寂が、揺れる。
「推薦って、面接とかあるんでしょ? 緊張しない?」
「そりゃ、しないって言えば嘘になる。でも……面接練習、玲音としてたしな」
「ふふ。あれ、面接っていうより、ほとんどコントだったけど」
二人の笑いが、張り詰めた空気を少しだけやわらげる。
だけど、その笑顔の奥には、確かに“怖さ”があった。
ドアが、ギイと軋んだ音を立てて開く。
ルナが、白い息を吐きながら入ってきた。マフラーの赤が、冬のなかでやけに鮮やかだった。
「お、そろったわね、受験票。いよいよって感じ」
ローズの前に立ち、ふたりの顔を交互に見つめる。
彼女の視線は、冗談半分、真剣半分。その絶妙なバランスが、ふたりの背筋を自然と伸ばす。
「玲音、一般で行くって聞いたけど……ほんとに大丈夫?」
「うん。自分の音で勝負したい」
玲音の言葉は静かだった。でもその中には、切実な願いがあった。
誰かの期待でも、システムの都合でもない。自分自身で、切り拓く未来を選びたい。
「かっこいいじゃん」
ルナがそう言ったとき、彼女の声が少しだけ震えていたことに、奏汰は気づいていた。
それは、自分もかつて“怖さ”と闘った者にしか出せない声だった。
「奏汰は推薦なんだよね?」
「うん。文学部で創作を学びたい。音楽だけじゃなくて、物語も書いていきたいと思ってる」
「ふーん……じゃあ、将来は“物語る人”になるのね。音でも、言葉でも」
そのとき、スタジオの奥から足音が近づいてきた。
黒いコート、赤いマフラー。冬の街角から切り取られたような姿で、小町が現れる。
「推薦でも、一般でも、受験は受験。どっちも本番」
そう言って、彼女はローズの鍵盤にそっと手を置く。
それはまるで、言葉より先に“音”で背中を押すような仕草だった。
「音楽やってる人ってさ、本番に強いじゃん。ステージに立つと、いつもの100倍の力、出せるって思うんだよね」
「……たしかに。面接も、ステージだと思えばいいのか」
奏汰がつぶやくと、小町は頷いた。
「そう。音楽は、その人の“核”だから。どんな場所でも、それは嘘つかない」
玲音は、もう一度、受験票に目を落とした。
その紙はただの紙切れじゃない。
“未来へ進む”という決意の証だった。
「……推薦でも、一般でも、私は私の音で、未来を開く」
その言葉に、空気が変わった。
目に見えない“炎”が、スタジオの奥で静かに灯るようだった。
奏汰が、ギターのコードを鳴らした。
玲音が、それに応えるようにローズの鍵盤を叩いた。
それは、音で交わす決意表明。
迷いや不安を含んだ、でも確かに前を向いた、彼らだけの“出陣の音”だった。
——進学は、選択の連続。
——でも、音楽は、彼らの変わらない軸。
その日、スタジオには、誰にも壊せない静かな闘志が、確かに響いていた。




