年越しセッション
12月31日、大晦日。
スタジオの時計は、23時を指そうとしていた。
外はびゅうびゅう風が吹いて寒かったが、スタジオの中は妙に蒸し暑い。
ローズ・ピアノの音が空間を満たすたび、なぜか服の中がムズムズする。
ローズは、金属音叉の振動を電気的に増幅して鳴らすエレクトリックピアノ。
その音色は、アコースティックピアノよりも柔らかく、どこか曖昧で、
触れた瞬間に空気を揺らすような、艶やかで繊細な響きを持っている。
玲音の指が鍵盤をなぞるたび、そんな艶めかしい音が生まれ、
奏汰のスライドギターがそれにぴったりと寄り添う。というか、物理的にも寄り添いすぎ。
スライド奏法は、指にはめた金属製のバーを弦の上で滑らせて音程を変える奏法で、
音はまるで声のように揺れ、感情の余韻を引きずるように響く。
「……今年もいろいろあったね」
玲音がぽつりとつぶやいた。
「うん。進路のこと、音楽のこと……あと、玲音が俺のベッドで寝落ちしてた回数とか」
「それは言わない約束!」
玲音が真っ赤になって抗議する。
「いやー、でもあの“すやすや顔”で『あーん』って言ってたの、ヤバかった」
「だからそれ夢の中の話〜〜〜!」
スタジオに、ローズの甘い音と、玲音のうめき声と、ふたりの笑い声が混ざりあう。
「でもさ……」
玲音がしんみりと鍵盤に指を這わせながら言う。
「去年の今ごろは、まだ男子と話すだけで過呼吸起こしかけてたのに……」
「今じゃ、俺の前で平気でブラのホック外すまでに進化した」
「うわああああそれは違うの! あれは汗かいてて、Tシャツの中でちょっとだけ——」
「うん、でも俺見たし。チラっと。」
「ちょ、チラ見禁止って書いてあるでしょ!! 心の掟に!」
「そもそも玲音、Tシャツめくって『ホックどこいった!?』って叫んでたよな」
スタジオ内、腹筋崩壊。
「……来年は、もっと音楽で勝負したい」
玲音が真顔に戻る。いきなりまじめになるのずるい。
「外に出て、音を拾って、自分の言葉で曲を作って……
もっと、わたしの音を届けたい」
「それ、すごくいい目標だと思う」
奏汰はギターを止め、玲音の隣にすっと座る。
「俺も、大学で創作を学びながら、音楽を続けたい。玲音と一緒に、もっと深い——」
「“深い”って、どこまで?」
玲音が急に笑いながら小声で囁いた。
「えっ、あ、いや、その……」
奏汰の声が裏返った。
「冗談。でも……ちょっと期待してもいいよ」
玲音はいたずらっぽく笑いながら、奏汰の膝の上に座る。
(え? え??)
「……カウントダウン、そろそろだよ」
玲音がスマホをちらっと見せる。
「じゃあ、最後にもう一曲、やろっか」
奏汰はなんとか平静を装って立ち上がるが、足が震えている。物理的に。
ふたりは、今年最後のセッションを始めた。
コードとメロディが重なり、音と、体温と、謎のテンションが空間を満たしていく。
——5、4、3、2、1。
「……あけましておめでとう」
玲音が、上目遣いで言った。
「お、おめでとう。今年も、よろしく……えっと」
奏汰が言うと、玲音は突然立ち上がり——
「新年初・間接キス、いきまーす」
スタジオの机に置かれた500mlペットボトルの水を、玲音がごくごく飲み、
そのまま奏汰に差し出す。
「は、はい……え、これって、ほぼキスじゃん……」
「ちがうよ、"ほぼ"じゃなくて、気持ち的には100%!」
「え、ええ〜〜〜〜」
その夜、スタジオには、ふたりの決意と、はしたない笑い声が響いていた。
年越しのセッションは、未来への第一歩……というか、すでに脱線しはじめていた。




