――はじめての“ファン”
ライブが終わったのは、午前11時すぎだった。
配信終了と同時に、タイムラインはまるで花火のようにコメントで埋まった。
視聴者数:同時接続で5万6千。
トレンド入り:世界10位、国内2位。
#リリカル声出し初披露
#リリカル=玲音説
開演15分後には、すでにネット中がざわついていた。
誰もが口にしていたのは、あの声。
そして、正体。
「“あの曲”を歌ってたのって、あの子だったのか……」
そんな驚きが、世界中を駆け巡った。
俺は、配信機材を片づけながらリビングの壁に背中を預けた。
スマホの通知は止まらない。
大手音楽メディア、SNSのインフルエンサー、有名Vocaloidプロデューサー、果ては海外の批評家までが、
「リリカルの正体」と「初ライブの完成度」について言及していた。
それをひとつひとつ確認するのは――ある意味、俺の仕事だった。
でも、いまは。
いまだけは、画面の向こうより、すぐ隣のことを優先したかった。
玲音は、自室で静かにベッドに腰かけていた。
衣装は脱ぎ、普段のスウェットに戻っている。
メイクも落とし、表情もいつも通り……に見えた。
「……配信、見直した?」
「うん。三回目」
「マジか」
「三回見ても……やっぱり、声が震えてた。
でも、最後まで歌えたのは――兄さんがいたから、だと思う」
「俺はただの裏方。あれは、玲音のステージだったよ」
玲音は、ちょっとだけ黙ってから、言った。
「ありがとう、って言っていいかな」
「もちろん」
「……ありがとう」
その言葉は、まっすぐで、優しかった。
彼女が“他人に伝えるため”に声を使ったのは、もしかしたら――これが初めてかもしれない。
夕方になって、メールフォームに寄せられたファンメッセージの数は1万を超えていた。
そのうちの1通――たったひとつだけ、玲音が声を出して読んだものがあった。
それは、こう始まっていた。
『君はずっと、ここにいたんだ。
言葉が途切れても、姿が見えなくなっても、君を忘れたことなんてなかった。
あのとき、君が静かに手放した言葉。
それを、そっと胸にしまったまま、ずっと待ってた。
無理に追いかけなかったのは、君の時間を信じていたから。
そして今日、君の声と歌が届いた。
まるで、あの「またね」の続きを、君がちゃんと届けてくれたみたいで。
ありがとう。
君の描く世界は、誰にも真似できない。
その光も、影も、全部が君らしくて、私はそれが大好きなんだ。
これからも、君の物語が続いていくなら、私はその隅っこで、そっと見守ってる。
いつかまた、君が「ただいま」って言ってくれる日を、楽しみにしてるね。
Yunoより』
玲音は、読み終えたあと、ずっと黙っていた。
「……わかる?」
俺の問いに、玲音は小さくうなずいた。
「うん。でも、こわい。
“またね”のあと、ずっと沈黙してたのは、わたしのほうだから」
「だけど、……“聴いてた”んだろ?
ずっと、リリカルの音楽を」
玲音は、しばらく考えてから、ノートPCを開いた。
画面には、今日のライブのコメントが流れている。
そのなかに、確かに――
Yunoというアカウント名がいくつも、あった。
『やっぱり、君だったんだね』
『信じてたよ』
『また声が聴けてうれしい』
玲音は、ゆっくりと深呼吸をしてから、静かに言った。
「……返事、書く。今度は、ちゃんと」
その背中は、ほんの少しだけ震えていたけれど、
今までのどの瞬間よりも、まっすぐだった。
ライブの余韻は、まだ消えない。
だけど、玲音はもう次の音を探し始めている。
“リリカル”としてじゃなく、
玲音という名前を、声に出していいと思える自分として。
きっとそれは、音楽を作っていく上で、はじまりの一歩。
そして――あの日、途切れてしまった「ことば」の続きを、
ようやく、奏で始める準備ができたのだ。