“世界妹”が始まった
日曜の夕方。
SNSのタイムラインが、ゆっくりと熱を帯びはじめていた。
最初に動いたのは、『世界妹』公式アカウントの投稿だった。
TVアニメ『世界妹』第1弾PV公開!
主題歌アーティスト発表
主題歌 「名前を呼んで」
作詞・作曲 リリカル・ノイズ
アーティスト リリカル・ノイズ
玲音はスマホを持つ手を止めたまま、声も出せずに固まった。
「……出た、よ」
隣でギターを片づけていた奏汰も、画面をのぞき込んで言った。
「……決まったんだね」
その表示はまぎれもない現実だった。
自分たちが、主題歌を担当する。あの『世界妹』の。
「“妹”って言葉、一度も入れてないのに、選んでもらえたなんて……」
「むしろ、だからこそだと思う」
PVには、主人公の兄が、“妹”に呼びかけようとして──届かないシーンが描かれていた。
その映像に、ふたりの音が重なる。
玲音が奏でるのはローズ・ピアノ。
金属音叉の振動を電気的に増幅して鳴らすこのエレクトリックピアノは、アコースティックピアノよりも柔らかく、どこか曖昧で、ためらいのような感情を音に宿す。
その旋律は、ひと呼吸ごとの迷いを映すように、静かに空気を揺らしていた。
サビでようやく、心の奥に隠していた「名前」がこぼれる。
「……ほんとに、届いたんだね。この気持ち」
玲音の目元が、じんわりと熱を帯びていた。
それを見て、奏汰は小さくうなずいた。
「玲音が書いた詞だったから、届いたんだと思う」
「……やめてよ。今、泣きそうなのに」
軽く笑って、玲音は目元をごしごしとこすった。
そのとき、玲音のスマホがもう一度震えた。
──DM。
送り主は、小町。
玲音は息をのんで、それを開いた。
『名前を呼んで』、とてもよかった。
“妹”という言葉を使わないことで、かえって兄の孤独が際立っていたと思う。
わたしには書けなかった視点だった。
改めて、おめでとう。
玲音はスマホを胸元で抱きしめるようにして、そっと目を閉じた。
「……やっぱり、小町ちゃんってすごいね」
「ん?」
「なんていうか……音を通して、ちゃんと通じてるのがわかる。
それに、戦った相手に対してこんな言葉をくれるって、ほんとに……」
言葉を探して、見つからず、玲音はただ笑った。
奏汰も、同じように微笑んだ。
「玲音が“負けたくない”って言ったとき、本気だったんだなって、今思うよ」
「うん。でも、それ以上に──“物語を歌いたい”って気持ちが、勝ってた」
数日後、都内で行われた制作陣との顔合わせ。
PV公開後の反響を受けて設けられた打ち合わせの場だった。
まず目に入ったのは、鋭い眼差しの女性。
若くして数々のヒット作を手がけたプロデューサーは、資料を手に、冷静な口調で言った。
「“妹”という言葉を使わずに、ここまで物語を引き出せるとは思わなかった。
あなたたちの曲は、作品の“余白”を埋めるような力がある」
隣には、静かな表情の女性が座っていた。
監督だった。言葉は少ないが、頷きのひとつひとつに重みがあった。
そして、少し遅れて入ってきたのは、ふわりとした服を着た眼鏡の女性。
脚本家だった。手にはコンビニの袋、肩にはスマホゲームの通知音。
「いやー、マジで泣いた。てか、あのサビの入り、ズルいでしょ。
あれで兄の孤独が爆発するの、もう最高。
てかさ、“名前”って、実は“妹”より重いよね?」
玲音は思わず笑ってしまった。
この人たちが、あの作品を作っている。
そして、自分たちの音を、ちゃんと受け止めてくれている。
打ち合わせが終わる頃には、緊張もすっかりほどけていた。
スタジオの空気は静かで、けれど確かな熱を帯びている。
窓の外、空が夕暮れに染まりかけていた。
玲音はローズの鍵盤に手を置いた。
その手が少しだけ震えているのを、奏汰は黙って見守った。
「……怖いけど、ちゃんと向き合いたい」
「うん。一緒に向き合おう。
名前を、まっすぐ、呼べるように」
やがて部屋に、小さな音が鳴り始める。
曲の始まりのように。
もうすぐ、始まる放送のように。
ふたりの物語が、またひとつ、形になっていく。




