この曲しかない
選考通過の知らせが届いて、三日後の午後。
俺と玲音は、駅前のカフェにいた。
俺は資料を開いて、担当のA&Rと打ち合わせの真っ最中。
でも、目の前の玲音は、カップのカフェラテを見つめたまま、まるで時間が止まったみたいに動かない。
少し見える首筋が紅潮していて、たぶん俺よりも緊張してるんだと思う。
「……結論から言うと、委員会はこの曲を“非常に評価”しています。
ただ、もう一組の候補──小町さんの楽曲も好評でして……」
A&Rの言葉に、玲音が小さくうなずいた。
ちょっと震えた声で、「わ、わたしたちの曲も……」とか言ってるけど、気持ちは分かる。
だってこの数週間、寝る間も惜しんで作ったんだ。
俺も彼女も。
「でも、ちゃんと届いたんですよね。俺たちの音が」
玲音の目が、そっと揺れて、それからすっと伏せられた。
その横顔がどこか色っぽくて、目を逸らしそうになった。
ヤバい。こんな場面でドキドキすんなって。
スタジオに戻って、機材を片付けてたとき。
玲音がぽつりと言った。
「……ごめん、あたし、やっぱり怖いかも。
なんか、急に……自信なくなった」
バッグを下ろすその動きで、シャツの裾が少しめくれて、ウエストがちらっと見えた。
俺はギターの弦を張り直すふりをして、そっちを見ないようにする。
けど、意識しないわけがない。
玲音はほんと、無自覚に俺の理性を試してくる。
「いいんじゃない? それで。
不安でも、それでも出したんだろ。
だったら、それでいいよ」
少しして、玲音が微笑んだ。
さっきよりもリラックスしたその笑顔に、俺の心臓が勝手に跳ねる。
「……うん。
だって、あたし、この曲が一番“そばにいてくれる”感じがして……」
“そばにいてくれる”。
それって、どういう意味だよ。
しかも、こっちに歩いてくるときの足音が妙に静かで……すぐ隣に立った玲音の肩が、俺の腕にかすかに触れた。
距離、近すぎじゃない?
意識しないようにしたけど、なんか、あったかいし柔らかいし……やばい。
「奏汰……この曲、あたし、もう誰にも譲りたくないって思っちゃってる。
変かな。なんか、他人に触れられたくないくらい……」
「……変じゃないよ。むしろ、それが本音ってやつだろ?」
ほんとに“誰にも触れられたくない”って、ちょっと過激な表現だと思うけど、俺にだけは、って思ってくれてるとしたら……とか、期待しそうになる。
けど、そんなこと聞けるわけもなくて。
夜、ミレイからのメッセージが届いた。
小町サイドが今夜ボーカル収録、って話。
俺はローズの鍵盤を見つめていた玲音に声をかける。
彼女は、指先を震わせながら、それでも音を出す。
その震えが、音になったとたん、ピタッと静かになるのが不思議だった。
「……怖くても、歌えるんだね。
自分で書いた曲なのに、なんでこんなに緊張するんだろ」
その横顔は、月明かりみたいに優しくて、ちょっと色っぽい。
こんな時間、ふたりきりで、スタジオの照明も落ちてて──
「それだけ、名前をこめたってことだよ」
俺はできるだけ、いつも通りに言った。
でも、心臓はバカみたいに騒がしかった。
この曲しかない。
この気持ちしかない。
だから俺は、玲音の音に重ねた。
ふたりだけの夜、ふたりだけの音を──何度も、何度も。




