審査という名のセッション
昼過ぎのスタジオ──
ローズ・ピアノの前で、玲音が指を組んでいた。
ローズは、金属音叉の振動を電気的に増幅して鳴らすエレクトリックピアノ。
その音色は、アコースティックピアノよりも柔らかく、どこか夢の中のように曖昧で、静かな午後の空気に溶け込むように響く。
すこしだけ上体を丸めた姿勢が色っぽくて、視線の置き場に困る。
俺は隣で、オンラインストレージにデータをアップしていた。
無意識に、彼女の横顔をちらちらと見てしまっている。
「……よし、これで提出用のデータは完成」
PCの画面には、ミックス済みの音源と補足資料のPDF。
歌詞、コンセプト、構成説明──全部、玲音と二人三脚で仕上げたやつだ。
「あと必要なのは……レーベル担当さん宛のメッセージ?」
玲音の声が、いつもより少し柔らかい。
マイク越しじゃない、生の声。
それだけで、ちょっと胸がざわつくのはなぜなんだろう。
「うん。
“データ確認お願いします”って感じの、簡単なやつでいいと思う」
玲音は、こくんと頷いた。
パーカーの袖が手の甲まで落ちていて、なんというか……無防備だ。
そのせいか、少し肌寒そうにも見える。
「……これで、よかったんだよね?」
玲音が、ぽつりとつぶやく。
揺れる声とは裏腹に、目はまっすぐだった。
俺はうなずきながら答える。
「うん。“妹”って言葉は使わずに、その存在を感じさせる。
呼び方に隠れた距離感と、その距離を超えたくなる気持ち。
ぜんぶ、曲に入れたつもりだよ」
「……うん、わたしもそう思う」
玲音がそっと開いたのは『世界妹』の文庫本。
ページをめくる指が細くて、ふと、爪先が目に入る。
透明感のある爪。
それがやけに艶っぽく見えて──
……って、俺はなに見てんだ。落ち着け。
「ねぇ、奏汰」
「ん?」
「“負けたくない”って言ってたけど……ほんとは、“勝ちたい”って気持ちでもないんだよね。
ただ、“この物語を、わたしたちの音で歌いたい”って、それだけで」
玲音の声は静かだった。
でもその熱が、心臓の奥にまっすぐ届いてくる。
「……それが一番強い気持ちだと思う」
玲音と目が合った。
一瞬、言葉が出なかった。
唇が、ほんの少し開いていて。
光の加減できらりと揺れて。
なんだろう。
さっきから、やけに鼓動が早い。
提出するだけの作業だったはずなのに、胸の奥がざわめいて仕方なかった。
その夜、俺はレーベル担当宛に提出メールを送った。
件名は、シンプルにこう書いた。
「『世界妹』主題歌候補楽曲のご提出について」
送信ボタンを押す。
小さく「送信完了」の表示。
けれど──何も終わってなかった。
むしろ、ここからが始まりだった。
それから、三日が過ぎた。
連絡は、ない。
返信も、来ない。
玲音は何度もピアノの鍵盤をなぞっていた。
俺はと言えば、ギターのチューニングばかりしている。
……別に狂ってもないのに。
「……返信、来ないね」
玲音が呟く。
横を見ると、彼女は体育座りみたいに椅子に座っていた。
大きめのTシャツの裾が、太ももぎりぎりまで下がってて……。
見てはいけない気がして、けど見てしまう。
そのたびに、心臓がドラムロールを打つ。
「まだ審査中なんだろ。きっと慎重に選んでるんだよ」
と言いつつ、スマホから手が離せない自分がいた。
ただ、待つだけの時間。
何かしていないと、落ち着かなくて。
期待と不安の合間に、たびたび沈黙が訪れる。
でも、その沈黙さえも心地よかったりするから、厄介だ。
そして、四日目の午後。
スマホに、新着メールの通知。
件名 主題歌選考に関するご連絡
本文 ──『初期選考を通過』。『ご相談したい点がある』。
思わず声が漏れた。
「……通ったんだな」
玲音も、スマホの画面をじっと見つめていた。
「あ……うん。ちゃんと、届いたんだね」
静かな喜びが、胸の奥に広がる。
でも、手のひらは汗ばんでいた。
これが、スタートライン。
ここから先は──もっと、濃くて深くて、たぶん熱い。
玲音と、俺と。
音楽と、物語と。
そして、なによりこの距離感のなかで。
“最後まで寄り添いきる”って、言ったけど──
たぶん俺は、もう、寄り添うだけじゃ済まない気がしてた。




