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提出、その一秒前

提出締切の前日、夜。


スタジオには、俺のスライドリフと、玲音のローズ・ピアノのふわっとしたコードが重なっていた。

ローズは、金属音叉の振動を電気的に増幅して鳴らすエレクトリックピアノ。

その音色は、アコースティックピアノよりも柔らかく、どこか浮遊感があり、空気に溶け込むように響く。


俺のギターはレスポール。

重厚なボディと太く粘りのある音が特徴の、ロックの定番モデルだ。

弦はオープンEチューニング――スライド奏法に適している。

指にはめた金属製のスライドバーを弦の上に滑らせることで、音はまるで声のように揺れ、感情を帯びて響く。


どこか密やかで、なのに心の奥まで染みてくる——そんな音だ。


玲音はノートPCに向かって、録音された仮ミックスを再生しては止め、また再生してた。

肩越しに覗き込むと、Tシャツの襟ぐりが少しゆるんでて、白い首筋がちらっと見える。

……そんなとこばっか、目がいく自分がちょっと情けない。


「……やっぱり、ここ。

2サビ前のブレイク、半拍ずらしてもいい?」


「うん。今の流れだと、ちょっと予定調和すぎるかもな」


俺はギターのネックを押さえたまま、画面を覗き込んだ。

玲音の髪がふわっと揺れて、ふいにシャンプーの匂いがする。

……やば。集中、集中。


それでも、ふたりの作業にムダはなかった。

迷いながらも、呼吸を合わせるみたいに音を形にしていく。


「Aメロの音数、もう少しだけ削ってもいいかも。

 “妹”って言葉を使わずに、その存在を感じさせるには、余白がいるから」


玲音はこくんと頷いて、MIDI鍵盤に指を伸ばした。

その指が、妙に……色っぽい。

ああもう、ダメだって、こんなときに。


アルペジオの一部を削って、リバーブを少し深くかける。

音が空気に溶けていくみたいな響きになった。


「……あ、今の。すごくいい」


玲音が小さく笑って俺を見た。

その笑顔に、鼓動が跳ねた。

……もう、だめ。玲音、反則すぎる。


「たぶん、完成だな。

 ……あとは提出するだけ」


俺がそう言ったとき、玲音の手がふっと止まった。

ディスプレイに映る波形の向こうを見つめてる。


「なんか……不思議。

 今まででいちばん、この曲が遠くに感じる」


「遠く?」


「うん。

 自分たちで作ったのに、他人のものになっちゃうような……そんな感覚。

 わたしたち、今までって“自分のために”音楽作ってたのかも」


俺は椅子に深く腰を下ろして、ちょっと息を吐いた。


「でも、今回は違う。

 物語のために、誰かの祈りのために、名前のために」


「……うん。ほんとに、そう」


玲音は、そっとマイクのスイッチを入れた。

その瞬間、背筋がゾクッとした。

横顔に、何か決意みたいなものが宿ってた。


「1テイクだけ、録らせて」


「わかった。

 ……ラストバージョン、いこう」


伴奏が流れる。

玲音の声が、静かに重なっていく。

甘く、切なく、そしてどこか熱っぽく——。


ただの録音じゃなかった。

過去の迷いも、不安も、全部ひっくるめて、抱きしめるみたいな祈り。


──そして、最後のサビ。


「――奏汰、って」


え?


マイク越しに、名前が呼ばれた。

それは歌詞じゃなかった。

でも、確かに音楽の中で、俺にだけ届いた。


心臓が跳ねた。


……兄さん、じゃないんだ。


曲が止まる。

玲音が、恥ずかしそうにマイクを外した。


「……ごめん。ちょっと、気持ちが入りすぎたかも」


「いや、すごくよかった。……いまので、提出しよう」


俺がそう言うと、玲音はゆっくりうなずいた。

少し赤くなった頬が、無性に愛おしい。


あとは、提出するだけ。


クラウドストレージのフォルダを開く。

URLとファイル名、全部チェック済み。


玲音がファイルをドラッグ&ドロップする。

進捗バーが伸びていく。

俺たちは肩を並べて、それを見つめた。


指がマウスに触れて、ほんの少し重なる。

玲音の体温が、じんわり伝わる。


「提出……その一秒前、だね」


「うん」


息が詰まる。

心臓が、耳のすぐ後ろで鳴ってるみたいだった。


玲音が、すうっと息を吸った。


そして、クリック。


音楽が、俺たちの手を離れて、飛んでいった——。

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