表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/90

“妹”という祈り

玲音の声が、スタジオの空気を震わせた。

「──兄さん」


それは、たしかに音になっていたのに、旋律のように儚く、ふれた瞬間、ほどけてしまいそうだった。

奏汰は、目を閉じて、その言葉の余韻に耳を澄ませる。

音符にするなら、どこに置こう。

どうすれば、あの一言を聴く人の胸に残せるだろう。


「いまの、録っておく?」


「……やだ。これは、デモじゃなくて、いまの“気持ち”だもん」


玲音はそう言って笑ったけれど、その笑顔の奥に、何かが揺れていた。

「あたし、ちょっと考えてたことがあるんだ」


「うん」


「“妹”って存在が、物語の中だけじゃなくて、本当にいたとしたら……その子はきっと、自分が“妹”であることに、気づいてしまう瞬間があると思うんだよね」


「気づくって……?」


「“妹”としてしか、見られてないって。

 でも、ほんとは、もっと違うふうに見てほしかったって、思ってしまう。

 一人の女性として、呼ばれたかったって」


奏汰は、手元のコード譜に視線を落としたまま、静かに言葉を探した。


「……名前って、特別だよね。

 呼ぶことで、距離が変わる。

 言わなきゃ守れるものもあるけど、言わなきゃ伝わらないこともある」


「うん。

 だから、この曲の最後には、あたしが“兄さん”って呼んで、奏汰が……」


「“玲音”って呼び返す?」


「……うん」


言葉の交換が、音楽の終止符になる。

それは祈りの終わりであり、呪いの解放でもあった。


ふたりはもう一度、ローズ・ピアノの前に座る。

ローズは、金属音叉の振動を電気的に拾って鳴らすエレクトリックピアノで、その音色は柔らかく、どこか浮遊感があり、コードを鳴らすだけで空気が少しだけ揺れるような感覚がある。


コード進行は、さっきよりも少し温度を帯びていた。


C──G/B──Am──F

F──G──C


「Aメロは日常の景色で、“あたりまえ”の関係を描いて……」


「Bメロで揺らぎを入れる。ほんのすこしだけ、名前の輪郭に触れるように」


「で、サビで、気づかないふりをやめる」


「名前を、呼びたくて呼べない──その狭間」


旋律が言葉を追い越して、ふたりの中でふくらんでいく。

“妹”という言葉を使わずに、“妹”を描く。

それは難しくて、でも、とても自由だった。


「これ、ほんとに完成したら、ライブでやろうよ」


「……玲音、泣くと思う」


「うん、泣くかも。でも、泣くのって、言葉にできなかった感情がこぼれることでもあるよね」


「じゃあ、涙も歌詞の一部だ」


そんなふうに言って笑い合える、いまのふたりの距離。

そのすべてが、音楽だった。


窓の外は、夕焼けが始まっていた。

赤く染まる空に、誰かの祈りが滲んでいくようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ