小町、という才能
「……これ、やっぱり正式に提出されてなさそう」
俺はタブレットの画面をスクロールしながら、ぽつりと言った。
午後のスタジオ。
玲音はローズ・ピアノの前に座ったまま、唇をきゅっと結んでいる。
ローズは、金属音叉の振動を電気的に増幅して鳴らすエレクトリックピアノ。
その音色は、アコースティックピアノよりも柔らかく、どこか浮遊感があり、ジャズやソウルのセッションでよく使われる。
「動画投稿は、小町のスタッフによる非公式デモ扱いで、選考とは別ってさ。
いま主題歌選定は“正式オファー候補への水面下依頼段階”だって」
「……水面下」
玲音が静かに復唱したその声は、ちょっとだけ震えてた。
「そう。で、小町にはすでに声がかかってるっぽい」
深く息を吐く玲音。
その胸がわずかに上下して、あーやばい、見ちゃダメって思いながら、でも意識しちゃってる自分がいる。
服、今日ちょっと薄いし。エアコン強めだし。
って、集中しろ俺。
「じゃあ……うちらは?」
言いかけたその瞬間。
バンッ!
ドアが勢いよく開いて、突風みたいな声が飛び込んできた。
「入るぞー、天才たち!」
ミレイ。
今日もノーブラ疑惑あるタンクトップ(目線逸らし)に短パン、コンビニ袋ぶら下げて、テンション高めに登場。
「オレ様の人脈、なめんなよ?
“世界妹”、いまアニメ制作委員会が動いてるらしくてさ」
「えっ、ちょ……」
玲音が混乱してるのを無視して、ミレイはドンッとアイスコーヒーをテーブルに置いた。
勢いで玲音の腕にちょっとかかって、ひゃって声出てたけど、完全にスルー。
ミレイ、強い。
「うるせーな、話の途中だ。
でな、その委員会に、昔ちょっと繋がってた編集の奴がいるんだけどよ。
さっき連絡取れてさ。おまえらのこと、軽く話してみた」
「軽く……?」
「ついでに“この曲聴かなきゃ損する”って煽っといたから、ちゃんと覚悟しとけよ」
……ミレイ、お前ほんと、すげぇな。
玲音と顔を見合わせた。
その表情がちょっと赤くて、でもなんかキラキラしてて、……こっちがドキッとする。
「まさか、もうアプローチしてたの……?」
「そりゃそうだろ。動かねーと、何も始まんねーじゃん。
あとはおまえら次第だ。
曲、ちゃんと届けりゃ、提出できる可能性はあるってよ」
玲音が机の上にある『世界妹』の原作小説を見つめた。
表紙の泣き顔の妹キャラが、ちょっとだけ玲音に似てる気がして――って思った俺、重症かも。
「……でも、あの曲、ほんとにすごかったよ。小町ちゃんのやつ」
玲音のぽつりとした言葉に、俺も頷いた。
「“泣ける”を超えてた。
泣かされる、っていうか、逃げられない。
真正面から来るから」
「なのに、押しつけじゃない。
不思議」
「たぶん、あれはもう“技術”なんだと思うよ。
エモさを設計してるっていうか」
小町。
十代でいくつもヒット飛ばして、SNSで常に話題になって、本人の姿は出さずに世界観だけで勝負してる。
「怖いくらい、完成されてるよね。
声も姿も見せないのに、伝わるってすごい」
「それってつまり、“曲だけで戦ってる”ってことだからな」
ふたりで、しばらく無言になった。
でも、沈黙のなかに火が灯る気がした。
まだ未完成な俺たちの音。
だけど、それでも──。
「負けたくない」
玲音が小さく眉をひそめて言った。
その声に、俺の心がぎゅっと締め付けられる。
……いやもう、こんな顔されたら、本気で勝ちたくなるじゃんか。
「……いいね。その感じ」
俺は愛機レスポールを手に取りながら答える。
玲音がちらっとこっちを見て、微笑んだ。
「小町の曲が“妹の気持ち”だとしたら、わたしたちは“兄の視点”から描くんだよね?」
「うん。さっきのやりとりも含めて、ちゃんと詞にしていこう。
音楽じゃなくて、気持ちを──名前を、歌詞にする」
玲音は、ノートを開いた。
白紙の1ページ目に、ペンを走らせる。
「“兄さん”じゃなくて、名前で呼んでほしかった。
でも、ほんとは──呼びたかったのは私のほうだったんだ。」
文字を見た瞬間、ちょっと息が止まった。
……え、それって、俺のこと……?
って勝手に思っちゃってる自分がいて、たぶんバカだ。でも止まらない。
ふたりで音を重ねる。
妹っていうフィクションのフィルターを外して、**「名前」で、「気持ち」**で、伝えようとする。
「“この物語を歌いたい”。それだけなんだよね」
玲音の声は、やわらかくて、でも真剣だった。
「うん。俺たちにしか書けない曲にしよう」
ギターを爪弾く。
ふたりの音が、また一歩、確かな熱を帯びていく。
……正直、小町はすごい。
だけど今、このスタジオにあるもののほうが、ずっと強い気がした。
それは――
“好き”っていう気持ちの、真ん中にある音だった。




