トリック・オア・リリカル
「……ハロウィン、やってみたいかも」
小さな声で最初にそう言ったのは玲音だった。
パーカーのフードをすっぽり被ったまま、ソファの隅で体育座りして、視線だけがこちらをちらちらと泳いでいた。
「仮装ライブって……どう思う?」
「え? 玲音が?」
俺が聞き返すと、彼女はすぐに視線を逸らした。
「……ルナが、言ってた。
配信とか映えるって……だから、別に、私は……」
そのとき、ルナがぱんと手を叩く。
「いいじゃんそれ!
“リリカルの魔女たち”みたいなコンセプトで、バズり間違いなし!
ほら、白の魔女とか、小悪魔メイドとか――」
「……やめて」
玲音の声が、きゅっと小さくしぼむ。
「そういうの、へんだから……」
「えー!? 玲音なら絶対似合うって~! いや、マジで見たいもん。むしろ私が着たいし!」
玲音は耳まで赤くして、ぷいとそっぽを向いたまま、パーカーの袖をぎゅっと握っていた。
だけどその数分後、こっそりパソコンのタッチパッドを動かしているのを、俺は見ていた。
数日後。
スタジオに届いた衣装の箱。
その中にひとつ、玲音がそっと選んだドレスがあった。
黒とシルバーの、静かなデザイン。
レースのチョーカーが控えめに首元を飾り、肌はほとんど隠れているのに、ラインはどこか儚く、美しかった。
「……どう、かな」
玲音が、ゆっくりとこちらを振り向く。
髪がそっと揺れ、瞳が一瞬だけ、俺を真っすぐに見つめた。
息を呑む。言葉が出てこない。
「……へ、へんだったら……着替える」
玲音がすぐに視線を逸らす。
「違う、すごく……綺麗で、見とれた」
そう言うと、玲音は一瞬目を見開いて――
「……ばか」
と、ほんの少しだけ微笑んだ。
その横で、ルナがちゃちゃを入れる。
「はいはーい! じゃあ“トリック・オア・トリート”言ってみて! お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ~的な!」
玲音はびくっとして、パーカーに手を伸ばしかけ――やめる。
「やだ……それ、ルナがやればいい」
「えー! やるよ? むしろ得意だし!」
小町がそこに滑り込むように登場する。
「私は“選ばれし亡霊の書記官”でいこうと思うの。やはりハロウィンには由緒が必要よね」
「ちょっと待って、小町それ毎回意味わかんないけど、なぜか成立してるのすごくない?」
玲音はふっと笑った。
その笑顔は、どこかいつもより軽やかだった。
イベント当日。
画面にはコメントが踊る。
《玲音ちゃん尊い》
《仮装似合いすぎ》
《声の震えが逆に刺さる》
《小町は異世界から来たの?》
その中で、玲音がそっとマイクを握る。
少しだけ、震えた声で――
「……“トリック・オア・リリカル”。
……お菓子か、お歌か……選んで」
コメント欄が一気にハートで埋まっていく。
その様子を見て、玲音はほんのわずかに口元を緩めた。
仮装の夜だからこそ、自分じゃない“誰か”になれる――
でも玲音は、“本当の自分”でそこに立っていた。
ライブが終わった控室。
玲音は上着の袖を握りながら、ぽつりと。
「……恥ずかしかったけど……楽しかった」
「うん、すごく良かったよ。玲音、がんばったな」
「……兄さんが、いたから。……だから、できた」
それだけ言って、また沈黙。
でも、数秒後。
玲音はちょっとだけ体を寄せてきて、小さな箱を差し出した。
「……“トリック”は……しない。
でも、これ」
中には、手作りのクッキー。
ひとつひとつに、丁寧なアイシングで文字が描かれていた。
《Thank you for being beside me.》
「これって……お菓子?」
「……うん。兄さんだけの……“おかし”。
だから、いたずらは、なし」
そう言って、玲音は少し照れながら、笑った。
魔女でも、小悪魔でもなく。
その夜、誰よりも可愛かったのは――玲音だった。




