この歌が終わっても、わたしは歌うよ
ライブが終わった翌朝、玲音はリビングのソファに横向きに座り、ふわふわのクッションをぎゅっと胸に抱えていた。
ルームウェアは、白地に小さな苺の模様がついたふんわり系のパジャマ。
肩まである髪の毛先が、寝癖でふにゃりと跳ねているのがまた妙に色っぽい。
そのパジャマの裾がめくれて、細い太ももがむき出しになっているのを――
俺はキッチンから見て見ぬふりをした。
「……兄さん、見てたでしょ」
「いや、見てない見てない。こぼさないようにコーヒー淹れてただけで」
「じゃあ、さっき“むむっ”って変な声出したのは?」
「熱かったんだよ、湯気が」
玲音はじとっと睨んできたが、結局なにも言わずにソファにうつ伏せになった。
小さな足の裏がぴょこんと跳ね、パジャマの裾がさらにずり上がっていく。
下にショートパンツを履いてるのかと思いきや――
何も履いてないように見える。
「下、履いてないのか?」
「んー……お家では安心してたいじゃん……兄さんの前だけ、甘えたくなるんだもん」
そんな甘ったれた声を出しながら、玲音は手に持ったスマホの画面をタップした。
そこには、昨日のステージ映像。
何度も再生された形跡があって、サムネイルの下には“再生回数:42”の文字が出ていた。
「わたし、やっぱり歌が好きだな。
……怖いけど、気持ちいい」
「なんだその言い方」
「だってほんとなんだもん。
……昨日のわたし、“ちゃんと歌い手”になれてた?」
「なれてたよ。
照明に照らされて、マイク握って、ちゃんと立ってた。
……玲音の声、ちゃんと届いてた」
玲音は、スマホを胸に抱きしめ、クッションに頬を埋めた。
少し赤くなった耳が、髪の隙間からのぞいている。
「ミレイちゃんがね、“あれは玲音のこたえだった”って。
……わたし、自分でもそう思うの。
逃げずに、ちゃんと出せた。
……兄さんの隣だから、できたんだよ」
「俺は何もしてないって」
「ううん。
……いてくれた、ってだけで、全部違うんだよ」
声は囁くように優しくて、でも芯がある。
それは恋の告白でも、ただの感謝でもない、“絶対的な信頼”だった。
「ねえ、兄さん」
「ん?」
玲音はくるりとソファの上で寝返りを打ち、俺の方をまっすぐに見た。
小さな胸にスマホを抱えたまま、もじもじと足を絡ませている。
「わたし、もう“隠れてるだけのトラックメイカー”じゃないよね?」
「おう。あのステージで、ちゃんと“自分の声”を持った歌い手になった。胸張っていい」
「……じゃあ、これからも一緒に作ってね。
“玲音のことば”で、“玲音の音”を。……兄さんの隣で、ずっと」
その言葉に、何も言い返せなかった。
俺はコーヒーカップを手に、彼女の隣に腰を下ろした。
ふわっと甘いシャンプーの香りが鼻先をくすぐる。
「次の曲、どうする? タイトルとかある?」
「“続きの音”って、どうかな。昨日の“またね”の、続きって感じで」
「いいと思う」
玲音はノートPCを開き、プロジェクトファイルを新規作成した。
まだ何も書かれていない画面。でも、そこにはもう“迷い”の気配はなかった。
彼女はパジャマの袖をまくって、キーボードに指を置いた。
その姿は、今朝の光に照らされて、ちょっとだけ眩しかった。
「ねえ兄さん……今日、録音する?」
「まだ午前9時だぞ。せめてパジャマは着替えてからにしてくれ。あと、下もな」
「やだ、えっち」
玲音が笑って、俺にクッションをぶつけてきた。
その笑顔が、昨日よりちょっとだけ大人びて見えたのは――
俺の気のせいだろうか。




