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リリカル・ノイズ  作者: 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
わたし、ライブやってみたい
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――歌うだけなら、もう慣れてるはずだったのに

「……ほんとに行くの?」


「うん。明後日の午後、リハーサルスタジオで。

 見学だけでもいいって言ってた」


「……見学って……わたし、何すればいいの」


「何もしなくていい。

 音のチェックと、軽い打ち合わせ。

 玲音は横に座ってくれてれば、それでいい」


少し間があった。


「……じゃあ、兄さんの横……絶対に離れちゃだめだから」


「了解。俺の片腕、くっつけとく」


「ばか」


ちょっと強めに言ってから、玲音はパーカーのフードを深く被った。

照れてるときのクセだって、もう俺は知ってる。


その日、俺たちは初めて“ユニットとしての外出”をした。


移動はタクシー。

玲音は、後部座席でイヤホンをつけたまま、小さく丸くなっていた。


「大丈夫か?」


「……音でごまかしてるだけ。だから話しかけないで」


「了解」


スマホから漏れる小さな音は、玲音が作ったプレイリスト。

クラブ系のビートの合間に、俺の仮歌が混ざってるのがわかる。


玲音なりに、心の準備をしてるんだと思った。

それがちょっと嬉しかったのは、たぶん俺が単純だからだ。


スタジオに着いた瞬間、玲音の足が止まった。

「……思ってたより……本物っぽい……」


「リハスタだからな。プロも使うところだし」


「……うう。帰っていい?」


「着替えてすらいないだろ」


「もう帰りたい」


「だめ。手引っ張ってでも連れていくぞ」


「……兄さんが触るなら、まあ……ちょっとだけ我慢する」


「それって照れてるの? 開き直ってるの?」


「……どっちでもない。ばか」


ぶつぶつ言いながらも、玲音はちゃんとついてきた。

俺のジャケットの裾を、指先でつまむみたいに。


スタジオの中は、ほの暗くて、乾いた空気が漂っていた。

壁には吸音材が貼られていて、声がやけにクリアに響く。


PA(技術スタッフ)らしい人が、俺たちを見るなり軽く頭を下げた。


「今日はありがとうございます。

リリカル・ノイズのお二人ですね。

立ち位置の確認とマイクの出音だけお願いできれば」


「よろしくお願いします」


俺が答えると、玲音は黙って頷いた。

言葉がなくても、これでいい。


「じゃあ、『Always You』のイントロでチェックしましょうか」


「了解です」


モニターの再生ボタンが押され、トラックが流れ出す。

The Sundownersの名曲『Always You』——60年代の空気をまとった、柔らかくて切ないフレーズがスタジオに広がる。

玲音のアレンジで、原曲の懐かしさに現代的な質感が加わっている。

この一曲で、俺たちの音楽の方向性が自然と伝わる気がした。


あの音は、いつも玲音の部屋で聞いていた音だ。

でも、スピーカーを通して空間に広がると、まったく違って聞こえる。

本物の音楽になった、そんな気がした。


俺はマイクを持ち、いつもより少し丁寧に歌い出した。


そのときだった。


となりから、かすかに声が聞こえた。


振り向くと、玲音がイヤホンを外して、口を動かしていた。

小さな声で、俺の歌に合わせて。


玲音が、自分の曲に、自分の声を重ねている。


ステージでもない、録音でもない、

ただ、隣で――。


なんか、ずるい。


俺は思わず笑ってしまって、それから、ちょっとだけ気持ちを込めて次の歌詞を歌った。

スタジオの空気が、音で満たされる。


少し離れたところでスタッフが「……すごいな」と呟いたのが聞こえた。


そして――

袖口が、そっと引かれた。


玲音が、黙って俺の袖を握っていた。

顔は見えなかったけど、たぶん赤くなってる。


その手の温度だけで、全部わかった。


帰りのタクシーで、玲音はイヤホンをしていなかった。


「……兄さん、今日の歌……よかった」


「ありがとう。玲音の曲がよかったからだよ」


「……うそつき」


「ほんとだって」


玲音は窓の外を見ながら、小さく言った。

「じゃあ……本番も、そばにいて」


「ずっといるよ」


「……じゃあ、もうちょっと、がんばってみる」


それは、いつもパソコン越しでしか言葉を交わさなかった玲音が、ちゃんと俺の声を聴いて、俺のそばに立って、それでもなお「がんばってみる」と言った、

そのことが――嬉しかった。


何も言わず、俺は、玲音の隣に座ったまま、窓の外を眺めた。


雲ひとつない夏の午後。

すこしだけ、風が涼しく感じた。

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