静かなる挑戦者
昼下がり。
陽射しの柔らかさに似合わず、俺の作業机の周りには、ぴりっとした緊張感が漂っていた。
ドアが開く気配も、チャイムもなかった。なのに。
「……いるのはわかっていた」
その声は、まるで風のように部屋に差し込んできた。
振り向くと、そこには小町が立っていた。
相変わらず、白地に薄紅の小花模様の和服。
「ようこそ……って、どうやって入った?」
「君が私のために開けておいてくれたんだろう?」
「……そんなつもりはなかったけどな」
「ふふ。それはどうかな」
小町は、俺の横をすり抜けるようにして、玲音が座っていたソファに腰を下ろした。
玲音は最初だけちらりと視線を向けたが、すぐに目を逸らして黙った。
二人の間に、沈黙。
それでも、小町は平然としていた。
まるで、この部屋にいることが当然であるかのように。
「玲音の歌、聴いたぞ」
「……どこで?」
「この前君が流してたぞ。玄関の外で聴こえていた。窓も開いてた」
「おい、それ盗み聴きじゃん……」
「違う。“聴こえてきただけ”。それに——君の作る音楽は、誰のものだ?」
小町は、扇子を開いて頬に当てながら言う。
そして、玲音に向けて、淡く笑った。
「だけど……“心の底”までは、まだ届いてない気がする。私には」
玲音がぴくりと反応したのがわかった。
「——だから、私も、歌う」
「小町……?」
「前に言っただろう。**“あなたの物語のヒロインは、私”**だと」
俺は息を呑んだ。玲音はじっと彼女を見据えている。
「Yunoから招待を受けた。“例の企画”に、参加してみないかって」
「え……」
「Yunoって、何者なんだ? 本名も顔も出てないのに、どうしてそんな影響力を?」
「まだ知らないのか」
小町は微かに笑った。あまりにも意味深に。
「君もよく知っている人だ」
玲音が息をのんだ。俺も、心臓を掴まれるような感覚に陥った。
「俺がよく知っている?」
「彼女の目的はきっと、**“もっと声を届ける”**こと。
……君の声も、そこ含まれてる」
玲音は口を結び、視線を落とした。小町は、優しい声で続ける。
「でも、私は思うのだ。
“届く声”とのは、誰かを踏み台にして出すものではない。
隣にいる誰かと、正面から向き合ってこそ……生まれる」
「……言ってることが、回りくどい」
玲音がぼそりと呟いた。
「つまり、自分もその“声”の競争に名乗りを上げるってこと?」
「そうだ。わかってるじゃないか」
小町はふわりと立ち上がり、俺の机の上のスコアに視線を落とす。
「この曲。玲音のためのものだろうが、私にも歌わせてくれるか?」
「……!」
「同じ楽曲で、どちらの“声”がYunoに、そして……奏汰に届くか。
比べてみようじゃないか」
玲音の目に、一瞬だけ怒りが宿った。
けれど、それはすぐにかすかな微笑へと変わった。
「——いいよ。やってみよう。
わたし、負ける気しないし」
「ふふ。それでこそ、私の“ライバル”だ」
小町は音もなく部屋を後にした。残された俺と玲音は、しばらくその余韻の中で黙っていた。
そして。
玲音はぽつりと呟いた。
「……やっぱり、わたし、あの人ちょっと好きかも」
俺は思わず吹き出しそうになった。
「今さらかよ」
玲音はちょっとだけ笑って、ローズの鍵盤に手を伸ばした。
くすんだ銀色の音が、ぽろりとこぼれる。
ローズ・ピアノ――その独特の響きは、誰かに負けたくない気持ちと、誰かと並んでいたい願いの両方を、静かに映していた。
そして、夜。
スマホの通知が一つ。
YunoからのDM。
『選ばせてもらうぞ。けれど、選ばれない声に意味がないなんて、私は思わない』
玲音はそれを見て、静かにこう言った。
「この人、敵じゃないのかもしれない」
──物語は、また一つ、音を重ねていく。




