ライバル、再起動
昼過ぎ。
玲音の部屋は静かだった。俺と玲音は、それぞれのノートPCに向かって作業を進めていた。
ふたりとも喋らないのは、いつものことだったけど——この日は、少し違っていた。
「……兄さん、ちょっと」
玲音が、唐突に俺の袖を引いた。
「ん?」
顔を上げた俺に、玲音は困ったような、でも少しだけ楽しそうな目を向けた。
「来る、と思う」
「誰が?」
そのとき——。
突然、窓の外から軽快な足音。
次の瞬間、開いているはずのないベランダのドアが、外側から「カチャ」と音を立てて開いた。
「やっほー、ふたりとも♪」
ひらりとスカートを翻して、ルナが部屋に現れた。
「……鍵、かけたはずなんだけど」
俺がぼそっと言うと、玲音はふぅ、と静かに溜息をついた。
「おかしいのは今さらでしょ?」
ルナは当然のように部屋の中央まで進んできて、玲音のベッドに腰を下ろした。
「ねえ、玲音。最近のあんた、ちょっと調子いいんじゃない?」
玲音は言葉を返さず、無言でルナのほうを見た。その瞳は、少し警戒しているようにも見えた。
「“恋も、音楽も、負ける気ない”って言ったの、忘れてないわよね?」
ルナは髪を指でくるくると巻きながら、あっけらかんと言う。
「それ、今日わざわざ言いに来たのか?」
俺が聞くと、
「まあ、それもあるけど……」
ルナはバッグからタブレットとノートを取り出した。
「今週末、あんたたちがいつも使ってるスタジオ、私も予約したの。
わざわざ時間かぶせておいたから。よろしくね」
「……勝負、するってこと?」玲音が静かに聞いた。
「勝負、なんて大げさな言い方やめてよ。リハーサルに乱入するだけ。
あんたの歌と私の歌、どっちが“届くか”……それだけの話よ」
玲音は少しだけ顔を伏せた。
だけど、すぐに俺の袖をぎゅっと掴んだ。
「兄さん。……わたし、負けたくない」
その声は、震えていなかった。
「玲音が歌いたいなら、俺は全力で曲を書く」
「うん。……うん」
玲音の眼差しは、ルナの方へ向けられる。
その視線には、明確な“敵意”ではなく、“覚悟”が宿っていた。
「……いい目してるじゃない。ちょっと安心した」
ルナはにこっと笑って、タブレットの画面をこちらに向けた。
そこには、自作の新曲タイトルと、作詞者名に“Luna”と書かれていた。
「ちなみに、この曲。恋人の隣を奪う女の子の歌。ちょっと、刺激的でしょ?」
玲音は何も言わずに立ち上がり、部屋の奥のキーボードに向かって座った。
指が鍵盤に触れると、音が空気を震わせ始める。
「……やってやる」
玲音は、小さくそうつぶやいた。
ルナはそれを見て、くすっと笑った。
「その調子。あんたが本気出してくれないと、張り合いないから」
そう言って、ルナはベランダから再び出ていった。
カーテンが揺れ、音が止まる。
俺は、静かに呼吸を整えて言った。
「玲音。ルナのこと……どう思ってる?」
玲音は鍵盤に手を置いたまま、ほんの少しだけ考えるような顔をした。
「……たぶん、わたし。彼女がいて、ちょっと、安心してる」
「安心?」
「だって……誰も来なかったら、“この声”がどこにも届かないって、思ってたから」
俺はその言葉に、一瞬、言葉を失った。
そして思った。
“届かない声”に向けて歌う玲音が、誰かに届き始めたこと。
それが、今の彼女にとって、怖さよりも……喜びになっていること。
それでも。
俺は、玲音の“いちばん近く”にいることを、絶対に譲らない。
その夜、YunoからDMが届いた。
『声が重なってきたね。どちらが主旋律になるのか、楽しみにしてる』
玲音は画面をじっと見つめたあと、俺に言った。
「……この人、ほんと、何者なんだろ」
俺も答えられずに、ただスマホを見つめ返すしかなかった。




